戦士失格

 本戦三日目。と言っても、今日は試合が行われない。準決勝に臨む選手たちのために、この日は休養日に充てられていた。

 試合はなくとも、町は大会の話題で持ち切りだ。


「魔術師でも結構いけるんだな」

「あのじいさん、何考えてんだ?」

「こりゃあ優勝は……」


 事前の予想が覆され、想像以上の戦いが繰り広げられ、想定外の出来事が起きる。

 人々は大会に熱狂していた。


「なかなかに盛り上がっておるようではないか」

「はい。観戦チケットはすべて完売、町も活気に溢れております。間違いなく、投資した以上の回収ができるでしょう」


 王宮内の小部屋。

 午前中のその部屋に、王と三人の公爵が集まっていた。


「治安はどうじゃ? 騒ぎを起こす者はおったか?」

「大きな問題は、起きておりません」


 めでたいことのはずなのに、答えるカミュ公爵はなぜか不機嫌だ。


「それは重畳」


 対照的に、イルカナ国王の機嫌は非常によい。


「明日と明後日はわしも観戦に参る。何とも楽しみじゃのぉ。ロダン公爵よ、おぬしは誰が優勝すると思っておるのじゃ?」

「はっ……」


 無邪気な問いに、ロダン公爵は困ったように黙ってしまった。


「明日の最初の試合はカイルとサイラス殿じゃが、カイルに勝ち目はあるのかのぉ」

「それは、何とも」

「うーむ、やはり難しいか」


 言い淀むロダン公爵の心中など気にすることもなく、またもや王が無邪気に言う。


「では、ミナセ殿とリスティ殿はどうじゃ?」

「……」

「わしは、ミナセ殿が勝つと思うがな」


 ロダン公爵の答えを待たずに、王が勝敗予想を語る。


 ギシギシッ


 背もたれが大きな音を立てた。

 ロダン公爵が、ちらりと隣を見る。


「何はともあれ、明日もいい試合になるといいのぉ。大会成功に向けて、残りの二日も頼むぞ」

「はっ!」


 王が席を立つ。アウル公爵もそれに続く。

 少し間を置いて、ロダン公爵が立ち上がった。


「どうかしたのか?」

「……いや、何でもない」


 ロダン公爵に答えて、カミュ公爵も立ち上がった。

 渋い顔のまま部屋を出ていくその背中を、ロダン公爵がじっと見つめる。


「貴様、何を考えている?」


 小さくつぶやいて、ロダン公爵もまた静かに部屋を出ていった。



 その日の午後。


 メイドの後ろを歩きながら、ヒューリがこっそり深呼吸をしていた。


 うえぇ、緊張する~


 社員の中では最も上流社会に慣れているはずのヒューリが、堅い表情で屋敷の廊下を歩いている。

 ここは、ロダン公爵邸。珍しくヒューリは、その屋敷を一人で訪れていた。

 フェリシアやミアでなくとも、エム商会の社員であれば、公爵邸ではいつでも歓迎される。公爵も奥方のエレーヌも不在だったが、用件を伝えると、ヒューリはあっさり屋敷の中に通された。


 今日は平日。昨日は休みだったヒューリも朝から仕事をしていた。だが、昨日からずっと気になっていたことが、どうしても頭を離れてくれない。

 モヤモヤしたまま午前の仕事を終えて会社に戻ったヒューリは、午後の仕事がキャンセルになったことを知ると、マークの許可をもらって会社を飛び出してきたのだった。


 急に来ちゃったのは、やっぱりまずかったかなぁ


 今更ながら弱気になる。


 ここまで来たんだ、腹をくくれ!


 自分に渇を入れて、背筋を伸ばす。

 手汗を拭き、何度も深呼吸を繰り返しながら、ヒューリは気持ちを静めようとしていた。

 そんなヒューリの様子に気付くこともなく、一つの扉の前でメイドが立ち止まった。


「こちらでございます」

「あ、はい」


 ヒューリが顔をこわばらせる。

 容赦なくメイドがノックをする。


 トントントン


「はい、どうぞ!」

「失礼いたします」


 まだ心の準備が……


 慌てるヒューリを無視するように、扉は開いていった。


「お客様をご案内いたしました」


 頭を下げるメイドの向こうにたくさんの人が見えた。

 その中の一人が立ち上がる。見上げるほどの大男が、背中を丸めて小さな声で言った。


「よ、ようこそ、ヒューリさん」

「ど、どうも」


 ヒューリに向かって、ぎこちなくターラが笑った。



「えっと、それで、どんなご用件、でしょうか?」


 ターラとその家族に見つめられて、ヒューリは体を固くした。

 ヒューリも緊張しているが、ターラたちもおそろしく緊張している。

 特に、家族のみんなはヒューリと初対面。その上、自分たちを訪れる人がいることなど想像していなかった。老若男女十数人が、非常に畏まってヒューリを見つめていた。

 

