見慣れた景色の中で
「本当にすみませんでした!」
百人以上の人間が土下座をしている。子供から年寄りまで、老若男女が七人に向かって頭を下げていた。
「顔を上げてください。今回のことは、皆さんのせいではないんですから」
穏やかにマークが言った。
ならず者たちの話によると、何日か前に現れた男たちが、仕事をしないかと誘ってきたらしい。積まれた数十枚の金貨欲しさに、一帯の集落から動ける者全員が動員されて、広場に集められる。
その広場には、不思議な香りが漂っていた。
正面で、一人の男が仕事の説明を始める。だが、男の話はなぜかあまり頭に入ってこなかった。全員の意識が徐々に薄れていき、同時に、どこからともなく呪文のような声が聞こえてきた。
頭の中に霞が掛かる。その霞の中で、みんなは男の声を聞いた。
「何でもいいから武器を持て」
言われるがままに、手近にあった何かを持つ。
「俺たちと一緒に来い」
言われるがままに、集落を出て森を抜け、林に分け入り、そこで待つ。
「奴らを、殺せ」
そしてならず者たちは、七人を襲った。
正座をしたまま、それでも顔だけは上げたその集団に、マークが問い掛ける。
「ところで、どなたか三十代くらいの女性を見ませんでしたか? この子と同じ髪の色で、この子と同じ茶色の瞳の女性なのですが」
マークに聞かれて、ならず者たちは首を傾げた。リリアを見ながら、しばらくの間考える。
だが。
「見てないっすね」
誰一人として女性を見たという者はいなかった。
「そうですか」
マークが、少し残念そうな顔をした。
隣のリリアがうつむく。そのリリアの肩をポンと叩いて、さらにマークが質問を重ねた。
「ところで、ここから北に行ったところに小さな村があると思うのですが、どうして皆さんは、その村を襲わないんですか?」
それには、一番手前にいた男が答えた。
「あの村には、世話になってるんす」
「世話になってる?」
「へい。俺たちが住む森は、いつもジメジメしてるせいか、時々変な病気が流行ります。そんな時、村に声を掛けると、癒し手が来てくれて病気を治してくれるんす」
「癒し手……。どんな人なんですか?」
「今の癒し手は、ばあちゃんです。ばあちゃんが不思議な呪文を唱えると、ばあちゃんの指輪がほわぁっと光って、あっという間に病気が治っちまうんす」
「なるほど」
マークが考え込んだ。
やがて。
「分かりました。何にせよ、あなた方をどうこうするつもりはありません。皆さん、それぞれの集落に帰っていただいて結構です」
「へい!」
「ありがとうございます!」
マークに言われて、ならず者たちが一斉に立ち上がる。
「途中に落とし穴があるから気を付けろよ」
落とし穴の場所を教えるヒューリにペコペコと頭を下げる。
何度も振り返り、何度も頭を下げながら、ならず者たちは自分たちの集落へと帰っていった。
「癒し手って、あのおばあちゃんのことですかね?」
「どうだろ?」
ミアとヒューリが首を傾げる。
「光る指輪っていうのが気になるわね」
「そうだな」
フェリシアとミナセが言葉を交わす。
「リリア……」
うつむいたままのリリアの手を、シンシアが握った。
その時、マークが少し大きな声を出す。
「ニーナさんの行方は分からないが、あの村の安全は確認できた。それで良しとしよう」
マークの声に、みんなは頷いた。
「さて」
振り向いて、マークが見下ろす。
「次は、あなたの番です」
手足を縛られて転がっている男に声を掛けた。
抵抗することなく縄を掛けられ、おとなしくしていた男が、にやりと笑ってマークを見上げる。
「いちおうこれでもリーダーなんでね。都合の悪いことには、一切答えるつもりはないぜ」
それを聞いたマークが、にこりと笑った。
「じつはあなた、リーダーではないんじゃないですか?」
男の頬が、ぴくりと痙攣した。
「なぜ、そう思う?」
「俺を背後から狙った男が倒された時、あなたも槍の男も、空にいた二人も、もの凄く動揺していました。もしかしたら、あの男がリーダーだったんじゃないかと」
「どうかな」
曖昧に、男は答える。
「さっきはいろいろ教えてくれたじゃないですか」
「ありゃあ、お前たちを油断させるためだ。そもそも、知られてまずいことは言ってないし、言うつもりもない」
男が、またにやりと笑う。
キルグの裏社会からも恐れられている集団、インサニア。そのメンバーが、簡単に口を割るはずもなかった。
「話してくれないなら、仕方がありません。残念ですが、あなたを拷問させていただきます」
