代表選手たち

 話がひと段落着いたところで、カイルが言った。


「それにしても、あいつは一体何なんだ?」


 眉間にしわを寄せながら、部屋の隅を見る。

 そこにいるのは、東のカサール代表リスティ。壁に背を預け、相変わらず気だるそうに人々を眺めている。だが、リスティは一人ではなかった。すぐ横に、女がいる。


「こんな場所に、恋人でも連れてきてるのか?」

「恋人?」


 ヒューリが向きを変えて、リスティと女を見た。


「いちゃついてる訳じゃあねぇが、何となく気にいらねぇ」


 カイルは、ちょっと不機嫌だ。

 じつはミナセも気付いていた。ほかの選手の様子をさりげなく観察する中で、その二人の動きは、ほかのみんなと少し違っている。

 リスティは、グラスを持っていない。隣の女から時々グラスを受け取ってはそれを飲み、また女に戻す。

 しかも、そのグラスには、最初に女が口をつけていた。二杯目のグラスでも、そして料理でもそれは同じだ。女が先に一口飲み、あるいは一口食べてから、リスティがそれに手をつけている。


「やるなら人目のないところで……」

「あれ、たぶん毒味ですよ」

「え?」


 ヒューリの言葉に、カイルが目を見開く。


「あいつ、周りに興味なさそうな目してるくせに、全然油断していない。人が近くにいる時は常に両手を自由にしているし、飲み物も食べ物も、女の様子を確認してから口に入れてる。あの女は、間違いなく毒味役と、危険が迫った時の盾役なんだと思います」

