あの人の声
「裁判が延期になったぞ!」
「本当ですか!?」
事務所に飛び込んできた中堅の衛兵の言葉を、六人は驚きながら聞いた。
「署長がわざわざ俺に言いに来た。実施は来週末だ」
「どうして……?」
「分からん」
聞かれた中堅にも、理由は分からなかった。
「裁判は一週間延期だ。客人にもそう伝えておけ」
それだけ言って、署長はさっさと行ってしまった。理由を尋ねる間もなかった。
呆然としていた中堅は、我に返るとその足で客人の元へと向かい、延期を伝えた。そして猛スピードで仕事を片付けて、勤務時間終了と同時にエム商会へと駆け出したのだった。
「状況がよくなった訳じゃないが、余裕はできた。俺たちにできることがあったら何でもするから、何でも言ってくれ」
「ありがとうございます」
礼を言うミナセに、中堅が笑う。
「明日は、予定通り社長に会わせてやる。あの社長なら、何か作戦を考えているかもしれないな」
「そうですね」
そう言って、ミナセも笑顔を返した。
中堅と一緒に事務所の外まで出た六人は、帰って行くその背中を見送りながら、何となくその場に佇んでいた。
「社長が何かしたんでしょうか?」
「うーん、どうだろ?」
ミアとヒューリが、腕を組んで首を捻る。
「これで裁判の日はここにいられるわね」
「ああ、そうだな」
フェリシアとミナセが、互いを見て微笑む。
「リリア」
前を向いたまま動かないリリアに、シンシアがそっと体を寄せた。
いつもと変わらない、夕闇迫るアルミナの町。追い越し追い越され、笑いうつむきながら、人々はどこかへと流れていく。
絡み合う想いと思惑はどこに向かうのか。
佇む六人の頭上から、一番星が地上を見下ろしていた。
「なるべく小さな声で話してほしい」
「分かりました」
中堅の衛兵に頷いて、ミナセは深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出していった。
そして、目の前の扉を見つめる。
あのストラースを前にしてさえ、ミナセは心を鎮めることができた。奥義を使った時のミナセは、まさに明鏡止水の境地に達していた。
だけど。
決して表には出さなかった。
みんなだって同じ気持ちなんだ。私が崩れたら、みんなも崩れてしまう。
それなのに。
今のミナセは、決壊寸前だった。
この扉の向こうに、あの人がいる
そう思うだけで、どうしようもなく心が乱れる。
気持ちを鎮めるために、ミナセはゆっくりと息を整えていった。
トントントン
「客人、入るぞ」
衛兵が中に声を掛ける。
「どうぞ」
声が聞こえた。あの人の声が聞こえた。
ミナセが目を閉じる。リリア、ヒューリ、シンシア、フェリシア、ミア。みんなの顔を思い浮かべる。
よし、大丈夫だ
ミナセは気合いを入れた。
そのミナセの目の前で、扉が開いていく。
いつも通りに笑顔で
そう思った。
いつも通りに、お疲れ様ですと言えばいい
ミナセは、そう思った。
そう思ったのに、部屋の中の人影が見えた瞬間、ミナセは思わず下を向いてしまった。
顔が上げられない。床を睨んだまま、それでもミナセは、二歩三歩と足を進める。
「時間になったらノックする。そしたらすぐに出てきてくれ」
「はい」
後ろに返事をすると、扉が静かに閉まった。
ミナセは動けない。
鎮めたはずなのに
大丈夫だって思ったのに
残念ながら、ミナセには分かってしまった。
その顔を見たら、私はきっと泣いてしまう
ミナセが目を閉じる。
こみ上げる感情を必死に飲み込んでいく。
そこに。
「ミナセ!」
突然大きな声がした。
「はいっ!」
びっくりして、ミナセが顔を上げる。
本当にびっくりして、呼吸までが止まった。
「おいっ! 静かに話してくれ!」
外から声がしたが、それに構うことなく声は続いた。
「明日からの商隊護衛で、敵は絶対に仕掛けてくる。うちの強さは向こうも知っているだろうから、まともに攻めては来ない。そうだな?」
「はいっ、そうだと思います!」
「どんな攻撃が考えられる? 言ってみろ!」
「はいっ! えっと……たとえば寝込みを襲うとか、人質を取るとか、そういう作戦で来ると思います!」
「甘い! そんなことではやられてしまうぞ!」
「はいっ! すみません!」
「ありとあらゆる事態を想定しろ! 誰も信用するな! 敵はこの作戦に万全を期しているはずだ!」
「はいっ!」
「町に残る三人にも、敵の手が伸びる可能性がある。対策は取っているのか?」
「はいっ! あ、いいえ、特には……」
「だめだ! そんなんじゃあ犠牲者が出るぞ!」
「すみません!」
一気にまくし立てられて、ミナセは慌てた。
目を白黒させながら、必死に考えを巡らす。
敵はどう攻めてくる?
町に残る三人をどうやって守る?
ミナセは集中を始めた。
この問いには絶対に答えなければならない。答えられなければ、誰かが死んでしまうかもしれない。
ミナセがまた床を睨む。
その目には動揺などない。
ミナセは考える。
考える……。
その視界の中に、突然人が立った。
「!」
またもや驚いて、ミナセは顔を上げた。
その目が、ミナセより少し高いところにある黒い瞳を捉える。
「ミナセ」
静かな声がした。
「はい」
ミナセが答えた。
「いろいろ面倒掛けてるよな」
優しい声がした。
「ミナセには、きっと無理をさせてるんだろうな」
暖かい声がした。
ミナセが揺れる。強引に振り回されていた感情は、あっさりと最初の状態に戻ってしまった。
ポン
大きな手のひらが、ミナセの頭に載せられた。
ミナセの胸が、熱くなる。
ポンポン……
大きな手のひらが、ミナセの頭を叩き出す。
ポンポンポンポン……
ミナセの顔が、歪んだ。
ポンポンポンポンポンポンポンポン……
ミナセの顔が、だいぶ歪んだ。
ポンポンポンポンポンポンポンポンポンポンポンポン……
「社長、やり過ぎです」
ミナセは怒っていた。
このタイミング、この雰囲気で、これって何?
まるでふざけているかのようにポンポンと叩き続けるその手を、ミナセが掴む。
出掛かっていた涙はどこかへ行ってしまった。熱くなっていた胸は、すっかり冷めてしまった。
すると突然、その手がミナセの手を握り返した。
「細かいことはすべて任せるが、いくつか確実にやってほしいことがある」
声がミナセに指示を伝える。
それを一言も聞き漏らすまいと、ミナセは真っ直ぐにその瞳を見つめ、そしてしっかりと頷く。
指示が終わると、静寂が訪れた。
やがて。
「全部終わったら、みんなの手料理が食べたいな」
柔らかな声が言った。
「だからミナセ。みんなのことを頼んだぞ」
その顔が笑う。
ミナセの手を握ったまま、真剣に、その顔は笑っていた。
「はい」
ミナセも笑った。
大きなその手を両手で包みながら、穏やかにミナセは笑っていた。
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