いただきます

「おや、お母さんにお弁当を持って行くのかい?」

「うん」

「偉いねぇ」


 女の子は、年配の女性にぺこりとお辞儀をすると、包みをしっかりと抱え直して、タタタタッと駆けていく。


「似てきたねぇ」

「まったくだ」


 町の人たちが、その姿を目で追う。

 たくさんの暖かい視線に見守られながら、女の子は真っ直ぐに前を見て、真っ直ぐに通りを走っていった。



「お母様、お弁当持ってきた」

「おっ、すまない。そこに置いといてくれ」


 言われた通りお弁当を机の上に置き、母親から少し離れたところにイスを運んできて、女の子はそれにちょこんと座った。

 仕事中の母親に近付くことはしない。

 膝の上に両手を載せ、ちょっとだけ届かない足をちょっとだけぶらぶらさせながら、女の子は母親をおとなしく見ている。

 母親は、娘のことなど見向きもせずに、手に持った剣を睨み付けていた。


「ふぅ」


 一段落ついたのか、母親が剣を置いて息を吐き出す。

 と。


「コホッ、コホッ……」


 母親が咳込んだ。


「お母様、大丈夫?」


 女の子が、いすからぴょんと飛び降りた。

 黒髪をなびかせながら、タタタッと駆けて来て、母親の顔をのぞき込む。

 黒い瞳が心配そうに揺れていた。

 そんな女の子の頭を優しく撫でながら、母親が言った。


「大丈夫。心配いらないよ、ミナセ」



 町を挙げての結婚式が終わった後、ミズキは道場に移り住み、ウィルと仲睦まじい生活を始めた。


 二人のことを、町の人たちは暖かく見守っていた。見守りながら、しかしその様子が気になって仕方のない人たちは、道場に住み込んでいる数人の門下生から毎日のように二人の情報を聞き出していた。

 それによると。


 ウィルはとっても嬉しそう。

 ミズキはとっても恥ずかしそう。


 昼間のウィルは、道場で剣の修行に励んでいる。

 昼間のミズキは、鉱山で剣を打っている。


 ウィルは毎日、料理を作っている。

 ミズキは毎日、それを美味しそうに食べている。


 ウィルは毎日、掃除洗濯に余念がない。

 ミズキは毎日、鍛冶の研究に余念がない。


 ウィルは毎日……


「大丈夫なのか、あの二人は?」


 門下生から話を聞く度に、町の人たちは気を揉んだ。

 ウィルもミズキも、この世界での一般的な婚期をだいぶ過ぎてからの結婚だ。しかも、どっちが主婦なのか分からない、またまたこの世界では一般的ではない夫婦生活を送っている。


