強力な味方
「ここからずっと東に行ったところに、山に囲まれた小さな国がありました」
落ち着いた、しかしどこか寂しげな声で、ヒューリが話し始めた。
「そこには英雄と呼ばれる一人の男がいて、長い間、隣国の侵略から国を守り続けていたんです」
「東の小国?」
老人が記憶を辿る。
ヒューリが続ける。
「でもある時、隣国の計略によって、その英雄は裏切り者に仕立て上げられました。男は、守り続けてきた国民に罵られながら、国民の目の前で処刑されました」
子供たちが女にしがみついた。
女たちが息を呑んだ。
男たちが、目を見開いたままヒューリを見ていた。
「自らの手で英雄を葬り去ったその国は、その後すぐに隣国からの侵攻を受けて、あっという間に滅びてしまいました。その国は、まさに自滅したんです」
大きな体が小さく震える。
ヒューリがターラを見た。今にも泣き出しそうなその目を見て、そっと微笑む。
そしてヒューリは、老人に向き直った。
「英雄頼みの国を落とす方法なんて、いくらでもあるんです。現実は物語とは違う。一人の英雄が、永遠に国を守り続けることなんてできはしない。小国であればあるほど、国全体で国を守る方法を考えなければだめなんです」
老人が、目を見開いてヒューリを見つめ返す。
この娘は、一体何を見てきたというのだ?
小娘が語る内容ではなかった。
受け売りや又聞きの話とも思えなかった。
ヒューリの話は、その目は、その声は、人生経験に裏打ちされた重みを持っていた。
老人がうつむく。
老人が、拳を握る。
「ならば」
老人の体が震えた。
「我々はどうすればいいと言うのだ!」
老人がヒューリを睨む。
その目は血走っていた。
「十年前、ウロルがイルカナに攻め入った時、森は両軍によって蹂躙された。木々は薙ぎ倒され、焼き払われた。戦争が終わって十年経った今でさえ、両国が交わした条約とやらのせいで、森の奥へと追いやられたまま、我々は住んでいた場所に戻ることすらできんのだ!」
怒りが老人の体から溢れ出していた。
「経済力もない。軍事力もない。ただ静かに森で暮らすことだけを望む我々が、唯一大国に力を示し得るもの。それがターラなのじゃ。一人の英雄に縋ることの何が悪い! ほかに何もない我々が、一人の男に縋って何が悪いと言うのじゃ!」
感情が迸る。
森の住人たちの怒りが、悔しさが、悲しみが、老人の言葉となって押し寄せてきた。
ヒューリが唇を噛む。血が滲むほどその唇を噛む。
踏みにじられる者たちの怒り。その悔しさと悲しみ。
ヒューリだから分かる、老人の痛み。
「だったら」
ヒューリが言った。
「だったら、私も力を貸します!」
「なんじゃと?」
ヒューリが立ち上がる。
老人が目を丸くする。
「私だけじゃありません。会社のみんなにもお願いしてみます!」
ヒューリが叫ぶ。
全員が目を丸くする。
「何ができるか分かりません。今は何も思い付きません。でも、私考えます! 何ができるか、一生懸命考えます!」
みんなは、唖然としたままヒューリを見ていた。
両手を握り締め、顔を真っ赤にして老人を睨むヒューリを、みんなは黙って見つめていた。
その時。
「ありがとうございます!」
突然大男が立ち上がった。
「わし、嬉しいです!」
ターラがヒューリの手を握る。
「わしも考えます! 一生懸命考えます! だからヒューリさん、ありがとうございました!」
言っていることは、微妙に分からない。しかしターラの言葉は、みんなの気持ちに小さな明かりを灯した。
「え、あ、いや」
熱い視線を受けて、ヒューリは戸惑う。
ヒューリも勢いで言ってしまったのだ。今の時点では、本当に何も考えていない。
ふと。
「まあ、そうじゃの」
ため息をついて、老人が言った。
「考えることを諦めたら、そこでおしまいじゃ」
苦笑い。
そして。
「嬢ちゃんに負けないよう、わしも考えるとしよう」
老人が笑った。
「よ、よろしくお願いします!」
ヒューリもまた、微妙におかしな返事をして頭を下げる。
老人をたしなめた年配の女性が、そっと微笑んだ。
「いい娘さんじゃない」
これまたよく分からないことを言って、その女性も嬉しそうに笑った。
夕方。
「割り振りは以上だ。明日は仕事を午前中に片付けて、午後からの試合を全員で見に行こう」
「はい!」
マークの言葉に全員が頷く。
明日は土曜日。本来なら全員休みのはずなのだが、調整仕切れなかった仕事や、飛び込みで入ってきた仕事が残っていた。
「ミナセのことは任せて!」