「……」


 カイルは言葉がない。ミナセも、ヒューリを見つめたまま黙ってしまった。


 見知らぬ人が用意した食事を口にする。それがどれほど危険なことか、ヒューリは父や叔父から何度も聞かされていた。

 ヒューリの故郷クランは、常にキルグ帝国から狙われていた。国の要人だったヒューリの父も、食べ物や飲み物にはかなり注意を払っていた。


 だが、このパーティーは武術大会の懇親会だ。開催国であるイルカナが妙なことをするはずがない。

 それでも。


「あいつにとって、ここは戦場と変わらないんでしょうね」


 リスティが油断をしていないことは、ミナセにも分かっていた。しかし、この場に毒味役を連れてくるという発想は、ミナセにない。

 カイルとミナセが揃って渋い顔をした。


 と、そこに。


「ど、どうも」


 大きな体を窮屈そうに折り曲げながら、髭面の大男がやってきた。


「お話し中のところ、すみません。わ、わしは、ターラと言います。コメリアの森の、いちおう、代表です」


 その体に似合わない小さな声で、ターラが挨拶をする。


「挨拶が遅れて申し訳ない。俺は、イルカナ代表のカイルだ」

「ミナセです」

「私は、ミナセの付き添いでヒューリ」


 一度に三人から返事をされて、ターラは慌てた。


「えっと、カイルさん、ミ、ミナセさん、それと……」

「ヒューリです。分かんなくなっちゃったら、何度でも聞いてください」


 ヒューリが笑う。


「すみません。えっと、ヒューリさん」

「おう!」


 急に砕けたヒューリに、ターラが目をぱちくりさせる。


「はい、背筋を伸ばして! 代表選手なんだから堂々としてないと」

「は、はい!」


 返事をしながら、ターラが丸まっていた背中をビシッと伸ばした。


「うん、それでよし」

「はい!」


 長身のカイルよりさらに大きなターラが、ずっと小柄なヒューリのいいように扱われている。

 演技などではない。この男は、本当に素直なのだ。


「コメリアの森って、どんなとこなんだ?」

「はい! すんごくいいところです!」

「だから、どんなところがいいところなのさ」

「はい! えっと……」


 どうやらヒューリは、ターラが気に入ったらしい。おそらくは年上であろうターラに、弟をからかうような調子で質問を浴びせてはその反応を楽しんでいた。

 ミナセとカイルが、目を合わせてこっそり笑う。上流階級の集うこの場に似合わないそのやり取りは、何となく二人をホッとさせていた。



 懇親会は無難に進んでいく。市井の飲み会と違って、酔っぱらいが騒ぎ出すことも、喧嘩が始まることもない。

 ミナセとヒューリに下心見え見えで近付いてくる男たちもいなかった。

 ここは外交の場。ここにいるのは、国に選ばれた人物ばかり。二人に注目はするものの、挨拶程度に軽く話をして、自分の役目を果たしに戻る。

 そんな中、もっともストレートに感情表現をしていたのが、この国イルカナの王だった。

 ロダン公爵からミナセとヒューリを紹介された王は、身を乗り出して、大きな声で言った。


「そなたがミナセ殿か。噂通りの美しさじゃのぉ!」

「恐れ入ります」


 顔を赤くしてミナセがうつむく。


「ヒューリ殿、そなたもまた美しい!」

「恐縮です」


 頭を垂れるヒューリは、ちょっと呆れ顔だ。

 ロダン公爵は苦笑い。その隣の男は、メガネの奥から鋭く二人を観察している。

 王を挟んで反対側にはカミュ公爵がいた。こちらは明らかに不満顔だ。


「陛下、お慎みください」


 今にもミナセたちに歩み寄ろうとしそうな王を、強い口調でたしなめる。


「そ、そうじゃな」


 浮かせていた腰をストンと落として、残念そうに王が言った。

 カミュ公爵の視線が、ミナセたちに移る。


「そなたらも調子に乗るでないぞ。一般市民がこの場に呼ばれるだけでも異例なことなのだからな」

「はい、かしこまりました」


 明らかに敵意を含んだその言葉におとなしく返事をして、ミナセとヒューリは下がっていった。



「腹が立つな!」


 グラスの酒を、ヒューリが一気にあおった。


「まあ、仕方ないさ」


 落ち着いた顔で、ミナセがグラスを傾ける。

 ミナセの見たところ、カミュ公爵は最初から不機嫌だった。それは、ミナセたちがこの場にいるからというより、もっと根本的な不満を抱えているように見えた。

 カミュ公爵も、開催国であるイルカナの要人だ。当然の責務として、各国の使者や選手たちと挨拶を交わし、親睦を深め、情報の収集に勤めている。

 だが、その意識は常にあるところに向いていた。話していても、食べていても飲んでいても、公爵の意識は常にある人物を気にしていた。


 自然と言えば自然。だが何となく……。

 ミナセが首を傾げた、その時。


「あんたも気になるか?」


 男が言った。

 その男の接近を、当然ミナセは捉えていた。その気配に最も注意を払っていた人物。

 その人物が、ミナセに声を掛けてきた。


「当たり前と言えばその通りだが、少し違和感があるよな」


 その男は、とても自然に、ミナセが”それを捉えている”ことを前提に話し掛けてきた。


「初めまして。ミナセです」

「おっと失礼。自己紹介がまだだった」


 男は、順序が逆になったことなど気にする素振りもなく、改めて名乗った。


「俺はサイラス。ウロルから来た」


 知っています


 そう答えようとも思ったが、ミナセは黙ってサイラスを見る。


「他国の事情に首を突っ込むつもりはないからな。俺は、楽しく試合ができればそれでいい」


 自分から話し始めたくせに、サイラスはあっさりとその話題を終わらせる。

 そして。


「じゃあな。決勝戦で会おうぜ」


 そう言うと、サイラスは風のように去っていってしまった。

 さすがのミナセも目を丸くする。


「何だったんだ?」


 つぶやいて、隣のヒューリを見た。

 すると、ヒューリが不機嫌な顔で言った。


「要するに、ミナセと同じで、あいつも人の意識を捉えられるってことだろ?」

「え?」

「あいつは、ミナセと同じ次元にいる。私じゃあ、たぶんあいつに勝てない」


 はあ


 ため息をついて、ヒューリがミナセを見る。

 

「まったく。私が勝てないのは、ミナセだけで十分だっての」


 負けず嫌いのヒューリらしい言葉だ。思わずミナセは微笑んだ。

 だが、ミナセはすぐに表情を引き締める。


 サイラスとの戦いは、厳しいものになるだろう。

 それでも私は、やつに勝たなければならない。


 去っていく背中を見つめながら、ミナセは強くグラスを握り締めていた。

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