決勝前夜

 相手の動きを捉える。

 その、上。


 相手の気配を捉える。

 目でも耳でもなく、相手の位置や動き、刃の動きを感覚で捉える。

 さらに、その上。


 相手の意識を捉える。

 相手の視線や体の動きとは関係なく、相手の心の状態や集中しているものを捉える。

 その領域に達した時、人間を相手にした戦いでは、もはや負ける気がしなかった。

 一つの頂点に達した。そう思っていた。


 だが。


「まさか、あいつは意識を”支配している”とでも言うのか!?」


 サイラスの目が、瞬き一つせずに舞台の上を見ている。

 まったく動かなくなったリスティと、リスティに向かって歩くミナセを凝視している。

 場内にいるすべての観客たちが見つめる中、ミナセがリスティの正面に立った。

 そして、手刀でリスティの首筋を打つ。


 ドサッ


 リスティの体が崩れ落ちた。

 審判が、恐る恐る近付いていく。

 そして。


「し、勝者、ミナセ!」


 審判が、試合終了を告げた。

 場内がどよめきに包まれていく。試合が終わったというのに、歓声も拍手も聞こえてこない。

 そこに突然、大きな声がした。


「ミナセー! よくやった!」


 ミナセが、声の主を見て笑う。

 数名の男たちに引きずられながら、ヒューリがミナセに向かって親指を立てていた。


「まったく」


 小さくつぶやいて、ミナセは砕かれた木刀を拾い集める。そして、倒れているリスティと審判に一礼し、最期に貴賓席に頭を下げて、静かに舞台を下りていった。


 通路の入り口で、サイラスが聞く。


「お前、何をした?」


 立ち止まることなくミナセが答えた。


「全力で戦っただけです」


 控え室へと歩いていくその背中に向かって、サイラスがつぶやく。


「化け物め」


 つぶやいて、サイラスは気が付いた。自分の手が、小刻みに震えている。


「化け物め」


 もう一度言って、サイラスは笑った。

 その顔には、不敵な笑みが浮かんでいた。



 その日の夕方。


「本当にすみませんでした!」


 立ち上がったリリアが、思い切り頭を下げている。


「とにかく、無事で何よりだったよ」


 明るく笑うマークの言葉に、みんなも笑って頷いた。


 ミアの状態回復魔法で目覚めたリリアに、外傷は一つもなかった。

 リリアをさらった男たちは、同じくミアの魔法で傷を回復させてから、馬車に乗せてアルミナに連れて帰り、衛兵に引き渡している。


「またお前たちか……」


 本署の署長が、男たちにではなく、マークたちにそう言って苦笑した。

 事情を聞いた署長が、試合会場を管轄する分署に連絡をしてくれて、拘束されていたヒューリも無事解放された。

 試合でボロボロになったミナセは、大会の医療スタッフと、最終的にはミアの魔法で傷を回復させて、今はみんなと一緒に打ち合わせに参加している。


「ミナセ、今日は本当によく耐えてくれた。ありがとう」

「いえ……」


 マークに言われて、ミナセが頬を染める。


「痛みはもうないのか?」

「はい」

「傷跡は残っていないか?」

「だ、大丈夫です」

「絶対に我慢はするなよ。何か異常を感じたら、すぐに言うんだぞ」

「……分かりました」


 答える度に、なぜかミナセがうつむいていく。

 そのミナセを不思議そうに見ていたヒューリが、突然自分の膝をバチンと叩いた。


「それにしても」


 ヒューリが大きな声を上げる。


「黒幕は一体誰なんだ? 相手が誰であろうと、私は絶対そいつをぶっ飛ばすからな!」


 あの男たちは、どう見てもただのごろつきだった。必ず背後に主犯がいるはずだ。

 リリアをさらい、ミナセに大変な思いをさせ、ほかの社員たちを苦しめた相手を、ヒューリは許すことができなかった。

 険しい顔のヒューリに、マークが言う。


「あの男たちから、黒幕に辿り着くのは難しいだろう」


 冷静な言葉に、ヒューリは思い切り不満顔。

 何か言いたそうなヒューリを目で押さえて、マークが続ける。


「この件は衛兵に任せる。今は何も考えるな。俺たちは、ミナセが決勝戦に集中できるようサポートに徹するんだ」

「はい……」


 ヒューリが渋々返事をした。

 ほかのみんなも何となく納得できないという顔をしていたが、マークの言う通り、今は明日の試合が優先だ。犯人探しをしている場合ではなかった。


「そう言えば、ミナセのあれ、明日の朝にはでき上がるのよね?」

「ああ。武器屋のおっさんはそう言ってた」


 フェリシアにヒューリが答える。


「相手は自分の剣が使えるのに、何だか不公平な気がします」


 不満そうなミアを、ミナセが笑った。


「私の太刀は使えないんだ。仕方ないだろ?」

「そうですけどぉ」


 頬を膨らませるミアを、みんなも笑う。


「明日は単独行動を控えよう。フェリシアとミアは、会場までミナセの護衛。残りのみんなで武器屋に行って、それを取ってから会場に向かう。いいね?」


 全員の目を見てマークが言った。


「はい!」


 マークの目を見て、全員がはっきりと返事をしていた。



 夜。


「監視網をすり抜けたということか」

「申し訳ございません」


 男が頭を下げる。


「気にするな、とは言わぬ。だが、この町の中では監視をすること自体が難しいのだ。そなたの責任を問うことはせぬ」

「恐れ入ります」


 静かな声に、男はもう一度頭を下げた。


「それで、そなたの見解はどうなのだ?」

「はい。糸を引いていたのは、十中八九、”あの方”だと思われます」

「そうか」


 沈黙。

 のち。


「調査は続けてくれ。だが、決して無理はするなよ」

「かしこまりました」


 返事をして、男は扉とは違う別の出入り口から部屋を出ていった。


 静寂。

 のち。


「やつは、狂ってしまったのか?」


 憂いに満ちた声がした。


「わしは、いったいどうすれば……」


 緩く首を振りながら、憂いに満ちた背中が、静かに部屋から出ていった。

 


 同じ頃、某屋敷内。


 トントントン


 返事はない。


「入ります」


 か細い声が、扉を開けた。

 部屋の照明は点いていない。廊下から差し込む明かりで相手の位置を確かめると、声の主は、部屋に入って扉を閉めた。

 そのまま、暗闇の中を真っ直ぐ歩いていく。そして、壁に背を預け、黙って床に座った。


「何をしにきた?」


 低い声が聞いた。


「何も」


 か細い声が答えた。

 暗闇の中に、動く者はいない。それ以上交わされる言葉もない。

 静かに時間が過ぎていく。すべを知らない者たちの、不器用な夜が更けていった。

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