決着

 ヒュアァ


 前後左右から風が吹く。

 ミナセの体が風に押され、同時に、押された方向へと吸い込まれていく。


「そりゃあ!」


 加速しながら迫るサイラスの攻撃を、ミナセが必死に受け止めていた。

 風の動きに規則性はない。向きも強さも読めず、しかも瞬時に向きと強さが変化する。

 唯一読めるのは、目に見えているサイラスの動き。ゆえにミナセは、戦いながらずっと狙っていた。

 サイラスの意識を捉える。

 サイラスの意識を支配する。

 準決勝ではそれができた。リスティとの戦いでは、仲間との特訓の成果が見事に活かされていた。

 しかし。


 こいつ、奥義の弱点に気付いているのか!?


 この試合では、ミナセはそれができていない。ミナセは、サイラスの意識を捉え切れずにいた。

 奥義、明鏡止水。相手の意識を捉え、相手の意識を支配する究極の技。その弱点は、発動までに時間がかかることだった。

 その弱点を、すでにミナセは克服している。戦いながらでも、ミナセは相手の意識を捉えることができるようになっていた。

 だが、奥義にはもう一つ弱点があった。


 それは、相手の目を見る必要があること。意識を捉え、それを支配するためには、相手の目を見続ける必要があった。

 単に意識を捉えるだけであれば、目を見る必要はない。相手の意識がどこに向いているのか、何に集中しているのかを知るだけであれば、目を見ずともミナセにはそれが分かった。

 しかし、強く意識を捉えるためには、相手の目を見る必要があった。相手の目を通じて、相手の意識を掴む必要があったのだ。

 それが、サイラスに対してはできなかった。

 サイラスは、ミナセと目を合わせないように戦っていた。


 ミナセと同じく、サイラスは相手の意識を捉えることができる。

 だからサイラスは知っていた。より強く相手の意識を捉えるためには、相手の目を見る必要があることを。

 だからサイラスは予測した。準決勝でミナセが見せたあの技を使うためには、目を見る必要があるはずだ。つまり、ミナセに自分の目を見せなければ、あの技は使えない。


 あんなデタラメな技、食らってたまるか!


 サイラスは攻めた。ミナセの目を見ないよう、ミナセに目を見せないように、サイラスはミナセを攻め続けていた。

 

 攻防は続く。

 サイラスが攻め、ミナセが守る。試合開始からずっとそれが続いている。

 戦いは一方的。サイラスがミナセを圧倒していた。

 しかし。


 やっぱりこいつ、ただ者じゃねぇ


 明らかに押しているにも関わらず、ミナセの体に剣を打ち込むことができない。どこから攻めても、そのすべてが防がれてしまう。


 どこかに隙はないのか?


 サイラスが、意識を探った。攻撃を続けながら、サイラスはミナセの意識を探った。

 その意識を捉えて、サイラスが驚く。


 ミナセは、焦ってなどいなかった。

 ミナセは、恐ろしいまでに集中していた。 

 

 驚くサイラスが、今度はミナセを見た。今まで見ないようにしていた黒い瞳を、自分の目で見た。

 途端。


 何だと!


 サイラスが目を見開いた。

 動きを止めることはしない。攻撃の手も緩めない。

 しかし、サイラスの心は平静ではいられなかった。


 サイラスが見た光景。

 それは、目を閉じたまま戦うミナセの姿だった。


 ミナセの目は、完全に閉じていた。

 その状態で、ミナセはすべての攻撃を防いでいた。


 サイラスが、動揺を隠すように、強力な風で揺さぶりながら渾身の力で剣を叩き付ける。それが、ミナセにがっちりと受け止められる。

 目を閉じたままのミナセが、サイラスの剣を完璧に受け止めた。


 サイラスが攻撃を止めた。ミナセから距離を取って、ミナセを睨む。

 ミナセが、目を、開いた。


「時間が掛かってしまいましたが、やっとあなたを捉えることができました」

「俺を、捉えただと?」


 ミナセが静かに言う。

 サイラスが狼狽えた。


 目は合わせていなかった。

 そもそもミナセは、目を閉じてた。


 それなのに、俺を捉えた?


