母と娘

「おや、お母さんにお弁当を持って行くのかい?」

「はい」

「偉いねぇ」


 ミナセは、年配の女性にきちんとお辞儀をすると、包みをしっかりと持ち直して、少し早足で歩いていく。


「やっぱり似てきたねぇ」

「ありゃあ、間違いなくいい女になるな」


 町の人たちが、その姿を目で追う。

 たくさんの暖かい視線に見守られながら、ミナセは真っ直ぐに前を見て、真っ直ぐに通りを歩いていった。



「お母様、お弁当を持ってきました」

「おっ、すまない。そこに置いといてくれ」


 言われた通りお弁当を机の上に置き、ミズキから少し離れたところにイスを運んできて、ミナセはそれに座った。


 ミナセは、七才になっていた。


 背も伸びて、いすに座っても足をぶらぶらさせることはない。本格的に剣術を習い始めたせいか、背筋を伸ばしてきちんといすに座っている。

 ますますミズキに似てきたその美貌は、確実に将来ウィルを悩ませることになるだろう。

 そして、ますますミズキに似てきたその性格は、現在のウィルを少しだけ悩ましていた。


 負けず嫌いに拍車が掛かっている。


 七才のミナセが、剣術で門下生に勝てるはずがない。

 それなのに。


「もっと本気を出せ!」

「お嬢様、そう言われましても……」

「いいから!」


 そう言って門下生に立ち向かうが、当然あっさり負けてしまう。

 負けてもミナセは引き下がらない。何度も挑んでくるミナセにつられて門下生がムキになり、力を込めてミナセの木刀を叩き落とす。

 手が痺れるほどの衝撃を受けているにも関わらず、ミナセは不敵に笑って言った。


「今くらいでちょうどいい。もう一回!」


 そんなミナセを前にして、ウィルの心中は複雑。


「間違いなくあの子は強くなる。強くはなるが……」


 男の子顔負けの、気迫溢れるミナセを見てつぶやく。


「いちおう、女の子なんだよなぁ」


 ミズキの特殊な体質が分かってから、ミナセは時々診療所で検診を受けていた。ミナセの体からアダマンタイトの反応が出たことはなく、医者からは、ミズキの体質を受け継いではいないだろうと言われている。

 そのことにホッとしてはいるのだが、元気過ぎるのもどうかと思ってしまう。


「まあ、無事に成長してくれてるだけでよしとするか」


 ミナセのことが可愛くて仕方ないウィルは、愛娘が木刀を振るう姿を、苦笑しながらもそのままにしていた。


 成長と言えば、ミナセの言葉遣いも少しずつ変わっていった。


 友達や門下生のような、親しい間柄の相手には男言葉のまま。

 初対面の人や町の人たちには、丁寧な言葉を使う。

 そして、両親に対しては敬語を使うようになっていた。


 普通の女の子とは少し違う、ちょっとちぐはぐな言葉遣い。


 ウィルや、最近話し方が変わってきたミズキ、門下生や町の住人など、様々な人を観察して、ミナセなりに考えた結果らしかった。


 口数は相変わらず少ない。

 しかし、ミナセはとてもよく考える子供だった。


 負けず嫌いだが、他人に迷惑を掛けることはない。

 礼儀正しいが、律儀で少し生真面目なところがある。


 ミナセの性格は、この頃から形作られていったようだった。



 自分を見つめるミナセのことなど見向きもせずに、ミズキは手に持った剣を睨み付けている。


「ふぅ」


 ひと段落ついたのか、ミズキが剣を置いて、息を吐き出した。

 ……と。


「ゴホッ! ゴホッ、ゴホッ……」


 ミズキが強く咳込んだ。

 ミナセが、素早くコップに水を汲んできてミズキに差し出す。


「お母様、大丈夫ですか?」


 黒い瞳が心配そうに揺れている。

 そんなミナセの頭をそっと撫でて、ミズキが言った。


「大丈夫。心配いらないよ、ミナセ」


 ミズキが優しい顔で笑う。

 少しやつれた顔で笑った。


 飲み終わったコップをミズキから受け取って、それを包むように両手で持ったまま、ミナセは黙り込んだ。

 いつものミナセなら、机からお弁当を持ってきて、ミズキの横にぴったりとくっついて座るところだ。

 だがミナセは、空のコップを見つめたまま、ただ静かに立っている。


 葉のこすれ合う柔らかな音。

 小鳥のさえずり。

 舞い込んできた春の風が、ミナセの黒髪を優しく撫でていく。


「おいで、ミナセ」


 ふいにミズキが、ミナセに声を掛けた。ミナセはちょっと驚いて、ちょっと躊躇った後、そっとミズキの隣に座った。

 ミズキとの間に、少し隙間がある。

 その隙間を、体をずらしてミズキが埋めた。


 ミナセの左肩に、ミズキの右腕がぴったりとくっつく。

 柔らかくて暖かい。

 お母様の温もり。大好きな温もり。


 ミナセは、その温もりに少しだけ体を預ける。

 そして、ちらっとミズキを見て、うつむきながら小さく言った。


「お母様、聞いてもいいですか?」

「どうぞ」


 ミズキの穏やかな声がする。

 ミナセは、ミズキを見ることなく、コップを見つめたままで聞いた。


「どうしてお母様は、剣を打ち続けるのですか?」


 ミナセの問いに、ミズキは黙っている。


「私、心配なんです。お母様、ずっとここに籠もったままで……。最近帰りも遅いし、お咳も止まらないし」


 ちらりと、またミズキを見る。


「お父様にも言いました。お母様は少し休んだ方がいいんじゃないかって。でもお父様は、お母様の好きにさせてあげなさいって言うだけで」


 ミナセの声が、消えてしまいそうなほど小さく頼りなくなっていく。


「私、お母様のことが……」


 ミナセの言葉が途切れた。

 両手でコップをぎゅっと握る。


「私……」


 声が掠れる。

 小さなその目をぎゅっと閉じる。


「私、お母様ともっと……」


 ミナセは我慢した。


 だめなんだ。こんなところで


 だけど、やっぱり我慢できなかった。

 固く閉じた両目から、涙が溢れ出す。


 涙を止めようと思って、ミナセは一生懸命目を閉じた。

 一生懸命、ぎゅっとぎゅっと、目を閉じた。

 それなのに、どうしても涙は止まってくれなかった。

 ちから一杯目を閉じているのに、歯を食いしばって我慢しているのに、どうしても涙は止まってくれなかった。 


「ごめんなさい」


 ミナセは謝った。


「こめんなさい」


 泣いてしまった自分を責めて、ごめんなさいを言い続けた。


 ふいに。


 ふわり


 ミナセが包まれる。

 肩と、頭と、頬が暖かい。

 ほんの少しのびっくりと、すごくたくさんの安心で、ミナセの涙が止まった。


「ごめんね」


 頭のすぐ上で声がする。


「ミナセはいい子だね」


 髪が優しく撫でられる。

 すごく気持ちよくて、すごく安心する。

 ミナセの体から力が抜けていった。コップを持ったまま、すぐそばにある大好きな温もりを両腕で抱き締める。

 頭の上から、また声がした。

 

「ミナセ。今度一緒に、どこかへ遊びに行こう」

「うん」

「ウィルも……お父様も一緒に、三人で遊びに行こう」

「うん」


 ミナセは頷いた。

 何度も何度も頷いた。


 ミナセ、七才の春。


 それはまるで春の日差しのような、ぽかぽかの、幸せなひとときだった。

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