迫る刃
槍の穂先をシンシアに向けながら、男が言う。
「青のくせに、いい構えしてるじゃないか」
武器を持たないもう一人の男が、遠くを見ながらつぶやく。
「まさか、奴の相手が茶色とはな」
その二人の前で、シンシアはヒューリの双剣を握り締めていた。
男たちとの距離は、およそ三メートル。一触即発の間合いだ。
シンシアとマークの距離は二メートルほど。自分が抜かれれば、マークを守るものは何もない。
シンシアの闘志が高まっていく。その目が二人の男を鋭く睨む。
その時。
「左のあなた。あなたが、インサニアのリーダーですか?」
真後ろから、マークの声がした。
「なぜ、そう思う?」
左の、武器を持っていない男が、ちょっと驚いたように聞き返す。
「ほかの皆さんと違って、あなたは常に全体を見ている。我々の位置と仲間の位置、その状態をいつも気にしている。そんな風に見えたからです」
「ほぉ」
マークの言葉に、男はにやりと笑った。
そして答える。
「その通り。俺がインサニアのリーダーだ」
「では質問です」
即座にマークが質問を始めた。
「あのならず者たちは、魔法で操っているんですか?」
「魔法に加えて薬も併用しているぞ」
意外なことに、男はあっさりと答えた。
「時間が経てば正気に戻るんですか?」
「まあ、そうだな」
「それならよかったです」
マークが笑う。
「少し前に我々を襲った、ニーナさんと男たち。あの三人は、あなた方の仲間ですか?」
「ニーナ? あいつ、本名を名乗りやがったのか。相変わらず何を考えてるのか分からんな」
「ニーナさんから報告は受けていないんですか?」
「受けてないさ。あいつは、俺たちのところに戻ってこなかったからな。俺たちも、仲間の死体を見て初めて作戦の失敗を知ったくらいだ」
「そうなんですか?」
予想外の答えに、マークは驚いた。
少しの間考えていたマークが、質問を再開する。
「なぜあの三人だけで?」
「お前たちが急に旅に出ちまって、予定が狂った。で、うまく行けば儲けもんくらいのつもりであいつらを使ってみた。それだけだ」
「なるほど」
「ニーナと若いのはどうでもよかったんだが、あとの一人がやられたのは残念だったよ」
開けっぴろげに男が答える。
マークが続けた。
「ニーナさんは、インサニアの正規メンバーだったんですか?」
「正規とは言えねぇな。便利だったから客との連絡係をやらせていたが、何であいつが俺たちと一緒にいたのか、俺にはいまいち分からねぇ」
「どうして連絡係のニーナさんを襲撃に?」
「さっきも言ったろ。うまく行けば儲けもんくらいで、あいつを使ってみただけだ。あいつの子守歌をのんびり聞いてくれるターゲットなんて、普通はいないからな。失敗が許されない作戦には使えないのさ」
「あははは」
マークが苦笑する。
男の話し方も軽いが、マークの反応もまた軽い。まるで世間話の最中でもあるかのように、マークはポリポリと頭を掻いていた。
二人の間にいるシンシアだけが、緊張感を滲ませている。
「あんた、この状況で余裕だな。肝が据わってるのか馬鹿なのか、どっちなんだ?」
「どっちでもありませんよ。俺はただ、うちの社員を信じているだけです」
穏やかに答えて、マークが戦っている社員たちを見る。すぐ手前ではミアが、その向こうではミナセとヒューリが、群がるならず者たちを相手にしていた。
そのマークが、微笑んだ。微笑みの意味が分からずに、男がマークの視線を追う。そして男は目を剥いた。
「奴を倒したのか!?」
栗色の髪をなびかせて、少女が一人駆けてくる。そのはるか後方に、倒れて動かない仲間の姿が見えた。
「想定外にもほどがあるぜ」
つぶやく男の目の前に一陣の風が吹く。
栗色の髪の少女、リリアがそこにいた。
「お待たせ、シンシア」
「うん」
前を向いたまま、二人が言葉を交わす。リーダーの男にはリリアが、槍の男にはシンシアが剣を向けた。
少し離れたところから、ミアの大きな声がする。
「ごめん、後で治してあげるから!」
一人一人に謝りながら、ミアはメイスを振るっていた。
一斉に襲い掛かってくる相手の命を奪わずに倒すのは、ミアには難しかった。だからミアは、容赦なく相手の手足を砕いた。ミアの周りには、痛みにもがくならず者たちが何人も転がっている。
ミアも、きっちりと役目を果たしていた。
「うちの社員たち、なかなか優秀でしょう?」
自慢げなマークを、リーダーの男が不愉快そうに睨む。
だが。
「フッ。たしかにあんたらは凄いよ。大したもんだ」
男の空気が、また軽くなった。
「毒ガスもだめ、落とし穴もだめ。茶色も青も思った以上に強いし、これじゃあ作戦は失敗かもな」
軽い口調で言って、にやりと笑う。
その男の瞳が、かすかに動いた。マークを見ていたその視線が、ほんの一瞬、ごく短い時間、別のところに向けられる。
常人なら気付かない動き。もしかすると、本人ですら意識していないほどのわずかな動き。
それに、リリアは気付いた。気付いたが、大男の時のように、簡単にそちらを振り向く訳にはいかなかった。
この人は、強い
武器は持っていない。構えてもいない。しかし、この男は間違いなく強い。リリアはそう感じていた。
シンシアは、男の視線に気付いていない。槍の男に集中している。
リリアは焦った。その方向を確認しようにも、男から視線を外すことができない。
「なんだお前、せっかく褒めてやったのに、やっぱり強くないのか?」
集中力を欠き始めたリリアに男が言った。
リリアが唇を噛む。身動きの取れないもどかしさに剣を強く握り締める。
何かがある気がする。あの視線の先に、何かが。
どうしたらそれを確認できる?
