決勝

 空は快晴。風は穏やか。絶好の決勝戦日和。


「やっぱりサイラスだよな!」

「俺はミナセに期待してるぞ」


 観客たちが盛り上がる。


「どちらが勝つのかのぉ」

「予想するのはなかなか難しいかと」

「いい試合になるといいのぉ」

「仰せの通りで」


 貴賓室のイルカナ国王も盛り上がる。

 王に無難な返事を返しながら、ロダン公爵は、さりげなく周囲の人物を観察していた。

 緊張しているウロルの使節団。メガネを押し上げるアウル公爵。何かにイラついている、カミュ公爵。

 表情を変えることなく視線を会場へと戻して、ロダン公爵は、そっと息を吐き出した。



 ジャーン、ジャーン、ジャーン!


 大きな銅鑼の音が響き渡る。試合が始まる合図だ。


 ワァー!


 歓声が沸き起こる。同時に、ミナセとサイラスが場内に姿を見せた。


「あれ、間に合ってよかったわね」

「鍛冶屋のおっさんに感謝だな。昨日は徹夜したって言ってたし」


 フェリシアとヒューリが話している。


「あれが準決勝で使えていれば、ミナセさんも少しは楽に戦えたのに……」

「リリアは悪くない」

「そうそう、気にしない気にしない!」


 申し訳なさそうなリリアに、シンシアとミアが言った。

 マークを含めて、今日の決勝戦は社員全員が揃って応援に来ている。

 周りを見渡せば、選手関係者席には見知った顔が何人もいた。


 準決勝でサイラスに破れたカイルがいる。相棒のアランは今日もいなかった。

 エイダと、エイダが負けた後も観戦を続けているマシューたち。

 コメリアの森の代表ターラは、親族一同と共に座っている。ヒューリが手を振ると、全員が笑いながら手を振り返してきた。

 関係者席の片隅にそっと座っているのは、リスティの毒味役だと言われていた女。その隣には、驚くことにリスティの姿もあった。

 サイラスの関係者と思われる人は見当たらない。大会を通して、サイラスの関係者を見掛けることは一度もなかった。


「ミナセー!」

「ミナセさーん!」


 観客席からたくさんの声援が送られる。やはりミナセの人気は高かった。

 だが、その声援の多さとは裏腹に、町のブックメーカーが公開しているオッズは拮抗している。

 抜群の人気を誇るミナセだったが、この大会ではその強さを見せることができていない。謎の老人との試合は戦うことがなかったし、準決勝のリスティ戦では防戦一方だった。

 対するサイラスは、エイダの奇襲を見事に防いでの勝利と、カイルを圧倒しての勝利。その強さを十分に示している。

 人気のミナセと実力のサイラス。町の酒場では、そんな話もされていたのだった。


 舞台に二人が立った。

 審判が片手を上げた。

 場内が静まり返る。

 審判の、よく通る声が響き渡った。


「ただ今より、決勝戦を開始する!」


 ワー!

 がんばれー!


 大歓声が湧き起こった。

 審判がルールの説明をする。二人が静かに頷く。

 審判が、二人から離れていく。二人が開始線まで下がっていく。


「始め!」


 決勝戦の幕が、ここに切って落とされた。



 サイラスが、愛用の剣を構える。

 ミナセも、剣を構える。


「今日は木刀じゃないんだな」

「あなた相手に、木刀では心許なかったので」


 サイラスに問われてミナセが答えた。

 ミナセが持っているのは、今朝でき上がったばかりの剣だった。ミナセの太刀と同じ大きさ、同じ重さの剣。だたし、その刃は丸まっている。斬ることを考慮していない、まさにこの大会のためだけに作った剣だった。

 ミナセの太刀が試合で使えないことが”判明”した時に、マークの勧めで注文したものだ。

 素材は、アダマンタイトを含んだ合金。ミナセの太刀には遠く及ばないが、ただの鉄と比べれば、はるかに硬くて頑丈だ。

 それをミナセが手に取ったのは、つい先ほどのこと。


「悪くない」


 握った感触も、振った時の感覚も、太刀に似ていた。


「これなら戦えるよ」


 剣を持ってきてくれたヒューリたちに、ミナセは笑顔を見せていた。



 睨み合ったまま、二人は動かない。


「いけー!」

「やっちまえー!」


 観客たちの声にも、二人は反応しない。


「何やってんだ!」

「戦え!」


 観客たちの野次にも、二人はまったく動くことをしなかった。


 ミナセは、サイラスをじっと見つめている。

 飄々とした表情に、どこまでも自然な構え。その体にまとう、緩やかな風。


 あの風が、やつの動きを加速させ、敵の体に干渉するのか

 