平然とマークが言う。
「好きにしろ」
平然と男が答える。
再びにこりと笑って、マークが言った。
「拷問と言っても、痛くはないので安心してください。それと、あなたが質問に答える必要はありません。ただ黙っていてくれれば結構ですので」
「どういうことだ?」
男が一瞬、ポカンとした。その隙に、ヒューリが後ろからタオルを回して口を塞ぐ。
「舌を噛まれると面倒なので、猿ぐつわをさせていただきますね」
「……」
口を塞がれ、それでもまだ疑問の表情を浮かべる男の前に、マークではなく、ミナセが座った。
「メンバー構成とか依頼主のこととか、いろいろ聞かせていただきます」
マークの声を頭上に聞き、ミナセの瞳を目の前に見る。
「では、最初の質問です」
男に向かってマークが聞いた。
「あなたは、男ですね?」
「……」
男の拷問が始まった。
「ねえ、シンシア。どうしてあの時、社長が狙われてるって分かったの?」
「内緒」
「もう、教えてよぉ!」
「いや」
リリアがしつこく絡んでいくが、シンシアの答えは素っ気ない。
「まあまあ、いいじゃない。ねえ、シンシア!」
「歩きにくい」
後ろからフェリシアに抱き付かれて、シンシアが文句を言う。
「やっぱりベッドはいいよなぁ」
「焼きたてのパンは最高ですぅ」
ヒューリとミアが満ち足りた顔で笑う。
その後ろを、ぶつぶつ言いながらミナセが歩く。
「魔力も殺気もない敵。いったいどうすれば……」
眉間にしわを寄せるミナセを見て、マークが苦笑していた。
インサニアの襲撃を退け、メンバーの一人を捕らえた一行は、その後は何事もなく、順調に帰路を辿った。捕らえた男を途中の町で衛兵に預けて身軽になると、以降はちゃんと宿に泊まり、ちゃんと食堂で食事もしている。
南に向かう道は、整備されていて歩きやすい。空も、道行く人たちの表情も明るい。危険を感じることもなく、一行は旅を続けていた。
足取り軽く進む一行だったが、男の拷問を終えた直後は、みな言葉少なだった。
エム商会の社員全員を殺すこと。
最悪でも、マークだけは殺すこと。
インサニアの受けた依頼内容に、全員が衝撃を受ける。特にフェリシアは、ガザル公爵の歪んだ執着心を改めて知り、大きく動揺していた。
瞳を揺らしてフェリシアがうつむく。両手が小さく震えている。
その肩を、マークががっちりと掴んだ。
「フェリシア。忘れているかもしれないから、もう一度言っておく」
力強いその声に、フェリシアが顔を上げた。
「俺たちは、ガザル公爵なんかに絶対負けない。どんな奴らが来ようとも、公爵が諦めるまで何度でも追い払ってやる」
目の前に、輝きを放つ漆黒の瞳がある。
その瞳が、笑った。
「と、俺は思っているが、そんな言葉でフェリシアの不安が消える訳でもないだろう」
そして言った。
「だからフェリシア。お前の不安がどうすれば軽くなるのか、みんなで一緒に考えていこう」
笑いながら、マークが言った。
「七人で知恵を出し合えば、解決できない問題なんて何もないさ」
無理も気負いもない笑顔。とても自然なマークの声。
フェリシアの目が大きく開いていく。
「そうだぞ。一人で悩むのはなしだ」
ミナセが続いた。
「私たちも頑張ります!」
「頑張る!」
リリアとシンシアが、手を繋いで宣言する。
「ガザル公爵になんか負けないぞー!」
「おぉっー!」
ヒューリの声に、ミアが応えた。
盛り上がるみんなを、フェリシアが見つめる。
不安が解消された訳ではない。
心配がなくなった訳でもない。
それでも。
「はい!」
フェリシアは答えた。
ちゃんとマークを見て答えた。
笑顔で答えたフェリシアが、突然シンシアを振り返る。
驚くシンシアを、フェリシアが強く抱き締めた。
「シンシア。社長を助けてくれて、ありがとう」
「苦しい……」
もがくシンシアを、フェリシアは放さない。その顔には笑顔。その目には、涙。
その光景を、みんなが微笑みながら見ている。沈んでいた空気が軽くなった。みんなの表情が明るくなった。
そしてみんなは、南に向かって歩き出した。
笑顔を取り戻した一行は、途中の景色や食事を堪能しながら旅を続けた。
そして。
「シンシア、門が見えるよ!」
「うん、見えた」
リリアが大きな声を上げ、シンシアが大きく頷く。
「戻ってきたな」
「そうね」
微笑むミナセの隣でフェリシアも微笑む。
「任務達成だぁ!」
「作戦成功です!」
ヒューリとミアが万歳をする。
