ずっと一緒に

「あんたが研いだ包丁を使うと、料理の味が全然違うんだ。また頼むよ」

「はい、喜んで」

「じゃあこれ、お代」

「あ、今回は結構です。この間ミナセにお菓子をいただいたので」

「そんなの気にしなくていいよ。お代はお代だ、取っときな」

「すみません」


 受け取った代金を財布にしまうと、ミズキは、食堂の主人に丁寧に頭を下げた。


「これも持っていきなよ。ミナセちゃん、オムライス好きでしょ」

「ありがとうございます」


 女将から卵をもらって、ミズキはもう一度頭を下げる。


「では、私はこれで」

「気を付けてな」


 夫婦に見送られながら、ミズキは道場へと帰っていった。


「あの子、変わったわよね」

「ああ、そうだな」


 女将の言葉に頷きながら、主人が包丁を一丁取り出す。その研ぎ澄まされた刃先を惚れ惚れと眺めて、にっこりと笑った。


「相変わらず、いい腕だ」



 結婚してからも、ミズキはしばらくミズキのままだった。話し掛ければ答えるが、愛想がよいとは言えず、しかも言葉遣いは男のもの。毎日鉱山に出掛けては、鉱石を掘ったり刀を打ったりと、町に住む女とはまるで違う生活を送っている。

 ミナセが生まれてからは、ミナセをおぶって鉱山を往復する姿がみんなの注目を集めていた。

 ミナセが少し大きくなってからは、お弁当を抱えて駆けていくミナセの姿を、複雑な思いでみんなが眺めていた。


「ちょっと先生。いいのかい、今のままで」


 町の人たちは、ウィルに会う度にそんなことを言っているのだが、ウィルの答えはいつも同じだった。


「はい。俺は、ミズキさんと結婚できただけで幸せですから」


 呆れる人や感心する人など反応は様々だったが、町の人たちにとって、ミズキは常に気になって仕方のない存在だった。

 だが、いつの頃からか、そのミズキが変わった。言葉遣いが丁寧になり、そして、固いながらも町の人たちに笑顔で挨拶をするようになっている。


「ちょっと、何かあったのかい?」

「何もないと思いますよ。道場の中ではいつも通りですから」


 住み込みの門下生から話を聞いて、町の人たちが首を傾げる。


「先生、あの子に何か言ったのかい?」

「いいえ、俺は何も言っていませんよ」


 ウィルの答えを聞いて、また首を傾げる。

 で、結局。


「直接話してみりゃあ分かるさ」


 大工の棟梁のこの一言で、町の人たちは、ミズキに積極的に話し掛けるようになったのだった。


「こんにちは。今日もいい天気だね」

「ああ、いい天気だ……ですね」


「ミナセちゃん、大きくなったねぇ」

「えっと、まあ、そうだ……ですね」


「ミズキさん、今日もべっぴんさんだね!」

「……」

「うわっ、そんな目で見ないでくれ!」


 他愛のないやり取り。町でよく耳にするごく普通の会話。しかし、そんなものが互いの距離を縮めていく。

 ミズキにお裾分けを持たせる人が増えた。研ぎの仕事を頼む人が増えた。ミズキもお返しをするようになり、時には無料で刃物を研いだ。


 背筋を伸ばしてミズキは歩く。黒髪をなびかせ、深い輝きを放つ黒い瞳を前に向けて、真っ直ぐにミズキは歩く。

 子を持つ母親とは思えない美しさ。

 だが、その顔はとても穏やかだった。その微笑みは、まるで教会に飾られた聖母の絵のように優しかった。


「ほんと、惚れ惚れするねぇ」

「それ、何の話だい?」

「えっ? あ、いや、もちろん包丁の話だよ」

「ふん、どうだか」


 いつしかミズキは、ウィルと同じように、町の人たちにとって自慢の、そしてとても大切な存在になっていった。



「気を付けて行ってくるんだよ」

「いってきます!」


 遊びに出掛けるミナセに、ウィルが声を掛けた。

 鉱山でミズキと一緒にお弁当を食べた後、ミナセはいつも道場に戻ってくる。午後は門下生と剣術ごっこをしたり、ウィルと買い物に行ったりするのが常だったのだが、最近は友達が増えたらしく、ウィルの誘いを断って遊びに行ってしまうことも多くなっていた。

