会いたい

「さすが社長、っていうことなのかしら?」


 一人の衛兵が持ってきたマークの手紙を読み終えて、フェリシアが言った。


「ちょっと、納得できない」


 シンシアは頬を膨らませている。


「私もです。なんで社長を連れていった人なんかに……」

「まあそう言うな」


 文句を言うミアの肩を、ヒューリが叩いた。


 マークからの指示。それは、手紙を持ってきた衛兵の母親に関することだった。ミアに、定期的な治療をするよう書いてある。


「やりますよ、ちゃんと。でも……」


 シンシアと一緒にミアも膨れている。

 その横で、リリアが小さく言った。


「よかった。社長、元気なんだ」


 その声で、シンシアもミアも、ふくれっ面をやめた。


 差し入れを始めてから、社員たちは衛兵と気軽に話ができるようになっていた。誰が行っても、挨拶一つで署内に入れるようになっている。

 だけど。


「今日も社長に会えませんでした」


 寂しそうに笑うリリアの顔を、みんなは何度も見てきた。

 差し入れを持って行く回数は、リリアがダントツで一番。料理が苦手なヒューリの分も、時間の取れない社員の分も、リリアがカバーして差し入れを作っている。


 リリアと話をした衛兵たちが協力を申し出てくれた。

 リリアのおかげで署内へのフリーパスも手に入れた。


 リリアの努力。リリアの気持ち。

 みんなはそれを、痛いほど感じていた。


「リリア……」


 シンシアがその手を握る。

 室の中が静かになる。


 と、そこに。


 トントントン


 玄関のドアがノックされた。


「はい!」


 瞬時に笑顔を作ってリリアが駆け出していく。

 みんなの心が、また痛んだ。


 ガチャ


 リリアが扉を開けると、そこには中堅の衛兵が立っていた。


「突然すまない。ちょっと話があるんだが」



 六人に囲まれて、衛兵はさすがに緊張していた。目の前のお茶には手もつけず、その視線は、壁と天井を行ったり来たりしている。

 目のやり場がない。


 あの社長、いつもこの六人に囲まれて……


 羨望とも尊敬ともつかない感情に、衛兵は苦笑した。


「あー、今日来たのは」


 腹に力を込めて、衛兵が話し出す。


「みんなに知らせておきたいことがあったからだ」


 その言葉に六人の集中力が高まる。衛兵がそれをひしひしと感じる。

 一つ間を空け、固い表情で衛兵は続けた。


「今週末に、おたくたちの社長の裁判が行われる」

「裁判!?」


 ヒューリが声を上げた。


「場所は本署の中。非公開の裁判だ」

「そんな!」


 再びヒューリが叫んだ。


「傍聴は!?」

「残念ながら、できないだろう」

「証人は!?」

「それも、認められないだろう」

「くっ!」


 ヒューリの顔が険しくなった。


 ヒューリの生まれ故郷であるクランの王は、国民を大切にしていた。だから裁判では、国に認められた判事が、証拠や証言をきちんと検証して公正な判決を出すよう努めていた。

 だが、それは中央での話。

 地方では、領主や村の長、時には占い師などが判事となって裁判を行う。証拠集めも証人探しもせず、被告本人の話すらろくに聞かず、ごく短い時間で結審し、最初から決まっていた判決がその場で言い渡される。

 権力者や集団の都合で結果が決まる、裁判などとは呼べない、罰を宣告するだけの儀式。

 そんな裁判を、ヒューリは幾度となく見聞きしてきた。


「魔女裁判……」


 絞り出すようにヒューリが言った。


「ちょうど私たちがいない時に……」


 フェリシアが悲痛な声を上げる。

 ファルマン商事の商隊護衛。それがまさに、裁判の日と重なっていた。


「さすがに、俺たちが裁判に口を出すことはできない。無責任なようで悪いが、こうやって知らせるだけで精一杯だ」

「それだけでも助かります。ありがとうございます」


 ミナセが頭を下げた。


「いや……。で、もう一つ話がある」


 中堅が、六人を見る。


「社長を監視していた仲間が、協力を申し出てくれた。あさっての午後、短い時間だが、社長に会わせてやる」

「ほんとですか!?」


 大きな声と共に、リリアが立ち上がった。


「ああ、本当だ。ただし」


 リリアを見ながら中堅が言った。


「会わせられるのは、一人だけだ。いつも通り二人で差し入れを持ってきてもらって、そのうちの一人をこっそり社長に会わせる。そんな段取りになる」

「一人だけ……」

「署内の雰囲気は、あんたたちに好意的だ。だからと言って、クビを覚悟で協力するやつなんてほとんどいない。見て見ぬ振りをするのが精一杯だ」


 苦しそうに衛兵が続ける。


「証拠品の保管庫から、一時的に麻薬が持ち出されていた。強引な逮捕に、取り調べもしないまま行われる裁判。俺じゃなくたって、今回の件が仕組まれてるってことくらいは分かる」


