署長

 翌日、リリアとシンシアは、いつも通り差し入れを持って本署にやってきた。


「こんにちは!」

「こんにちは、リリアさん、シンシアさん」


 衛兵が嬉しそうに笑う。


「今日は鶏肉のサンドイッチですよ!」

「おぉ!」

「レタスサンドも、おすすめ」

「おおぉ!」

「控え室に持っていっておきますね!」

「はい! ありがとうございます!」


 にこやかに笑顔を交わして、リリアとシンシアは本署の中に入っていった。

 すると。


「こんにち……」

「あっ!」


 二人の顔を見た若い衛兵が、慌てて二人の背中を押し出した。なぜか周りの衛兵たちもあたふたしている。


「こっちへ!」

「あの……」


 衛兵は、一番近くにあった扉を開けて、二人をそこに押し込もうとする。

 その時。


「エム商会の、社員の方ですね?」


 背後から、落ち着いた男の声がした。


「はいっ!」


 ノブを握っていた衛兵が、もの凄い勢いで振り返って答えた。

 衛兵は、直立不動で敬礼をしている。だが、その目は相手を見ていない。冷や汗をかきながら、天井を睨み付けていた。


「よく差し入れをお持ちいただいているようで」

「はいっ!」

「皆、差し入れが届くのを楽しみにしているようです」

「はいっ!」


 リリアとシンシアの前に立ち、二人のかわりに衛兵が返事をする。

 その衛兵に、男が言った。


「貴様はいいから持ち場に戻れ」

「はっ! しかし署長……」

「いいから行け!」

「はっ!」


 大きく返事をした後、衛兵は二人を振り返って、小さく言った。


「ごめん!」


 そう言い残して足早に去っていく。


「貴様等も仕事をしろ!」


 そこにいたすべての衛兵が、弾かれたように動き出した。しかしほとんどの衛兵が、手を動かしながらも、チラチラと盗み見るようにこちらを窺っている。


「まったく」


 ため息をついて、署長と呼ばれた男が二人に向き直った。

 署長という割に、男は若かった。年齢は、中堅の衛兵より少し上くらいではないだろうか。

 表情も穏やかで、社員のみんなが想像していた顔とはだいぶ違う。

 だが、その目はまったく笑っていない。

 シンシアの顔に緊張が走った。


 衛兵たちから言われていたこと。


「署長とだけは、絶対に顔を合わせないように気を付けてください」


 客人の逮捕が署長の指示だということは、署内に知れ渡っていた。それなのに、差し入れの件を署長は黙認している。社員たちが署内に入ってくることさえも見逃している。


 客人さえ確保しておけば、ほかはどうでもいいのではないか?


 そんな憶測も飛んでいた。

 それでもやはり、署長と社員を会わせるのは危険だと全員が思っていた。それがきっかけで、社員たちが出入り禁止になってしまうかもしれない。

 そうなれば、仲間が密かに進めているあの計画も実行できなくなる。


 強引な逮捕にも関わらず、おとなしく軟禁されている客人。

 客人を返せと押し掛けてくる大勢の市民。

 そして、健気に差し入れを持ってくる社員たち。

 

「俺たち、完全に餌付けされたな」


 そう言って苦笑する仲間を、笑う者はいない。触れてはいけないことに首を突っ込んでいる仲間を、誰も馬鹿になどしない。

 衛兵たちは、仲間や社員たちを、心の中で応援していた。


 だから、署長のスケジュールを全員で共有し、今まではうまくやってきた。危険な時間帯は、入り口の衛兵が社員たちを止めて調整していた。

 それなのに。


 今日に限って、署長が急に出掛けると言い出したのだ。

 全員が油断をしていた。入り口の衛兵に連絡する間もなかった。


 そして今、署長が二人に対峙している。

 そこにいる全員が、固唾を呑んで様子を見守っていた。


 署長が二人を見つめる。

 シンシアは、動けない。

 その隣で、リリアは……。


「はじめまして。私、エム商会のリリアと言います」


 はっきりと名乗った。

 だがその声は、いつものリリアのものではない。明るくて可愛らしいリリアの声ではなかった。


「うちの社長が、大変お世話になっております」


 丁寧にリリアは言った。だがその表情は、いつものリリアのものではない。おひさまのような、リリアの笑顔ではなかった。


 署長は返事をしない。身じろぎ一つしない。

 署長は、返事ができない。身じろぎ一つできなかった。


 署内が静まり返る。何もかもが止まっていた。

 そこに。


「リリア……」


 泣きそうな声がした。ブルーの瞳が震えている。

 びっくりしたように、茶色の瞳が横を向いた。

 そして。


 ふうぅぅぅぅ


 細く、長く、息が吐き出される。

 少しずつ、ゆっくりと、感情が吐き出されていった。


「ごめんね、シンシア」


 リリアが笑う。いつものリリアだった。


「リリア」


 シンシアも笑う。ホッとしたようにシンシアも笑った。

 空気が動き出す。音が聞こえ始めた。

 すると。


「おい、お前たち。こちらの包みを持って差し上げろ」


 署長の声が響いた。


「はっ?」


 言われて、だが衛兵たちはすぐに動けない。

 さらに続く言葉で、全員の目がまん丸くなった。


「ありがたく頂戴しろ」


 リリアとシンシアと、そこにいた全員を驚かせながら、署長は歩き出す。

 呆然と自分を見つめるたくさんの視線を無視して、署長は本署を出て行った。



「リリアか……」


 署長がつぶやく。


「大きくなったものだ」


 腰のサーベルを強く握り締める。


「くそっ!」


 突然感情を吐き出して、署長は立ち止まった。

 やがて署長は歩き出す。向きを変え、足早にどこかに向かって歩いていった。

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