 ミナセが、サイラスの戦いを思い返す。

 エイダを受け止めた風。カイルを翻弄した風。


 同時にミナセは、サイラスの剣に注目していた。ダンジョンの奥深くで手に入れたという秘宝。その剣からは、魔法の布を通してさえもはっきりと分かる、強い魔力を感じた。

 おそらくあれが、風の発生源。

 だが、そうだとしても、それを防ぐ方法は分かっていない。


 仕掛けにくいな……


 ミナセは、慎重にサイラスの動きを見極めていた。


 一方、サイラスもミナセを見つめていた。

 その目はミナセと、そして足元に広がる水面を見ていた。

 少しでも動こうとすれば、それが波紋となって水面に現れる。動き出す前に、こちらの動きが分かってしまう。


 魔法じゃない。この水は、俺の風とは根本的に違う


 初めて感じるプレッシャー。

 静かな、しかし恐ろしく強烈なプレッシャー。


 こんなやつが、この大陸にいたとはね


 サイラスも、ミナセの動きを見極める。

 その姿と、その水面をじっと見つめる。


 やがて。


 らしくないよなぁ


 サイラスが、にやりと笑った。


 自由に戦い、自由に生きる。それが、俺のモットーだ!


 サイラスの体に魔力が満ちていった。同時に、右手の剣にも魔力が満ちていく。

 二つの魔力が混ざり合う。一体となった魔力が、周囲の空気をかき混ぜていく。

 水面にさざ波が起きた。普通なら、それはサイラスの動きを知らせるサインだ。動き出す前の動きをミナセに知らせるための、敵にとって恐るべき現象のはずだった。

 しかしそのさざ波は、サイラスの足元だけに起きたのではなかった。そのさざ波は、水面全体に発生していた。

 ミナセの目が広がっていく。


「いくぜ!」


 サイラスが大きな声を上げた。

 さざ波が、荒れ狂う波と化す。それは、もはや相手の動きを知らせるなどという状態ではなかった。


「うぉりゃー!」


 サイラスが横殴りに剣を振る。

 猛烈な風が吹き荒れた。風が水を吹き飛ばしていく。


「バカな!」


 目を見開くミナセの目の前で、水面が完全に消え去った。

 水に代わって、風がその場を支配する。


 ヒュアァ


 突然、ミナセの背後から強い風が吹いた。同時に、ミナセの体がサイラスの側へと”吸い込まれて”いく。

 直後、サイラスの剣がミナセの頭上から降ってきた。


 準決勝でカイルを翻弄した攻撃。単に速いと言うだけではない、何かがおかしいとさえ思えるサイラスの動き。

 ミナセはそれを……


 タンッ!


 真横に飛んで、きれいにかわした。

 かわしながら、ミナセが剣を真横に払う。


 静止した水のような心。

 驚きの方法でプレッシャーを跳ね返されても、不可解な風に揺さぶられても、ミナセの心が乱れることはなかった。

 サイラスの動きを見極めて、次の展開を予測する。

 いくつもの試練を乗り越えて、ミナセの心は強くなっていた。


 サイラスは、完全にミナセの剣の間合いの内側。狙うは胴。外れることのない反撃だ。

 

 もらった!


 ミナセが確信した、その時。


「!」


 ミナセの体が流されていく。軽く飛んだだけなのに、思いも寄らない速さで、ミナセの体が飛んだ方向に押し流されていった。

 ミナセの剣が空を斬る。ミナセの体勢が崩れていく。そこに再び、サイラスの剣が襲い掛かってきた。


「あっ!」


 観客席から悲鳴が上がった。

 ミナセの足は、舞台を踏みしめられる状態ではない。どう考えてもサイラスの剣は避けられない。

 避けられない以上、剣で受け止めるしかないのだが、空を斬ったミナセの剣は、ミナセの体から遠い位置にある。


 終わった!