 衛兵が視線を落とす。


「本当にすまないと思う。同じ衛兵として、反吐が出るほどムカつく。だが……」

「衛兵さん」


 ミナセが、その言葉を遮った。


「大丈夫です」


 拳を握り締める衛兵に、ミナセが笑顔を向ける。


「うちの社長は助かります」


 それは、不安を打ち消すための笑顔ではない。

 それは、何かの決意を表す笑顔でもない。


 衛兵がミナセを見つめる。

 ほかの五人もミナセを見つめる。


「必ず助かります」


 その笑顔には、何の気負いもなかった。

 当たり前のように、ミナセは笑っていた。


 衛兵がミナセを見つめ続ける。

 ほかの五人も、ミナセを見つめ続けた。


「……そうだな」


 やがて衛兵が言った。


「あんたの言う通りだ。あの社長なら、きっと助かるだろう」

「はい!」


 軽やかに返事をして、ミナセはみんなを見た。


「私たちは、私たちにできることをしよう。そうすれば、絶対に大丈夫だ」

「そうですよね!」


 リリアが答える。


「私、頑張る」


 シンシアが拳を握る。


「そうね、やりましょう!」


 フェリシアが笑う。


「ふんっ!」


 ミアが力こぶを見せる。

 そしてヒューリは。


「お前って、ほんとに強いな」


 微笑むミナセにつられてヒューリも笑う。


 信頼、絆、仲間。


 曖昧であやふやで、だけど誰もが欲して止まないもの。

 そんなものが、そこにあった。


 そんなものを作り出したのが、あの社長だとしたら……


「参ったな」


 こっそりとつぶやいて、衛兵もまた笑った。



 衛兵が帰った後、事務所ではミナセを中心に話し合いが行われていた。


「さっきも言ったが、社長のことは心配しなくても大丈夫だ。裁判の結果をどうこうはできないと思うが、いざとなれば、社長を力ずくで助け出して、そのまま全員で国外に逃げたっていい」

「ミナセって大胆ね」

「昔、社長に言われたんだよ。会社は人でできている。人がいれば何とでもなるってね」


 フェリシアに、ミナセが笑って答えた。


「衛兵たちは我々に好意的だし、警備の衛兵の一部も社長に味方をしてくれる可能性が高い。最悪の状況になっても、絶対に何とでもなる。だからみんな、落ち着いていこう」

「分かった」


 シンシアが真剣に頷いた。


「三日後には、ファルマン商事の護衛の仕事がある。私とヒューリ、フェリシアは少しの間町を出ることになるから、残りの三人はくれぐれも気をつけてくれ」

「私、念のために、その間は事務所に泊まります」

「お泊まり会ですね!」


 ミアの言葉に、リリアが明るく反応した。


「裁判の日、私たちはこの町にいないが、あさって社長と話ができる。いろいろ作戦も練ることができるだろう。リリア、シンシア、ミア。場合によっては活躍してもらうかもしれないから、そのつもりでいてくれ」


 ミナセの声に、三人が力強く頷く。


「で、あさって社長に会う人選だが」


 そう言って、ミナセは黙った。

 この時ミナセは、すでに人選を終えている。だが、ミナセはそれを言うことを躊躇っていた。

 みんなも、誰が社長と会うのがベストなのか分かっていた。だが、それを言うことをやはり躊躇っていた。


 静かな時が流れる。

 息が苦しかった。

 優しい気持ち。思いやりの気持ち。そんな暖かい気持ちが溢れているのに、その空気は、とても苦しかった。

 その時。


「皆さん、何で黙ってるんですか!」


 大きな声がした。


「そんなの、考えるまでもないじゃないですか!」


 はっきりとした言葉が聞こえた。


「ミナセさん、よろしくお願いします!」


 その瞳がミナセを見つめる。

 躊躇いなく、真っ直ぐにミナセを見つめる。


「……分かった」


 ミナセが答えた。

 真っ直ぐにその瞳を見つめ返して、ミナセは答えた。


「社長とは私が会う。社長への伝言があれば、私に言ってくれ」


 話し合いは終わった。

 宿屋組の四人は、また明日と言って帰っていった。



 夜。


「おやすみ」

「おやすみ」


 二人の少女は、いつも通りそれぞれのベッドで横になる。

 しばらくして。


「そっちに、行っても、いい?」

「どうして?」

「一緒に寝たいって、思ったから」

「……いいよ」


 少女が、隣のベッドに潜り込んだ。毛布をめくって、反対側を向いている少女の背中にぴったりと寄り添う。


 二人は、何も言わない。

 何も言わない。

 だけど……。


「社長……」


 声が聞こえた。


「会いたいよ……」


 体を丸め、小さな声で、少女が言った。

 背中から腕が伸びる。そっと少女を包み込む。


「ごめんね」

「謝る必要、ない」


 溢れ出す感情をこらえながら、少女は強く、目を閉じた。

 言葉の足りない自分に唇を噛みながら、少女は強く、肩を抱いた。


 苦しくて、寂しくて、会いたくて……


 無言のまま、二人の夜は更けていく。

 カーテンの隙間から差し込む月明かりが、二人の少女を静かに照らしていた。

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