「ちゃんと護衛を務めます!」
フェリシアとミアが気合いを入れる。
二人はマークから、ミナセを試合会場まで送り届けるという役目を頼まれていた。
ミナセに護衛が必要だとは思えないのだが、なぜかマークはそこを曲げなかった。
「みんなから何かあるか?」
打ち合わせの最後にマークが聞いた。
すると。
「あの……」
ヒューリが、そっと手を挙げる。
「明日の仕事のことか?」
マークが聞いた。
ヒューリにも、明日の午前中は仕事が割り振られている。だが、ヒューリの話はそんなことではなかった。
「じつは今日、ロダン公爵のお屋敷に行ってきまして」
「何しに行ったんだ?」
ミナセが不思議そうに聞く。
ヒューリが一人で公爵の屋敷を訪ねたことなど、今まで一度もなかったからだ。
「まあその、用があったのは、公爵でもエレーヌ様でもなくて、あそこに滞在しているターラさんたちだったんだけど」
「ターラさん?」
ますます分からない。
全員が首を傾げる中、ヒューリが話し出した。
「私、昨日大会を見に行かせてもらったじゃん。で、団長とターラさんの試合に感動したんだけど、試合の後のターラさんの応援団の様子が、ちょっと気になってね」
カイルとターラの名が会場に響き渡る中、その一団は、恐ろしく沈んだ顔をしていた。負けて悔しいとか残念だとか、そういう次元ではない。それは、まるで人生が終わったかのような、まさに打ちひしがれていると言ってもいい姿だった。
「だからさ、ターラさんは凄いんだってことを言ってあげたくて、会いに行ったんだよ」
「ヒューリさん、優しい!」
「あははは」
リリアの言葉に、ヒューリは照れ笑い。
「でね、まあ、行ったところまではよかったんだけど」
ヒューリがその時の様子を語った。
老人の話とコメリアの森の置かれた状況。そして、ヒューリが言い放った言葉。
話し終えたヒューリに、シンシアが冷たい視線を向けた。
「ヒューリ、考えなし」
「うっ!」
痛烈な突っ込みに、ヒューリがたじろぐ。
「いくらうちが何でも屋だからって、国家レベルの話じゃあどうしようもないんじゃない?」
「はうっ!」
フェリシアの常識的な反応に、ヒューリは打ちのめされる。
「ヒューリさん、かっこいい!」
「……」
ミアだけは妙な賛辞を送ってくれたが、それはさすがにヒューリも喜べない。
ミナセは苦笑い。リリアは、困ったような顔でヒューリを見ていた。
そこに。
「ヒューリ」
落ち着いたマークの声が聞こえた。
「はい」
上目遣いで、ヒューリがマークを見る。
そのヒューリに、マークが言った。
「俺は、自分が関わる範囲を限定するのがあまり好きじゃない。できることがあるならやってみるべきだと、俺は思う」
ヒューリが驚く。
隣で、フェリシアがなぜか嬉しそうに笑った。
そう言えばそうだったわね
笑うフェリシアと、そしてみんなを見て、マークが続けた。
「たしかに、今回の話は国が絡む話だ。何ができるか、今すぐ思い付くこともないだろう。でも、俺たちにできることはあるかもしれない。例えそれが小さなことであっても、何かはできるかもしれない」
ミナセが頷いた。
「ヒューリの気持ちは全員が分かるはずだ。ヒューリがターラさんたちにそう言った時の気持ちは、みんなにだって想像できるはずだ。だから、みんなで考えよう。何ができるかを、みんなで考えていこう」
「はい!」
全員が大きな声で応えた。
「社長……みんな……ありがとう」
ヒューリが立ち上がる。
その目に涙を浮かべて、ヒューリが深く頭を下げた。
ヒューリの肩を、ミナセが抱いた。ヒューリの思いをみんなが抱き締めた。
社員七人の小さな会社。アパートの一室に事務所を構える小さな何でも屋。
その何でも屋が、コメリアの森のために動き出す。ヒューリの思いを形に変える。
森の住人たちの思いも寄らぬところで、住人たちの強力な味方が生まれたのだった。
夜。
「手配はいたしました。ただ、急なお話でしたので、用意周到とはさすがに……」
「構わぬ。ただし、成功しても失敗しても、足がつく証拠だけは絶対に残すな」
「はっ!」
ジリジリ……
ろうそくが音を立てる。
一つ残った影が、ゆらゆらと揺れる。
「鬱陶しい」
ギシッ
イスの背もたれが大きく軋んだ。
「まったくもって、鬱陶しい」
ギシ……ギシ……
暗い室内に、イスの軋む音だけが響き渡っていた。
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