「じつは」


 ヒューリが顔を上げる。

 息を吸い込み、腹に力を込めて、ヒューリは話を始めた。


「私、昨日、ターラさんの試合を見ていたんです。あれは本当に素晴らしい試合でした」


 みんなを見て、ターラを見る。


「戦い自体はもちろんですけど、試合に臨む姿勢とか、戦士としての誇りとか、そういうものが強く感じられて、私すっごく感動したんです」


 話しているうちに、ヒューリの気持ちも盛り上がってきた。

 声が熱を帯びる。瞳が光を放つ。赤みの差したその美しい顔が、眩しいくらいに輝き始めた。


「あ、ありがとうございます」


 ターラが顔を赤くして答えた。


「奪い取った剣を相手に返すとか、戦いの後に健闘を讃え合うとか、勝ち負けとは関係なく、正々堂々としたターラさんの姿が本当にかっこよかったんです!」


 目を丸くして、ターラがヒューリを見つめる。

 そしてうつむき、小さな声で言った。


「嬉しい、です」


 少し緩んだ頬と、喜びに溢れるその瞳。短い言葉の中に、ターラの気持ちが十分込められていた。


「残念ながら試合には負けちゃいましたけど、ターラさんは胸を張っていいと思います。胸を張ってコメリアの森に帰ってもいいと思うんです!」


 ヒューリが身を乗り出した。

 その時。


「負けは負けじゃ」


 老人が、ぼそっと言った。


「ちょっと、おじいさん」


 隣にいた年配の女性がたしなめるように言うが、老人は構わず続けた。


「ターラよ。この大会に出ると決めた時、おぬしは誓ったであろう? 大会で優勝して、森の戦士の力を近隣諸国に知らしめるのだと。諸国の重鎮どもへ、コメリアの森にターラありと教えてやるのだと」


 静かだが、とても重い言葉だった。


「勝たねばならなかったのだよ。観客たちの目の前で、各国の使節の目の前で、少なくとも一度くらいは勝たねばならなかったのだよ」


 ターラの顔が青ざめていく。


「どんなにいい試合をしたところで、残るのは結果じゃ。気持ちのいい試合など何の意味もない。恨まれようが嫌われようが、勝たねばならんのじゃ。戦争になれば、負けた者たちの土地は、勝者によって蹂躙されてしまうのじゃからな」


 全員がうつむいた。


 そうなのだ。

 ターラにとって、いや、コメリアの森にとって、この大会はただの大会ではなかった。大国に挟まれたコメリアの森が、少しでも有利な状態で生き残っていくための手段。森の力を諸国に示すための、大切な舞台だったのだ。


 本戦一日目の最後の試合。残酷とも言えるリスティの試合。

 あの試合で、リスティの悪名は人々の心に深く刻まれた。狂った兵士がカサールにいる。その事実が、イルカナと近隣の国に知れ渡った。

 あの試合でカサールは、自国の”戦力”を世に示すことに成功したのだった。


「すみませんでした」


 蚊の鳴くような声で、ターラが詫びる。


「わしは、戦士として失格です」


 悲痛な声を絞り出す。


 否定する者はいない。慰める者もいない。

 心優しい森の戦士。だが、優しさだけでは森を守ることなどできなかったのだ。


 室内が静まり返る。

 息が苦しくなるほど空気が重い。


 と。


「私は、戦士としての誇りとか、優しさとか、そういうものも戦力になるんじゃないかって、思ってます」


 低く、だが力強い声がした。

 全員が顔を上げる。全員が、目を見開いてヒューリを見た。


「力を持たない小国が、一人の戦士に頼りたくなったり、その強さを諸国に示したくなったりする気持ちは、よく分かります。でも、それだけじゃあだめなんです」


 何を小娘が!


 そんな目で、老人がヒューリを睨む。

 静かな目で、ヒューリが老人を見る。


 わずかにうつむき、やがて顔を上げ、改めて老人を見つめながら、ゆっくりとヒューリが語り始めた。

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