 サイラスが、ミナセからさらに距離を取る。

 背中を冷たい汗が流れていく。


「では」


 ミナセが言った。


「いきます」


 ミナセが、目を閉じた。


「くそっ!」


 サイラスの魔力がさらに高まる。剣の魔力が高まっていく。


「やられてたまるか!」


 雄叫びと同時に風が吹いた。


 ヒュアァ


 より強力な風と、より急激な空気の移動が起きる。

 だが。


 ゴンッ!


 剣がぶつかった。

 サイラスの剣が、ミナセの剣を受け止めていた。


「!」


 サイラスの目が驚愕で広がる。

 サイラスの全身を、鳥肌が覆っていった。


 初めてミナセが攻めてきた。だが、それにサイラスが驚いている訳ではない。

 ミナセは、風が吹く前から動き出し、サイラスが動き出す前からその方向に先回りしていた。

 風の影響を受ける前に、ミナセはその体を移動させていたのだった。


 ヒュン!


 ミナセの剣がサイラスに迫る。


 ガンッ!


 サイラスの剣が、必死にそれを防ぐ。

 攻守が完全に逆転していた。


「何だ?」


 観客たちは不思議顔。


「あいつ、風の影響を受けていないのか!?」


 カイルが大きな声を上げる。


「よし」


 マークが小さく微笑んでいた。


 ミナセが攻めに転じることができた理由。

 それは、先読みの技術がなせる技だった。


 サイラスの体とサイラスの剣は、魔力で満ちている。それを捉えるだけなら難しくはなかった。

 問題は、風。

 自然ではない風である以上、それは魔法で起こしているはず。だが、その風は術者を中心に吹いていない。前後左右のいずれからも風は吹いてくる。

 ミナセは感じていた。自分の周りに満ちる魔力。自分のものではない魔力。


 シンシアと同じだ

 あの剣は、自分から離れたところに風を起こす力を持っている


 ミナセは、風の動きと魔力の流れに集中した。

 サイラスの猛攻に耐えながら、ミナセはじっと、風と魔力を観察し続けた。

 そして。


 ヒュアァ


 風が吹く。

 そこにミナセはいない。


 ギュン!