一行の行く手には、アルミナの町が見えていた。予定していた目的をすべて達成して、一行は、無事に旅を終えた。
「みなさん、お帰りなさい!」
「ただいま!」
衛兵が笑う。
「おおっ、エム商会が帰ってきた!」
「こうしちゃいられねぇ!」
伝令が走る。噂が走る。アルミナの町を、明るいニュースが駆け抜ける。
久し振りの町並みを眺め、懐かしい空気を思い切り吸い込んで、ご機嫌のヒューリが大きな声で言った。
「いやー、これでしばらくはゆっくりと……」
「ヒューリさん!」
「はいっ!?」
思い掛けない厳しい声に、ヒューリは驚いた。
声の主が、険しい表情でヒューリを睨んでいる。
「休業している間、我が社の収入はゼロでした。わずかにあった蓄えも、旅の資金に消えています」
「えーと……」
「事務所の部屋の契約を維持するために、家賃を前払いしたかったのですが、そんなお金はありませんでした。大家さんに泣きついて、後払いにしてもらっているんです」
「……」
「ヒューリさん!」
「はいっ!」
「働いてください。働かざる者食うべからず、です」
「そんなぁ」
ヒューリが、情けない顔でマークを見る。
マークが、申し訳なさそうに言った。
「悪いな」
「社長……」
ヒューリが泣きそうな顔をする。
「ま、諦めろ」
その肩をミナセが抱く。
「さあ皆さん、バリバリ働きますよ!」
リリアはやる気満々だ。
「分かった」
シンシアは強く頷いている。
「うふふ、いつも通りね」
フェリシアは楽しそう。
「焼きたてのパンさえあれば!」
ミアは、脳天気に笑っていた。
相変わらずの社員たち。
大きく成長した社員たち。
「こうなったらやけくそだ! ミア、ガンガン働くぞ!」
「おーっ!」
見慣れた景色の中に、六人がいる。見慣れた景色の中で、六人が笑う。
とても大切な風景。守ると決めた、大切なもの。
マークが微笑んだ。六人を見つめ、六人の声を聞きながら、とても安心したように、マークは微笑んでいた。
「相変わらず商売熱心だな」
「はい。我々商人は、金を稼ぐことが生き甲斐でございますので」
悪びれることなく商人が答える。
「ご注文の品は、別室にお届けしてあります。後ほどご確認を」
「うむ」
「それからこれは、いつもお世話になっておりますガザル公爵に、心ばかりのお手土産でございます」
「そうか」
イルカナの隣国、カサール王国。その王都にあるガザル公爵邸の私室で、公爵と商人が話をしている。部屋には、執事もメイドもいない。小さなテーブルの向かいに座る商人から、公爵は小箱を直接受け取った。
そのふたを無造作に開けて、公爵がにやりと笑う。
「ふむ、なかなかよい土産だな」
「今後とも、何卒よしなに」
商人が、頭を下げてほくそ笑む。
「これからも励め」
「はっ」
商談は終わった。
ところが、いつもならさっさと下がっていく商人が、今日に限って話を続けた。
「ところで公爵は、イルカナの王都アルミナにある、エム商会という何でも屋をご存じでしょうか?」
「エム商会!?」
公爵の声がうわずった。その反応に、商人が首を傾げる。
「はい。アルミナの町では名の通った会社なのですが」
「うむ、知っておる」
「左様でございましたか」
さすがに公爵は年季が入っている。動揺をすぐに収めて、平然と話を続けた。
「じつは、我々も時々エム商会を利用しておりまして」
そう言いながら、商人が懐に手を入れる。
「そこの社長から、公爵宛の手紙を預かって参りました」
「手紙だと?」
「はい。こちらでございます」
商人が、取り出した手紙を公爵に差し出した。
「いやあ、まさかあの社長が、ガザル公爵ともよしみを通じているとは思いもしませんでした。名前を出せば分かるからと言われて預かったものの、半信半疑だったもので」
「……」
受け取った手紙を、公爵がじっと見つめる。
「まったくあの社長、油断できませんな。噂では、イルカナ三公爵の一人、ロダン公爵とも懇意とか。社員七人の小さな会社のくせして、なかなかやりおります」
「うむ、そうだな」
あまり気持ちの入っていない返事を聞いて、商人は退室のタイミングを知った。
「長居をしてしまいまして、申し訳ございませんでした。私はこれにて」
深々と頭を下げて、商人は部屋を出ていった。
扉が閉まった途端、公爵が封筒を乱暴に開く。オープナーも使わず、手で端をちぎって中の便せんを引っ張り出した。
そして公爵は、手紙を読んだ。読み進めるにつれて、その手は震え、その顔からは血の気が引いていく。
やがて。
ガタン!
