全力
「見えたわ!」
フェリシアが叫ぶ。
「何だって?」
ヒューリも叫ぶ。
フェリシアとヒューリの二人は、アルミナの町に向かって猛烈な速さで飛んでいた。
風除けのシールドも張らず、フライに全魔力を集中してフェリシアは飛んでいる。
ゴオォォッ!
もの凄い風切り音で、フェリシアの声はヒューリにさえも聞こえない。
「私はここまでよ!」
「だから聞こえないんだって!」
ヒューリが怒鳴るが、そんなものは無視して、フェリシアが急降下を始めた。
「なにーっ!?」
自然落下などという速度ではない。まるで落ちていく隕石のように、加速しながら二人は地上へと向かう。
そして。
フワァ、ストン
フェリシアが地上に降り立った。
ドサッ! ゴロゴロ……
ヒューリが地面に転がった。
「し、死ぬ……」
ヒューリの顔は真っ青だ。
そのヒューリに、容赦のない声が降り注ぐ。
「何やってるの、走って!」
急き立てられて仕方なく立ち上がったヒューリは、フェリシアの吊り上がった目を見て怯む。
「お、覚えてろよー!」
逃げていく悪役のようなせりふを残して、ヒューリはアルミナの東門の中へと駆け出していった。
やり取りを見ていた門番の衛兵が、恐る恐るフェリシアに声を掛ける。
「あの、いったい何が?」
ヒューリの背中を睨んだままで、フェリシアが答えた。
「町の中でフライは禁止でしょ? 社長から、ミナセの勝利にケチをつけるようなことはするなって言われたから、我慢してここで降りたのよ」
「えっと、おっしゃっている意味が……」
衛兵が首を傾げる。するとフェリシアが、衛兵に向き直って、プンプン怒りながら言った。
「だいたい、あなたたちがしっかりしていないからこうなるんでしょう? 衛兵さんが町の平和を守れなくてどうするのよ!」
「すみません!」
訳も分からず謝る衛兵に、フェリシアが文句を言い続ける。
不思議なその光景を、通り過ぎる人たちが不思議そうに眺めていた。
コロシアムの中は静まり返っていた。
「どうして……」
そんなつぶやきが時々聞こえるくらいで、声を発する者はほとんどいない。
多くの人が見つめる中で、ミナセが肩で息をしている。
その腕にも足にも、数え切れないほどの痣が浮かんでいた。
「はあ、はあ、はあ」
ミナセの体力は限界に近かった。木刀はとっくに失われている。急所をかばうために、ミナセは、リスティの剣を手と足で防いでいた。
魔法の布で衝撃が吸収されるとは言え、剣を生身で受け止めれば、ダメージを負うのは当然だ。
それでもミナセは、リスティの前に立ち続けていた。
「まだ、やるのか?」
リスティが聞いた。
「当然だ」
ミナセが笑った。
「私が倒れるのが先か、お前の体力が尽きるのが先か、勝負だ」
リスティが唇を噛む。
ミナセを睨み付ける。
「分からなぇな」
決して光を失うことのない黒い瞳に向かって、リスティが言った。
「そういうの、最高にムカつくぜ」
ヒューリは走る。アルミナの町を赤い閃光が駆け抜けていく。
大通りから裏通りへ。裏通りから路地へ。路地からまた大通りへ。人混みを縫い、障害物を飛び越えて、ヒューリは全速力で駆けていった。
やがてヒューリは、本戦会場へと辿り着く。
ゲートには、入場券をチェックするスタッフたちがいた。スタッフたちは、土煙を上げながら猛然と走ってくるヒューリに目を丸くするが、そのうちの一人が、ヒューリの行く手に決然と立ちふさがる。
「ここから先はチケットを……」
ビュン!
その横を、突風が通過していった。
「ちょっと!」
スタッフが驚く。だがその責任感は、そんなことで萎えることはなかった。
「不法入場だ! みんな追え!」
「はい!」
数人のスタッフが、あっという間に小さくなっていくその背中を追って走り出した。
ヒューリは走る。会場の敷地にあまり人はいないが、まだ試合は終わっていないはずだ。
コロシアムの中に、たくさんの人の気配を感じる。ほとんどの人が、観客席で試合を見ているのだろう。
すでにかなりの時間が経っている。第一試合がそれほど長引いているとは思えないから、今試合をしているとすれば、それはミナセだ。
すぐ行くからな!
ヒューリが最後の力を振り絞る。ミナセに向かって必死に走る。
そしてヒューリは、ついに観客席へと続く扉の前に辿り着いた。
すると。
扉が閉まってる!?
