誘拐
「それにしても遅いな」
「何かあったのかしら?」
ヒューリとフェリシアが心配そうに話す。
「大丈夫ですよ、きっと」
二人に向かって、ミアがあっけらかんと言った。
大会は、いよいよ準決勝。その一戦目は、イルカナ代表カイル対、ウロル代表サイラス。そして二戦目には、エム商会のミナセ対、カサール代表リスティの試合が行われることになっていた。
予定通り、今日は社員全員でミナセを応援に来ている。
そのはずだったのだが。
「リリア……」
眉間にしわを刻んだマークが、小さくつぶやいた。
今日の午前中は、マークとヒューリ、シンシア、そしてリリアが仕事を持っていた。そのどれもが半日で終わる仕事で、お昼には全員が揃うはずだったのだ。
だが、待ち合わせ時刻を過ぎても、リリアだけが会場に姿を見せなかった。
「私、待ってる」
そう言うシンシアに入り口で待ってもらっておいて、とりあえずみんなはコロシアムの中に入ってきている。
「リリアの担当って、飛び込みで入った仕事だったよな」
「そうね。一人暮らしのおばあちゃんに、プレゼントを届ける仕事のはずよ。息子さんが急に仕事で行けなくなっちゃったから、そのかわりにっていう……」
その仕事は、昨日の午後、事務所にいたリリアが受けたものだ。
「何だか、息子さんが可哀想で」
息子とはいっても、男は若くなかった。母親に苦労を掛けてきたことを悔い、そのお詫びにと誕生日プレゼントを買ったのだが、急に仕事で町を離れることになり、明日の誕生日に渡せなくなってしまった。そこで、慌ててエム商会に依頼をしてきたのだった。
いい年をした男が涙ながらに頼み込む姿を見て、リリアは断り切れなかったと言っていた。
「まだ時間はあるし、もうちょっと待って……」
ヒューリが言い掛けた、その時。
「社長!」
シンシアが、もの凄い勢いで駆けてきた。
その顔を見て、みんなの表情がこわばる。
「どうした?」
マークの声もさすがに緊張していた。
「これ!」
シンシアが、折り畳まれた便箋を見せた。
「小さな子供が、持ってきた」
便箋を開いてそれを読んだマークが、ゆっくりと立ち上がる。
「みんな、静かについてきてくれ」
みんなを連れて、マークは選手控え室へと向かった。便箋に何が書いてあったのか、シンシア以外は誰も知らないままだ。
控え室は、選手一人に一部屋ずつあてがわれている。ミナセの控え室に着くと、スタッフに断り、ノックをして、マークが扉を開けた。
「社長! みんな!」
驚くミナセに目配せをして、全員が部屋に入ったところでマークが扉を閉める。
そして、あの便箋をみんなに見せた。
便箋には、こう書いてあった。
リリアは預かった
無事に返して欲しければ、今日の試合で負けるよう、ミナセに伝えろ
「くそっ!」
声と殺気を押し殺しながら、ヒューリが吐き出した。
冷静なのはマークだけで、ミナセでさえも動揺で瞳が震えている。
「みんな、よく聞け」
ゆっくりとみんなを見渡してから、マークが言った。
「第一試合の開始まで、まだ時間がある。ミナセの試合はさらにその後だが、それが始まる前に事件を解決させるのは、さすがに無理があるだろう」
「解決させる?」
首を傾げてミナセが聞いた。
その目を、マークが強く見る。
「ミナセ。悪いが、できるだけ粘ってくれ。俺たちが戻るまで、何とか耐えてほしい」
驚くミナセとみんなに、マークが言った。
「リリアを助ける。そして、ミナセにも勝ってもらう」
「!」
声にならない声がした。
「この誘拐は、周到に用意されたものではないだろう。昨日リリアが仕事を断っていたら、誘拐のチャンスはなかったんだからな」
昨日の飛び込み仕事が、事件の始まりだったとマークは判断したのだろう。
しかし、マークの言う通り、この誘拐が入念に計画されたものだとは思えなかった。
「必ずどこかに隙がある。解決の糸口はきっとあるはずだ」
力強くマークが言う。
「そして何より」
みんなを見て、はっきりと言った。
「犯人が誰であれ、その狙いがなんであれ、この誘拐事件は、絶対に成功させてはならない」
ミナセが頷いた。
ヒューリが頷いた。
シンシアもフェリシアもミアも、力強く頷いた。
「全員でリリアを探しに行く。ミナセ、頼むぞ」
「分かりました」
ミナセが笑う。
「負けるんじゃないぞ」
ヒューリも笑う。
「行くぞ!」
マークが歩き出した。みんながそれに続いた。
パタンと閉じた扉を見つめて、ミナセが小さくつぶやく。
「何があろうとも、絶対に負けてなんかやらないさ」
強い決意がミナセの心を鎮めていく。
強い言葉とは裏腹に、ミナセの心は、静止した水のように凪いでいった。
コロシアムを出て、会場周辺の人混みを突破したみんなは、貸し馬車屋から馬と馬車を借りて南へ向かった。目指すはもちろん、リリアがプレゼントを届けに行った家だ。