重たいイスがひっくり返るほどの勢いで立ち上がると、そのまま扉へと歩き出した。ノブに手を掛けようとして、突然気付いたように右手の手紙を睨み付け、それを魔法で燃やす。
燃えかすを床に投げつけ、ノブに手を掛けて、また公爵は動きを止めた。
そして。
「貴様らとの契約は延長してやる。それと、腕の立つ奴がいたら迷わず雇え。金はワシが出す」
それだけ言うと、今度こそ公爵は、ノブを回して扉を開けた。
「衛兵長を呼べ! 屋敷の警備を見直す!」
「はっ!」
「それと、イルカナへの使者の用意、大至急だ!」
「はっ!」
慌てて何人かが走り出す。怒鳴り声が遠ざかっていく。部屋の中が、静かになった。
誰もいなくなったはずの、部屋の中。隅に飾ってあった屏風の影から、男が一人、音もなく現れた。
「まったく。燃やすなら灰皿の上でやれっての」
呆れ顔で、絨毯の上の燃えかすを片付ける。
「ま、これを燃やしたところで、おんなじ手紙を俺も持ってるんだけどな」
そう言いながら、男は懐から一通の手紙を取り出した。
すでに一度読んだそれを、男がもう一度開く。
「インサニアは壊滅。捕らえたサブリーダーの男は、イルカナの衛兵に突き出した、か」
にやりと笑って続きを読む。
「インサニア程度の小者は問題にしないが、あまりしつこいと、貴殿の首をもらいに行くことになる……はっ、まったく」
男が呆れる。
「インサニアを小者って言うなよ。俺たちの立つ瀬がなくなるじゃねぇか」
文句を言いながら、しかし男は心底楽しそうだ。
「貴殿が彼らに約束した報酬、カサール国内でのインサニアの活動を許すというものは、愚かにもほどがある。カサールの裏社会から貴殿が狙われることになると思うが、いかが?」
はっはっは
男が声を上げて笑った。
「そうだよ、その通りだ。キルグで居場所がなくなったインサニアが、カサールに拠点を移そうとしたのは分かる。でも、それにあんたが乗っちゃあダメだろ」
バカにしたように、閉じた扉を見た。
男が一枚、便せんをめくる。
「報告の通りご依頼は完遂しましたので、つきましては代金をって……。まったく、あの社長は!」
金額と支払方法を見て、男は苦笑い。
「はいはい、ちゃんと払いますよ。あんたに睨まれたら、恐ろしいことになりそうだからな」
文句を言って、男は天井を見上げた。
その目は笑っていた。
その顔も笑っていた。
久し振りに気持ちがよかった。
非常に気分がよかった。
「さてと、寄り合いに行ってくるか。顔役の連中にも伝えてやらないとな。厄介者のインサニアは見事に壊滅。それと……」
男は歩き出す。
「アルミナのエム商会には、絶対に手を出すな」
男がまた笑う。
隠し扉を開けながら、とても晴れやかに男は笑っていた。
第十一章 了
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