 サイラスが、あり得ない速さで逃げていく。

 その先に、ミナセがいた。


 サイラスの風は破られた。

 サイラスの風を、ミナセは完全に読み切っていた。


 それでも。


「負けてたまるかよ!」


 サイラスが防ぐ。

 ミナセの剣を、サイラスが必死に防ぎ続ける。

 サイラスは、ミナセの剣を”防ぎ続けて”いた。


 やはりサイラスは一流の剣士だった。すでに読まれている風を囮にして、ミナセの動きを誘導しながら反撃の機会さえ窺っている。


 ミナセ対サイラス。

 観客のほとんどは、その凄さに気付いていない。


「反撃だ!」

「いけぇ、ミナセー!」


 湧き上がる大歓声の中、選手関係者席だけは静まり返っていた。そこにいる多くの者が、声を出すことさえできずに二人の戦いを見つめていた。

 一流の剣士が繰り広げる高度な攻防。分かる者にしか分からない、とてつもなく高次元な戦い。

 社員たちも言葉がない。ただ黙って舞台を見つめている。

 ふと。


「そろそろ終わりだな」


 小さくマークがつぶやいた。

 歓声にかき消されたそのつぶやきは、ほかの誰にも聞こえていない。当然、戦っている二人にそれが聞こえるはずがない。

 だが、二人はマークと同じことを感じていた。ミナセもサイラスも、この試合の終わりが近いことを感じていた。


 サイラスの風も、サイラスの剣も、ミナセは掌握しつつあった。

 サイラスも、それを分かっていた。


 ミナセの剣が鋭さを増していく。

 サイラスの反応が遅れていく。


 一方的に攻撃を受け止め続けて、サイラスの腕は痺れ始めていた。

 動きが鈍る。体に力が入らない。

 ついに腕が下がり始めた。


 負けたかな


 サイラスは、そう思った。

 その時。


「!」


 サイラスの目が、自分の剣の姿を捉える。

 無数の攻撃を受け止め続け、”ボロボロになった”その剣を見る。

 そしてサイラスは、残る力のすべてを使って、強く剣を握り締めた。


「終わりだ!」

「終わりだ!」


 ミナセと、そしてサイラスが同時に叫んだ。

 瞬間。


 ゴォー!


 それまでとは比べものにならない猛烈な風が、ミナセの前後左右すべてから吹き付けてきた。

 これまで一方からしか吹くことのなかった風が、ミナセの四方から嵐のように襲い掛かる。


「なにっ!」


 ミナセの動きが止まる。強烈な圧力で、体の自由が利かない。

 その、風の上。そこからサイラスが降ってきた。


「うりゃあー!」


 雄叫びを上げながらサイラスが落ちてくる。

 ミナセはそれを捉えるが、腕と剣が上がらない。


 サイラスが剣を振り下ろした。

 全力を振り絞って、ミナセが体を逃がしていく。

 刹那。


 ふわぁん


 風が止んだ。突然のことに、さすがのミナセも反応できない。その体は、逃げようとした方向へ崩れるように倒れていった。

 そして。


 ピタッ


 首筋に剣が押し当てられる。

 

「そ、それまで!」


 うわずった審判の声が聞こえた。


「……参りました」


 ミナセが言った。


「悪いな」


 サイラスが言った。

 そう言ってサイラスは、力尽きたように、どっかりと舞台にへたり込んでしまった。


 観客がどよめく。直前まで、ミナセが一方的にサイラスを攻め立てていた。観客のほとんどが、ミナセの勝利を確信していた。

 突然の逆転劇に、観客たちは戸惑っている。

 それは社員たちも同じだ。


「負けた……」

「ミナセさん……」


 呆然と、あるいは愕然としながら舞台を見つめている。

 選手関係者席の人たちも、がっくりと肩を落としていた。


「あいつでも勝てないのかよ」


 カイルも、マシューたちも、ターラの一族も言葉少なだ。

 と。


 パチパチパチッ!


 力強い拍手が響いた。


「いい試合だった!」


 大きな声がした。

 社員たちが驚く。みんなも驚く。

 みんなが見つめるその先に、マークがいた。立ち上がり、微笑みながら拍手をしている。


 パチパチ……


 拍手が起きた。


 パチパチパチッ!


 拍手が広がっていった。


「よくやった!」

「凄かったぞ!」


 歓声が湧き起こる。


 ウォー!


 大歓声が会場を包み込んでいく。

 大きなうねりの中心で、ミナセが微笑んだ。そして、座り込んだままのサイラスを、ミナセが引き起こす。


「改めて言います。参りました」


 敗者とは思えない、爽やかな顔でミナセが笑った。


「ちょっと反則気味だったけどな」


 サイラスが、自分の剣をミナセに見せながら苦笑した。

 サイラスの剣は、ボロボロだった。正確には、巻いてある魔法の布がボロボロになっていた。その布の切れ目から、銀色の剣肌が見えている。そこから強力な魔力が漏れ出ていた。


「これが、この剣の本来の力だ。布が切れてくれなかったら、俺はお前に負けてたよ」


 魔法の布は、故意でない限り、試合中に切れたり取れたりしても反則にはならない。審判の判断で巻き直すことはあっても、選手がそれで負けになることはなかった。


「そういう出来事も含めての勝負です。私の負けに変わりはありません」

「まあ、そういうことにしておくか」


 二人が笑う。二人が、ガッチリと握手をする。


「勝者、サイラス!」


 審判が高らかに宣言をした。

 武術大会の決勝戦が、ここに幕を閉じた。

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