試合中は、観客席の出入りが禁止されていた。選手の集中力を損なわないための措置だ。
扉の前には男が二人。入場ゲートにいたスタッフと違って、なかなかにごつい男たちだった。
「入れてくれ!」
「だめだ」
必死のヒューリに、つれない答えが返ってくる。
「こ、これ、ロダン公爵からいただいたチケットだ!」
選手関係者席に入ることのできる、ロダン公爵が手配してくれた特別なチケット。
それを男たちに見せるが、やはり答えは変わらなかった。
「だめだ。ロダン公爵はルールを守るお方。なおさらお前を通す訳にはいかん」
「かあぁぁ!」
ヒューリは頭を抱えた。
ここで男たちをぶちのめすのは簡単。だが、そんなことをすれば、ミナセの勝利にケチがつく。
どうすれば……
そこに、入場ゲートのスタッフたちが追い付いてきた。
「そいつは……はあはあ……不法入場者だ!」
「何だと?」
扉の前の男たちが眉をひそめた。
「まさか貴様、そのチケットも偽造か?」
男の一人が前に出る。
「尊敬するロダン公爵の名を語るなど言語道断。衛兵に突き出してやる!」
やばい!
ヒューリは焦った。こんなところでトラブルを起こしている場合ではない。
とは言うものの、ここから逃げたところで、観客席に入るほかの扉も同じように閉まっているはずだ。どこに行っても、おそらく状況は同じ。
ならば!
「後で事情は説明する。悪いけど、通らせてもらうぞ!」
「させるか!」
迫る男たちの腕を掻い潜って、ヒューリが扉へと向かう。
ドガッ!
その扉を体当たりでこじ開けて、ヒューリは観客席へと飛び込んでいった。
「待てっ!」
「待たん!」
後ろに怒鳴り返して、ヒューリはまたもや走り出す。
階段状の観客席の中段に出たヒューリは、舞台に立っている二人を見下ろして、目を見開いた。ギリギリと奥歯を噛み締めると、そのまま飛び降りるように階段を下りていく。
そして最前列の柵を掴み、乱れに乱れた息を整えて、大きく息を吸い込むと、全身で叫んだ。
「ミナセーッ!」
静まり返っていた会場に、ヒューリの声が響き渡る。
ピクッ
ミナセの肩が、震えた。
「いたぞ!」
「捕まえろ!」
背後からスタッフが迫ってくる。
それを無視して、再びヒューリが叫んだ。
「社長からの伝言だ!」
みんなの想いが、ミナセに向かって放たれた。
「全力でやっちまえー!」
ミナセが、声を方向を見る。
「まったく」
ミナセが笑った。
「遅いんだよ」
スタッフたちに飛びつかれ、もがいているヒューリを見て、ミナセが笑った。
それを見て、リスティが言う。
「何だか分からねぇが、ほんと、遅かったよな」
リスティも笑っていた。
「今さらやっちまえって言われたって、もうお前には何もできやしな……」
ゾクッ!
リスティが、突然後ずさる。
強烈な悪寒を感じて、リスティはミナセから距離を取った。
ミナセがリスティを見ている。
黒い瞳が、リスティの瞳を静かに見つめていた。
なんだ……?
ミナセはすでにボロボロだ。武器はなく、全身には痣と傷。まともに戦える力はどう見ても残っていない。リスティの言う通り、ミナセにできることなどもう何もないはずだ。
それなのに。
「私にはもう何もできないと、お前は思っているんだろうが」
ミナセが言った。
「残念ながら、何もできないのはお前の方だよ」
「なん、だと?」
目を見開くリスティの前で、ミナセの気が鎮まっていく。
「お前ごときに、この技を使う必要なんてないんだけどな」
ミナセの瞳が、不思議な光を帯びていった。
「社長命令だから、仕方がない。全力でいかせてもらう」
「てめぇ、何を……」
リスティは感じていた。
正体の分からない恐怖。本能が伝えてくる恐怖。
「終わりだ」
ミナセが言った。
「奥義」
リスティの目を見て、静かに言った。
「明鏡、止水」
突然、ミナセの足元から水が激しく湧き出した。
急速に、音もなく、水はその領域を広げていく。
バカな!
リスティが目を剥いた。
全身を鳥肌が覆っていった。
何が起きている!?
水は勢いよく湧き出している。それなのに、その水はさざ波一つ立てていない。
静かに、鏡のように、水の領域が広がっていく。
水は、すでにリスティの足元に達していた。
その水位が徐々に上がっていく。
奥義、明鏡止水。
ミナセ最大の技。相手の心と同調し、相手を支配する究極の秘技。
攻撃をかわし続けながら、ミナセはリスティの瞳を見ていた。その瞳の奥にあるリスティの意識を、すでにミナセは完全に捉えていた。
リスティの顔に脂汗が浮かぶ。
体が動かない。
指一本動かすことができない。
水がリスティを飲み込んだ。極度に透明度の高い、恐ろしく静かな泉の底に沈んだような感覚。
何もできない。呼吸すらできない。
それなのに。
何かが近付いてくる。
音もなく、静かに何かが近付いてきた。
なんで……?
リスティがパニックを起こした。
剣を構えたリスティがやってくる。
動けないはずの自分が、自分を倒しにやってくる。
助けて……
勝負など、もうどうでもよかった。
お願いだ……助けて……
閉じることのできない目で、目の前に立つ自分を見る。
恐怖で、魂が震えた。
助けて……くれ
動かせない口で救いを求め、開いたままの目から涙を流しながら、リスティの意識は、透明な水の中に溶けていった。
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