どうしたら……
リリアは考えた。
考えて、リリアは大きく息を吸い込んだ。
そしてリリアは、ありったけの声を張り上げた。
「ああああああああああっ!」
リリアが叫ぶ。戦場全域に響き渡るほどの大きな声で、突然リリアが叫んだ。
シンシアも、目の前の二人も、近くにいたミアも、目を丸くして驚いている。
「何だ!?」
その叫びは、ミナセとヒューリにも聞こえた。
「リリア?」
二人が振り向いてリリアを見る。しかし、リリアは敵と対峙したまま動いていない。近くにいるシンシアにも、ミアにも、何かが起きているとは思えない。
それなのに。
「くそーっ!」
二人は走り出した。
顔を歪ませながら、二人は走る。群がるならず者たちを突き飛ばしながら、二人は走った。
リリアの叫びは上空にも届いていた。
「何なの!?」
驚いたフェリシアが、真下を見る。その顔が凍り付いた。
即座に攻撃魔法を放とうとするが、それができない。あのフェリシアが、魔法を使えなくなるほど激しく動揺していた。
そしてフェリシアも向かう。猛烈な速度でフェリシアも急降下を始めた。
降下をしながら、フェリシアが状況を確認する。
リリアは動けない。
シンシアとミアは、気付いていない。
ミナセとヒューリは遠過ぎた。
フェリシアの位置で、ぎりぎりか。
「間に合って!」
フェリシアが全力で降下する。
ミナセとヒューリが全力で走る。
三人とも必死だ。必死でマークのもとへと向かっている。
ミナセが、ヒューリが、フェリシアが叫んだ。
「社長!」
ミナセが、ヒューリが、フェリシアが祈った。
お願い!
三人は、血走った目で見ていた。あり得ない光景を睨み付けていた。
その目に映るのは、一人の男。マークの真後ろでナイフを振り上げている、一人の男。
フェリシアの索敵にはまったく反応していなかった。ミナセとヒューリの本能さえも、それを捉えることはできなかった。
魔力を感じない、魔力を一切持たない無表情なその男は、殺気の欠片も纏うことなく、まるで日常動作の一つのように、マークの背中をナイフで狙う。
「やめろー!」
「社長!」
「逃げて!」
悲痛な叫び。
神様!
誰か!
助けて!
三人の魂が悲鳴を上げた。
その時。
「分かった」
シンシアがつぶやいた。そしてシンシアが、跳んだ。
真後ろに向かって、リリアも、槍の男も、リーダーだと言った男でさえも反応できないほどの瞬発力で、いきなり跳んだ。
ドスッ!
鈍い音がした。
流れ落ちていく真っ赤な血が地面を濡らしていく。
レザーアーマーを貫通しているその剣を、男が不思議そうに見ていた。
自分を見上げるブルーの瞳を、男は不思議そうに見ていた。
「なぜ、気が付いた?」
男が聞いた。
「教えて、もらったから」
シンシアが答えた。
「分からんな」
少しだけ首を傾げ、だが男は、最後まで感情を見せることなく、どさりと音を立てて、地面に崩れ落ちていった。
直後。
「フェリシア、右上の男を狙え!」
「は、はい!」
間髪入れずにマークの指示が飛ぶ。頭上で急停止していたフェリシアが、慌てて上を見上げた。
空の二人は明らかに動揺している。信じられないという顔で、地上に倒れる男を見つめている。
動揺していたのはフェリシアも同じ。だが、マークの声で、フェリシアは急速に冷静さを取り戻していった。
フェリシアの目が、右上の男を捉える。呆然としているその男に向けて、フェリシアが魔法を放った。
ズバッ!
空気の刃が、右上の男を真っ二つにする。それを見た左上の男が、慌てて逃げ出した。
しかし。
「相手が一人なら問題ないわ!」
フェリシアがその背中を追った。フェリシア全力のフライが、男のスピードを凌駕する。
気配を感じた男が振り向いた。逃げ切れないと判断して、盾を構えて攻撃に備える。
猛烈な勢いで男に迫るフェリシアが、右手を前に向けて叫んだ。
「これで終わりよ!」
高まる魔力が巨大な火球に姿を変える。
至近距離から放たれたフェリシア渾身のファイヤーボールが、目を見開く男の体を、その盾ごと飲み込んでいった。
地上では、続けざまにマークが指示を飛ばしている。
「リリアは槍の男を倒せ! ミナセとヒューリは左の男を捕らえろ!」
「はい!」
リリアが動いた。
駆け付けた二人も反応した。
「なめるな!」
槍の男が吠える。斜め前から突っ込んでくるリリアを、槍が迎え撃つ。
男はインサニアの正規メンバー。その槍が鈍いはずがない。普通なら、一直線に向かってくる相手を仕留め損ねるはずがない。
だが、リリアは普通ではなかった。
「馬鹿な!」
男の槍が空を切る。穂先をかわしてリリアが飛び込んでいく。
「ガハッ!」
血を吐きながら、男は真後ろに吹き飛んでいった。
倒された仲間と、静かに振り向くリリアを見て、リーダーの男が両手を上げる。
「うまくいくと思ったんだけどな」
ミナセとヒューリに挟まれて、男はあっさり降参した。
二人に押さえられて、男が地面に膝をつく。
それを確認して、マークが振り返った。
「シンシア、ありがとう」
足下に倒れる男を見ながら、シンシアが答えた。
「私も、守る人になる」
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