本当なら、フェリシアだけでもフライで一気に飛んでいきたいところなのだが、町の中はフライが禁止されている。衛兵に見付かれば、大騒ぎになってリリアの救出どころではなくなってしまうだろう。
現状で考え得る最速の移動手段は、やはり馬車だった。
「尾行は?」
「もういません」
マークに聞かれたフェリシアが、笑って答える。
マークたちの移動速度は非常に速かった。信じられないようなフットワークで人混みを抜けると、途中でスカーフや帽子を買って髪と顔を隠す。そのまま真っ直ぐ貸し馬車屋に行って馬車を借り、ヒューリの見事な手綱捌きで、衛兵に咎められない程度の速さで走っている。
最初は尾行らしき魔力反応があったのだが、そんなものは途中から置き去りにしてきていた。
目的の家は、町の南東。比較的所得の低い市民が暮らす地域だ。そこからもう少し南に下ればスラム街がある。
「リリア……」
沈みがちなシンシアの手を、ミアがしっかりと握っていた。
「フェリシア、ミア、一緒に来てくれ」
「はい」
「分かりました!」
返事をする二人を連れて、マークは細い路地へと入っていった。
その背中を見送りながら、ヒューリがシンシアに言う。
「ここにリリアがいる可能性は低い。社長たちが戻ってきたら、すぐ移動になるだろう」
「分かった」
ヒューリに頷いて、シンシアは荷台のバケツを持ち上げた。中身は、馬にやるための水と餌だ。ヒューリがマークに進言して、貸し馬車屋で手配していた。
馬に餌をやるシンシアを見ながら、ヒューリがつぶやく。
「待ってろ、リリア」
自分にできることをする。
この緊迫した局面でも、社員たちはきちんとその役割を果たしていた。
トントントン
路地の奥にある小さな家。その扉を、迷いなくマークがノックした。
「どなた?」
「エム商会の、マークと申します」
あまりにも普通に声を掛けるので、ミアが慌てている。
そのミアの目の前で、やっぱり普通に扉が開いた。
「今朝来てくれた子の会社の方ね? 何のご用かしら」
現れたのは、ごく普通の、善良そうなおばあちゃん。
「伺いたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
マークが、落ち着いた声でおばあちゃんに言った。
「はやっ!」
路地から出てきたマークたちを見てヒューリが驚く。
慌てて飛び乗るシンシアに続いて、マークたちも馬車に乗り込んできた。
「あのおばあちゃんは、何も知らないようだ」
おばあちゃんの話によると、リリアが来たのは三時間ほど前。普段は家に寄りつかない放蕩息子からのプレゼントに、おばあちゃんは驚き、喜んだ。
そして、趣味で作った毛糸のぬいぐるみをリリアに渡して帰したそうだ。
「それがこのぬいぐるみだ。路地に落ちていた」
「っていうことは」
「リリアは、この路地でさらわれた」
目を見開くシンシアに、フェリシアが言った。
「リリアを力ずくで誘拐するのは難しいわ。たぶん、魔法か何かで意識を奪ったんでしょうね」
眠りを誘う魔法、スリープのように、相手の意識を奪う魔法はいくつか存在する。
リリアは、それほど魔法に詳しい訳ではない。通行人の振りをした敵にいきなり魔法を掛けられたら、対処は難しいかもしれなかった。
「そこで、シンシア」
マークがシンシアを見た。
「精霊の力を借りて、リリアを探し出すことはできないか?」
「精霊の?」
驚くシンシアに、マークが続ける。
「北の高原からの帰り、シンシアは、インサニアの首領から俺を守ってくれた。魔力を持たず、気配さえも感じない男の接近をシンシアが知ることができたのは、精霊の力を借りたからなんだろう?」
あの時シンシアは、”お願い”をしていた。
社長に近付く人がいたら、教えて
シンシアは、たしかに精霊の力を借りてマークを守ったのだ。
「リリアがここでさらわれたとすれば、精霊たちは、それを見ていたんじゃないかって思うんだ」
シンシアの目が開いていく。
「もしそうなら、精霊たちは、リリアがどこに連れて行かれたかを知っているかもしれない」
精霊に過去の出来事を尋ねる。
そんなことが可能なのか、シンシアにだって分からなかった。
それでも。
「やってみる!」
シンシアが目を閉じる。
リリアの姿を思い描く。
そして言った。
「リリアのことを見ていたら、教えて。お願い!」
そう言って、シンシアは耳を澄ました。
全員が、固唾を呑んで見守った。
やがて。
「こっち!」
シンシアが指をさす。
迷いなく、シンシアが進路を指し示した。
「行くぞ!」
即座にヒューリが鞭を入れた。
ヒヒーン!
馬がいななき、馬車が走り出す。
人を避け、ほかの馬車をかわしながら、町の中を駆け抜ける。
「リリア、待ってて!」
耳を澄まし、方向を指し示しながら、シンシアが前方を睨み付けていた。
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