 誰もがそう思った瞬間。


 ガンッ!


 鈍い音と共に、サイラスの剣をミナセの剣が弾いた。


「なにっ!」


 驚くサイラスの目の前で、ミナセが体勢を整えて剣を構え直す。


「何であそこから剣が戻って来られるんだよ!」


 想像もしていなかった剣の動きに、サイラスは思わず声を上げた。


 振り切った剣が、あり得ない速さで戻ってくる。

 それは、ミナセがストラースとの戦いから学び、そして身につけた技術だった。ただしそれは、ストラースのものとは本質的に違う。

 ストラースは、力と速さで剣を操った。ゆえに、その剣は跳ね上がるように戻ってくる。

 だがミナセの剣は、最初から戻ってくることを前提としていた。先読みを駆使し、相手の動きを読んで剣を操る。ゆえにその剣は、振り切られることなく途中で減速をして、予定通りに戻ってくるのだ。

 体が押し流されることを感じた瞬間に、ミナセは剣を戻し始めていた。刻々と変わる状況の、そのすべてにミナセは対応していた。


「すげぇ!」

「さすがミナセ!」


 割れんばかりの大歓声。

 その歓声を受けて、静かに剣を構えるミナセは、しかし内心焦っていた。


 サイラスの体の動きは読める。状況の変化にもある程度は対応できる。

 しかし、風の動きを読むことができない。


 いつどこから吹いてくるのか分からない風。

 サイラスの動きを加速させ、ミナセの動きに干渉してくる風。

 先読みを得意とするミナセが後手に回っていた。戦いをコントロールすることができていなかった。


 ミナセの表情は冷静そのものだ。普通の相手なら、得意な攻撃を平然と防がれて動揺する場面。

 だが、サイラスにそのポーカーフェイスは通用しなかった。

 ミナセと同じく、相手の心の動きを感じることのできるサイラスは、ミナセの焦りをはっきりと捉えていた。


「さてと。じゃあもう一回、いきますか!」


 サイラスが動いた。風が吹いた。

 サイラスの猛攻が始まった。


 サイラスの剣を、ミナセが受け止める。サイラスの剣を、ミナセは避けることをしなくなった。すべての攻撃を剣で受け止め、あるいは受け流している。

 最初の時と同じように、避けようと思えば避けられた。だが、避けた直後の不安定な状態を、おそらく風が見逃してくれない。最初の時と同じように、避けた方向に引き寄せられるか、あるいはまったく違う方向に押し流されるか。


 次に体勢を崩したら危険だ


 どこから風が吹いても、どちらに吸い込まれそうになっても耐えられるように、ミナセは腰を落として備えていた。


 サイラスが攻める。

 ミナセが守る。


 試合は、またもやミナセの防戦一方となった。


「またかよ」

「なんでミナセは、いつも守ってばっかりなんだ?」


 観客たちが不満を漏らす。期待を裏切るミナセの戦いぶりに、多くの観客が非難の目を向けていた。

 ブーイングが起こる中、ミナセの戦いをじっと見ていたマークが突然聞いた。


「フェリシア。たしか魔法で、特定の場所の空気を薄くすることができたよな?」

「え? あ、はい」


 瞬きも忘れて試合に見入っていたフェリシアが、驚いたように答える。

 風の魔法の第三階梯、サフォケーション。対象の周囲の空気を薄くして、相手を窒息させる魔法だ。以前フェリシアが、マークと二人で故ジュドー伯爵の屋敷に乗り込んだ時、兵士たちに対して使ったことがあった。


「その魔法と、強力な風を起こす魔法、ストームだっけ? を同時に使うことはできるか?」

「まったく同時にというのは難しいですけど、連続して使うということなら、訓練次第ではできるかもしれません」

「なるほど」


 マークが頷いた。


「サイラスは、風と、気圧を自在に操れるのかもしれないな」

「キアツ、ですか?」


 フェリシアが首を傾げる。会話を聞いていたみんなも、マークの言葉が理解できないようだった。

 みんなの疑問に答えることなく、小さな声で、マークが言った。


「ミナセ、お前なら気付くはずだ」


 サイラスの猛攻に耐え続けているミナセを、漆黒の瞳が強く見つめていた。

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