 ウィルは、ちょっと寂しげだ。

 でも。


「さて、行くか」


 今日のウィルは、なぜか嬉しそうに出掛ける支度を始めた。

 ウィルのお手伝いが大好きなミナセのために、子供用のエプロンを買いに行くつもりだ。


「俺も、ちょっと出掛けてきます」

「先生、顔が緩んでますよ」

「えっ? そんなことは、ないと思いますが」


 門下生に言われて表情を引き締め直したウィルは、だが門を出たところで、やっぱり頬を緩ませた。

 小さなミナセが、エプロンをして自分の隣で笑っている。そんな姿を想像するだけで、ウィルの心は弾んでいく。自然と体も弾んでいく。


「先生、気持ち悪いよ」

「えっ? そんなことは、ないと思いますが」


 宿屋の女将に言われたウィルが、背筋を伸ばしながら、だらしない顔で答えた。


 あちこちから声を掛けられ、数人から白い目を向けられながら店に着いたウィルは、店主に散々からかわれつつも、無事に子供用のエプロンを買うことができた。紙袋をしっかりと抱え、ニコニコ顔で店を出る。

 そして、その足を北へと向けた。


「ミズキさんのところに行ってみるか」


 ここから鉱山までは、歩いて二十分も掛からない。ミナセがお弁当を届けてくれるようになってから、ウィルが鉱山に行くことはほとんどなくなっていた。

 以前はよく通っていた懐かしい道を、ウィルは歩く。


「ミズキさん、大丈夫だろうか?」


 先ほどまでとは打って変わって、ウィルの眉間にはしわが刻まれている。

 今朝のミズキは、体調が悪そうだった。

 ウィルは、魔力の流れを感じることができる。ミズキの魔力が、今朝は明らかに乱れていた。

 いや、今朝だけではない。ミズキの魔力の流れがおかしいと感じることが、ここ最近多かった。

 

「やっと掴めてきたんだ。もう少しすれば……」


 そう言って、ミズキは鉱山に通い続けた。その背中を毎日見送ってきたウィルは、小さな不安を抱えるようになっていた。

 やがてウィルは、鉱山に着いた。久し振りの訪問だったが、その景色は何一つ変わっていない。

 周りを見渡して少し微笑んだウィルは、ミズキのいる小屋の扉を開けた。


「ミズキさん、来ちゃいました」


 そう言いながら小屋に入ったウィルの表情が、一変する。


「ミズキさん!」


 慌てて駆け寄るウィルに、横たわっていたミズキが、弱々しく目を開けた。


「ウィル……大丈夫、心配ない」


 そう言って、ミズキは気を失った。



 ほかに誰もいない病室は、とても静かだ。

 ミズキを抱えたウィルが診療所に飛び込んだのは、一時間ほど前。今ミズキは、魔法と薬の治療を受けて、ベッドの上で眠っている。年老いた医者は、ちょっと待っていなさいと言って出て行ったきりだ。


「ミズキさん……」


 ベッドの横のイスに座って、ウィルがミズキを見つめる。治療のおかげか顔色はそれほど悪くなく、呼吸も安定していた。

 ウィルの手がミズキの前髪に触れる。その柔らかな髪をそっと撫でる。

 ふと。


「……ウィル」


 眠っていたはずのミズキが、目を閉じたまま言った。


「はい、何ですか?」


 ウィルが優しく答えた。


「また、世話になってしまったな」

「申し訳ないことに、お粥は用意できていませんが」


 フフッ


 ミズキが笑った。


「今日はちゃんと弁当を食べているからな。あの時みたいに、恥ずかしい思いはしないぞ」

「それは残念です」


 ウィルも笑った。

 ミズキが、目を開けた。


「ここは、診療所か?」

「そうです」

「ミナセが熱を出した時以来だな。まさか私が世話になるなんて」


 ちょっと悔しそうに、ミズキが顔をしかめる。

 その時。


 ガチャ


 扉が開いて、白髪の老人が入ってきた。


「目が覚めたようじゃな」

「はい、ちょうど今」

「そうか、まずは良かった。さて、二人に話しておきたいことがあるんじゃが」


 年老いた医者はそう言って、古ぼけたノートを見せながら、ベッドの横に腰掛ける。


「これは、わしのじいさんが残したものじゃ。鉱山の鉱脈が枯れる前の、この町に鉱夫と鍛冶師が溢れていた頃の記録じゃ」


 黄ばんだ紙をゆっくりとめくりながら、医者が話し始めた。


「鉱山で働く者は、ケガも多かったが、病気も多かった。だが、長い歴史の中で、その対策はずいぶんと進んでいたらしくてな。人が死ぬようなことは、それほどなかったとある」


