悩みの重さを量る秤

「なあ、あんた」

「はい、何でしょう?」


 中庭でストレッチをしている客人に、後ろから衛兵が声を掛けた。


「この間、俺の心臓の調子が良くないのは、病気じゃないって言ったよな?」

「はい、言いました」

「それは……俺の悩みが解決すれば、俺の心臓も良くなるっていうことなのか?」

「治療は専門外なので断言はできませんが、たぶん良くなると思いますよ」

「そうか」


 今日は、なぜか警備が一人しかいない。

 それを客人は気にするでもなく、のんびりと身体を伸ばしている。


「あんた、人の体の中が分かるんだよな?」

「はい。正確には、誰もが持っている命の源のような力を感じ取ることができる、というところでしょうか」

「命の源?」

「そうです。その力の強弱や流れを感じ取ることで、体の調子や病気を知ることもできます」

「それは、魔力とは違うのか?」

「魔力と関係があるのかもしれませんが、基本的には別物です」

「よく分からないな」

「まあ、そうですよね。俺もうまく説明できません」


 客人が、少しだけ振り向いて笑う。


「で、何です?」


 ストレッチを再開しながら、逆に客人が聞いた。


 衛兵が黙る。

 迷う。

 うつむく。

 そして、意を決したように口を開いた。


「どこにでも転がっている話だ。大した問題じゃあない。そうは思うんだが……」

「いいですか」


 話し始めた衛兵の言葉を、客人が思いも寄らぬ強い口調で遮った。

 そしてくるりと向きを変え、衛兵を真正面から見て言った。


「この世の中に、悩みの重さを量る秤なんてものはありません。その大きさを測る物差しもありません。悩みの軽重や大小は、他人が決めるものではないんです」


 突然の話に衛兵が驚く。


「その悩みがあなたを苦しめているのであれば、それはあなたにとって重大な悩みなんです。だから」


 客人が笑った。


「遠慮なく、話をしてください」


 衛兵が、またうつむく。


 どこにでも転がっている話だ。大した問題じゃあない。そう思って、自分で解決しようとしてきた。

 だけど、できなかった。


 一刻を争う問題ではない。それが解決しなくたって、今日は乗り越えられる。

 だけど、毎日そのことを考えてしまう。


 仕事に支障が出ないように、周りに迷惑を掛けないよう頑張ってきた。

 だけど、自分の心臓は悲鳴を上げ始めている。


 衛兵が話し始めた。

 ぽつりぽつりと、だがそれは、やがて奔流のように激しい勢いで溢れ出していく。


 話を終えた衛兵に、客人が言った。


「大変な思いをされてきたんですね」


 微笑みながら、客人が言った。


「よく頑張ってきたと思いますよ」


 衛兵は泣いた。

 泣いている自分に自分で驚いている。


 ああ、そうか


 泣きながら、衛兵は気が付いた。


 俺はこんなにも、誰かに聞いてほしかったんだな


 気持ちのいい風が吹く。

 太陽がちょっと眩しい。


 客人にポンと腕を叩かれた衛兵は、涙を拭いて、恥ずかしそうに笑った。



 翌日。


「何でまたこんなところに?」

「まあまあいいから」


 年輩の女性を背負った男が、衛兵本署の裏手でその塀を見つめる。


「この辺りだな」


 小さくつぶやいた男が、首を後ろに向けて言った。


「悪い、ここで降りてくれ」


 そう言って腰をゆっくりと落としながら、女性を地面に下ろす。

 そして持っていた杖を渡し、女性の手を引いて、塀の際まで歩いていった。


「いったい何なの?」


 怪訝な表情の女性に笑顔を向ける男は、だが笑うばかりでそれには答えない。

 その時、塀の向こうから声が聞こえてきた。


「何でこんな端っこに来るんだ?」

「まあまあ、いいじゃないですか」


 二人とも男の声だ。


「お前、自分の立場を……」

「お静かに。集中できません」

「まったく」


 不満げな男の声は、しかしそこで途切れる。

 静かな時間が流れた。


「分かりました」

「何がだ?」

「明日もいい天気です」

「……もう戻るぞ」


 それっきり会話は聞こえなくなった。


「ふぅ」


 塀の外にいた男が、大きく息を吐き出した。


「いったい何なの?」


 女性の問いに、やっぱり男は答えない。


「明日もいい天気だってさ」


 噛み合わないことを言いながら、男は女性を見て笑った。



 さらに翌日。


「説明は以上です。何かご質問は?」

「いや、ない。大丈夫だ」


 客人から渡されたメモと、自分で書き込んだ内容を確認しながら衛兵が答える。だが、大丈夫と言いながら、衛兵の顔にははっきりと疑問の表情が浮かんでいた。


「本当にこんなことで……」

「お母様の足腰の状態は分かりました。今飲んでいる、高価な薬は不要だと思います」

「それは、とても助かるのだが……」

「お伝えした運動を欠かさず行うこと、日常生活の注意事項を守ること。加えて魔法による治療を定期的に行えば、かなり症状は改善するはずです」

「……分かった」

「二週間くらいしたら、またお母様を診させてください。理屈としては合っているはずですが、俺も治療は専門外なので、少し心配です」

「ああ、頼む」

「それと、この手紙をうちの事務所に届けてください。お母様の治療についての指示が書いてあります。それから、こちらはコクト興業宛です。これを社長に渡せば、余計な返済はしなくて済むと思いますし、無理な取り立ても止むはずです」

「いろいろすまない」

「言っておきますが、お母様の治療代はきっちり払ってもらいますから」

「そうだな、もちろんだ」


 衛兵の顔が引き締まった。


「まあ、取り立てに伺うようなことはしませんけどね。余裕のある時に払ってもらえれば、それで結構です」

「本当にすまない」


 衛兵の目が潤む。

 その腕を、客人がポンと叩いた。


「さあ、幸せへの一歩を踏み出しましょう!」


 客人が笑う。


 こんなに落ち着いた気持ちになったのは、いつ以来だろう?


 衛兵は、楽に呼吸をしている自分に気が付いて笑った。

 客人につられて、とても自然に衛兵は笑っていた。

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