「早く子供でも作って、俺たちを安心させてほしいものだが」


 まるで孫を待ち望む祖父母のように、町中がそわそわしていた。


 それでも。


 結婚から一年後、ミズキは可愛らしい女の子を産んだ。

 名前はミナセ。

 二人で決めた、二人の子供の名前。


「ミナセ。お前は絶対、ミズキさんみたいに素敵な女性になるぞ」


 危なっかしい手つきでミナセを抱き上げたウィルが、その顔を見ながら嬉しそうに言う。


「ウィル。どうしてお前は、そんなに恥ずかしいことが平気で言えるんだ?」


 頬を染めながら、ミズキは幸せそうに微笑んだ。


 ウィルとミズキと町の人たちの愛情を受けて、ミナセはすくすくと育っていく。


 艶やかな黒髪と、吸い込まれそうな黒い瞳。

 整った顔立ちと真っ白い肌。


 ミナセは、間違いなくミズキの容姿を受け継いでいた。

 そして性格はと言えば。


「まじめにやれ!」

「そんなこと言われても……」


 遊びで始めた剣術ごっこで、本気を出してくれない門下生に本気で怒るあたり。


「女のくせに生意気だぞ!」

「男のくせに、弱すぎる」


 年上だろうと体が大きかろうと、いじめっ子に迷わず立ち向かっていくあたり。


 男勝りで負けず嫌い。


 ミナセは性格も、かなりの割合でミズキを受け継いでいた。

 ウィルの血のおかげか、料理や裁縫にも好奇心の範囲が及んだのは幸いだったと言えるのかもしない。


 そんなミナセもやっぱり子供だ。母親には甘えたい。

 鉱山の鍛冶場でお弁当を一緒に食べながら、ミナセはぴったりとミズキにくっついている。

 ミズキに時々頭を撫でられて、ミナセは嬉しそうに微笑んでいた。


 食事が終わると、ミナセはお弁当箱を片付けて、ミズキの側に戻ってくる。そして、ちょっとだけ躊躇った後、ミズキに声を掛けた。


「お母様、聞いてもいい?」

「ああ、何だ?」

「私の言葉遣いって、変なのか?」

「ん? どうしてだ?」

「男みたいだって、マリーに言われた」

「えっ?」


 ミズキが、驚いたようにミナセを見る。


「もう一つ、聞いてもいい?」

「……何だ?」

「どうしてうちでは、ウィルがお料理を作るの?」

「うっ!」

「料理は女が作るものだって、シャルが言ってた」

「……」


 ミズキの目が泳いでいる。


「ねぇ、どうして?」


 自分と同じ黒い瞳が、真っ直ぐに自分を見つめている。

 ミズキは動揺した。うまい答えが見付からない。

 ミズキは困った。困って、唸って、そして、ミナセを見ずに言った。


「……今度、教えてやる」


 母親をじっと見ていたミナセが、無表情のままで答えた。


「分かった」



 その夜。


「今日は、ミナセの好きなオムライスだぞ」


 ウィルが、満面の笑みでお皿を運んでくる。

 ミナセは無言。でも、その目はキラキラ。

 お皿がテーブルに置かれる前からスプーンに手を伸ばし、早くもオムライスへの突撃体制を整えようとしている。

 ウィルがテーブルに付き、親子三人が揃う。

 それを待っていたかのように、ミナセはスプーンを持ち上げた。

 すると。


「ミナセ! いただきますが先だ!」


 ミズキの厳しい声が飛んだ。


「ごめんなさい……」


 慌ててスプーンを置いて、ミナセがうつむく。叱られて、ちょっと小さくなっている。

 その目の前で、なぜかミズキも慌てたようにうつむいた。


「じゃあ、食べようか」


 ミズキを見て首を傾げていたウィルが、ミナセに明るく声を掛ける。ミナセは、ウィルを見て安心したように表情を和らげ、そして今度は、目の前で手を合わせながら言った。


「いただきます」



 道場には住み込みの門下生が何人かいるが、ミズキが移り住んでからは、夫婦だけで食事を取るようになっていた。門下生たちが気を遣った結果だが、昼間ほとんど顔を合わせることのない夫婦は、その気遣いをありがたく受け入れた。

 ミナセが生まれてからは、親子三人で仲良くテーブルを囲んでいる。


 親子で取る食事は静かだ。ミズキは自分からあまり話をしないし、ミナセも口数は少ない。話題を提供するのは、いつもウィルの役目だった。

 そんな中、ミナセが珍しく質問をした。


「お母様、聞いてもいい?」

「なん……なあに?」


 ミズキの受け答えがおかしい。

 ウィルがやっぱり首を傾げている。


「どうしてお食事の前に、”いただきます”って言うの? マリーのおうちでは、そんなこと言わないって言ってた」


 友達が増えると情報源も増えるものらしい。口数は少ないが、好奇心は旺盛なミナセは、いろいろと気になることが増えてきたようだ。

 娘の質問に、ミズキが黙った。

 そして普段見せない、つまりは、とても慣れていない笑顔を作って答えた。


「人はね、命をいただきながら命を保っているの。だからね、お食事の前にはその食べ物たちに感謝をするのよ」

「……」

「……」


 ミナセとウィルが、目を見開いてミズキを見る。


「いただきますっていうのは、その感謝の意味が込められた言葉なの」


 答え終えたミズキが、二人の様子を見て顔を真っ赤にした。

 そして真横を向き、いつもの顔に戻ってつぶやく。


「まあ、そういうことだ」

「……分かった」


 ミナセは、この時のミズキの言葉と表情を鮮明に記憶した。どうしてミズキが変な言葉遣いだったのか、どうして顔を真っ赤にしていたのかミナセには分からなかったが、それはとても印象に残る、とても珍しい母親の姿だった。

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