 トントンとノートを叩いて、医者が続ける。


「そうは言っても、やはり数年に一度は死人が出たそうじゃ」


 医者が、ミズキを見た。


「ミズキさん。魔力を含む鉱石には、どんなものがあるかの?」

「えっ? えっと、ミスリルやオリハルコン、それにアダマンタイトなどが、有名なところだと思いますが」


 突然の質問に戸惑いながらも、ミズキが答える。


「そうじゃ。その中でも、最も硬いと言われているのがアダマンタイト。そうじゃな?」

「そう、です」


 魔力付与がしやすいミスリル。

 強い魔力を持つオリハルコン。

 そして、硬さでは世界一と言われるアダマンタイト。

 鉱夫や鍛冶師であれば誰もが知っている常識だ。


「アダマンタイトは粒子の密度が高く、その結びつきが強い。その上、含まれている魔力が互いに引き合っていることが、硬度を高めている理由だと言われておる。だから加工する時には、熱を加えると同時に、特殊な魔法で魔力の結びつきを緩めてやらないとうまく加工ができない」


 ミズキが頷く。


「そして」


 医者が、ページを一枚めくった。


「その特徴が、人に死をもたらすことがあるのじゃ」


 ウィルとミズキの顔がこわばった。


「鉱山で働いていれば、いやでも粉塵を吸い込む。毎日鉱山に入る訳ではないあんたでも、それは避けられん。普通なら、粉塵は異物として体外に排出されるのじゃが、まれに、それが排出されないことがある」


 医者が、ミズキを見た。


「アダマンタイトの魔力と引き合ってしまう、特殊な魔力の持ち主。そういう人間の体からは、アダマンタイトが出て行かなくなってしまうんじゃよ」

「ミズキさんが、そういう体質だということですか?」


 戸惑いと不安の中で、ウィルが聞いた。


「そういう人間にある魔法を掛けるとな、特殊な反応が出る」


 医者がノートを、まためくる。


「アダマンタイトの反応じゃ。それが、ミズキさんの体のあちこちに現れた」


 ウィルの目が大きく開いていった。


「ミズキさんの場合、アダマンタイトの粉塵を吸い込むと、肺の中に粒子が溜まっていってしまう。やがてそれは、血液に乗って体中に散らばり、徐々に体が不調をきたしていく」


 言葉もなく、ウィルは聞く。


「魔力の流れも、血液の流れも滞るようになる。体が異物を排除しようとして、正常な部分まで壊してしまうこともある。どこがどうではなく、体全体が不調になる」


 ウィルが息を呑んだ。


「それは、治るんですか?」


 それまで黙っていたミズキが聞いた。


「治療法は、見付かっておらん」


 ウィルが目を閉じる。

 ミズキが目を伏せる。


 やがてミズキが、顔を上げた。


「鉱山に近付かなければ、これ以上悪化はしないのでしょうか?」


 ミズキから目をそらすことなく、医者が答える。


「悪化はせんが、よくなることはないじゃろう。あんたがこの町に来たのは十年くらい前だと思ったが、その時からずっと、あんたの体にはアダマンタイトが蓄積されてきた。その影響は大きい」

「と、言うことは……」

「長くは生きられんということじゃ」


 医者が言った。

 震えるウィルの前で、動かないミズキの前で、はっきりと告げた。


「週に一度はここに来なさい。病気の進行を遅らせることくらいはできるのでな」


 医者がノートをパタリと閉じる。


「すまんな」


 ゆっくりと立ち上がって、医者は静かに、頭を下げた。



 ウィルに支えられながら、ミズキはどうにか道場に戻った。心配するミナセや門下生たちに力なく笑って返し、そのままベッドに横になる。もらった薬を飲みながら寝室で療養をしていると、それでも二日ほどでミズキの体調は回復した。

 ミズキのそばにいたいと言ってウィルを困らせていたミナセも、元気になったミズキを見て、安心したように笑う。

 二日振りに三人揃った夕食では、ミズキの横にぴったりとくっついたミナセが、嬉しそうにオムライスを食べていた。


 その夜。


「ミナセは寝ましたよ」

「そうか」


 窓辺に座るミズキの隣に、ウィルが立つ。

 風のない穏やかな夜。ランプを消した部屋の中に、月明かりが差し込んでいた。

 二人は黙って外を見る。

 青白い世界。儚い光に照らされた、夜の世界。


 ミズキが、ぽつりと言った。


「バチが、当たったのかな」


 外を見たまま小さく言った。


「家族も故郷も捨てて、ウィルとミナセのことも放っておいて、たかが刀を作るために……」


 声が途中で途絶える。


「やっぱり、バチが当たったのかな」


 声が掠れていた。

 肩が、震えていた。


 男勝りで負けず嫌い。小さい頃から、刀を打つことばかりを考えてきた。それだけを見つめ、それだけを追い求めてミズキは生きてきた。

 そのミズキが、泣いていた。誰にも見せたことのないその涙が、ポロポロ、ポロポロと止めどなくこぼれ落ちる。

 月明かりの中で、涙は流れる。キラキラと輝きながら流れていく。


「ミズキさん」


 ウィルが、ふいに呼び掛けた。

 ミズキが、少し顔を上げる。


「俺は、剣の修行を止めませんよ」


 唐突に、だが力強い声が響く。


「たとえ三日後に死ぬと分かっていても、俺はその日まで剣の修行を続けます」


 ミズキが、首を傾げてウィルを見上げた。

 涙は止まっている。


「例えば、ミズキさんが死んだとして、その日でさえも、俺は修行をしているでしょう。俺にとって、剣は人生そのものですからね」


 ミズキが驚いて目をパチパチしている。


「それは、ちょっとひどくないか?」


 不満げに、ウィルに向かって言った。


「せめて私が死んだ日くらいは……」


 口を尖らせてウィルを睨む。

 そんなミズキに、ウィルは言った。


「じゃあ、ミズキさんが死んだ日だけは、おとなしくしていましょう」


 とぼけた答えにミズキが頬を膨らませ、そして、小さくクスリと笑った。

 ウィルも小さく微笑む。


「俺たちはね、似ていると思うんですよ」

「似ている?」

「そうです。自分が求めるものを、ひたすら追求していく。常識とか世間体だとかそんなものよりも、自分のやりたいことを優先してしまう」


 ウィルがミズキを優しく見つめる。


「だからね、思うんです。似たもの同士、お互いに最後まで、自分を貫いてもいいんじゃないのかなって」


 ウィルの両手が、そっとミズキの頬を包み込んだ。


「俺は」


 ウィルの瞳がミズキを見つめる。


「ミズキさんを受け入れます。俺やミナセのことを想ってくれるミズキさんも、最高の刀を追い続けるミズキさんも」


 その手がミズキの頬を暖めていく。


「葛藤も悩みも、ミズキさんが決めたこともすることも、その全てを丸ごと全部、俺は受け入れます」


 ウィルの言葉がミズキの心を暖めていく。


「ミズキさんにバチが当たると言うのなら、俺も共にそれを受けましょう」


 ウィルの指が、涙の跡を優しく拭う。

 

「神様が罰を下すと言うのなら、俺も共に罰を受けましょう」


 ミズキの顔が、歪んでいく。


「だからね、ミズキさん。どうか、自分の人生を思いっ切り生きてください」


 ミズキの目から、また涙がこぼれた。


「ミズキさん。俺たちは、ずっと一緒です」


 月明かりを受けて、キラキラと輝きながら涙は流れる。

 ミズキが言った。


「私はバカだな」


 頬を染め、はにかむようにミズキが言う。


「こんなにも私は……」


 続きの言葉は、ミズキの口から出なかった。

 うつむいたその表情は、穏やかな微笑み。


「ウィル」


 ミズキが、ウィルの胸に顔を埋める。


「ずっと一緒だ」


 両腕で、ウィルを強く抱き締める。


「はい。ずっと一緒です」


 ウィルもミズキを抱き締める。

 優しく、力強く、ミズキを抱き締めた。


 窓の外には青白い月。

 儚げなその光が、一つに重なる二つの影を、いつまでも静かに照らしていた。

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