魔除けの人形

「ちょっとそれ、怖くないですか?」

「そ、そうかな?」

「私、怖い。マスター、それ、反対に向けて」

「えっ、反対に?」


 部屋の壁にぴったりと張り付いているリリアとシンシアが、ミアから十分に距離を取って話し掛ける。

 話し掛けられたミアが、離れている二人を恨めしげに見つめている。


「反対、向けて!」


 シンシアの冷たい言葉にちょっと泣きそうになりながら、ミアは、恐る恐る、目の前の不気味な人形に手を伸ばした。




「三人を守る、何かいい方法はないかな?」


 ミナセは、ヒューリとフェリシアに、留守の間のリリアたちのことを相談していた。


「ミアはともかく、リリアとシンシアって結構強いと思うぞ」

「私もそうは思う。だけど、あの二人には決定的に経験が足りない」

「そうね。チンピラ相手ならともかく、プロが襲ってきたら、ちょっと危ないかもね」


 ミナセが心配している通り、そしてフェリシアが言う通り、リリアとシンシアでは、プロの殺し屋を相手にすることはできない。


「そうだな。逆に、経験だけならミアの方があるんだよな」


 ヒューリの言う”経験”が何を意味しているのか、ミナセにもフェリシアにもよく分かっていた。

 だからこそ、あの三人だけでは襲われた時の対処が難しい。


「あんまり気は進まないけれど」


 フェリシアが、マジックポーチに手を入れる。


「これを使うしかないかしらね」


 そう言いながら取り出したのは、フェリシアの膝下くらいの高さしかない小さな人形だった。


「何だそれ?」


 のぞき込んだヒューリが、ギョッとしたように身を引く。

 その様子を見ていたミナセが、警戒するように人形の顔を見た。

 そして。


「……怖いな」


 やはり人形から距離を取りながら言う。


「やっぱりそうよねぇ」


 ため息をついたフェリシアが、その人形について説明を始めた。



 魔除けの人形。


 フェリシアの最後の主だった魔術師は、そう呼んでいた。

 だが、その呼び方は正確ではない。なぜなら、その人形は実際に戦うことができるからだ。


 強大な軍事国家であるキルグ帝国。そこで研究されていた秘術。優秀な兵士の魂を保存して、その強さを永久に保つ術。

 多くの失敗の中で、わずかに成功した事例。それがこの人形だった。

 主だった魔術師がどうやってこれを手に入れたのかは分からなかったが、大陸中を探しても、これと同じものを見付け出すのはかなり難しいだろう。

 それほどに貴重なアイテムではあるが。


「この人形のもとになった兵士は、相当優秀だったらしいわ」


 人形を見ながらフェリシアが言う。


「でもね、生きたまま心臓をえぐられて、その魂を強引に抜き取られるときの苦しみって、相当だったと思うのよね」


 ヒューリの体がぶるりと震える。


「その時の苦悶の表情がね、魂と一緒にこの人形に移っちゃったらしいわ」


 さすがのミナセも渋い顔をしていた。


「そのかわり、この子は強いわよ。二人ほどじゃないにしても、私なんかじゃ、魔法を使わない限り絶対に勝てないわ」


 そう言って、フェリシアが人形の頭を撫でる。


「そいつは、どうやって使うんだ?」

「最初にマスターを決める。マスターが召還呪文を唱える。ゴーレムが召還されるから、後はマスターが命令するだけ。簡単よ」


 やっぱり距離を取りながら聞くミナセに、フェリシアが笑って答えた。




「私たちが留守にしている間、三人に強力なボディガードをつけることにした」

「おぉっ!」

「優秀な兵士の魂を宿した、もの凄く強い人形だ」

「おおぉぉっ!」

「その人形には、マスターが必要だ。そこで三人のうちの誰かに……」

「はいはいっ! 私やりたいです!」


「ま、予想通りだな」

「そうね。予想通り過ぎて、面白くないわね」


「ミア、いいのか?」

「はい!」

「本当にいいのか?」

「はいっ!」

「そうか……。リリア、シンシア、それでいいか?」

「いいですよ」

「いい」

「じゃあ、ミア。お前がマスターだ」

「やったぁ!」

「フェリシア、人形を」

「分かったわ。えーっと……はい、これよ」

「うっ!」

「ミア、この子の頭に手を置いて」

「えっ? あ、頭にですか?」

「そうよ。早く置いて」

「あの……」

「早くして!」

「はいっ!」


 …………


「はい、これであなたがマスターよ」

「ふぇぇ」

「ゴーレムを召還する時の呪文はこれに書いてあるわ。人形に戻す時は、こっちね」

「はい……」

「後で一度召還して、リリアとシンシアのことは襲わないように指示しておくのよ」

「はい……」

「それと、この子は人の目に触れさせない方がいいと思うわ。ミアが変な人形を持ってるって噂になってもイヤでしょ?」

「ですよねぇ」

「ミア、頼んだぞ」

「ミア、頑張れよ」

「じゃあ行ってくるわね、ミア」

「お気を付けて……」


 ミア、自爆。



「何で私がマスターなのよぉ」


 悲しげなミアを、だがリリアもシンシアも慰める気はないらしい。


「だって、ミアさんがやりたいって言ったんじゃないですか」

「ミア、自分で言った」

「うぅ……」


 ミアが、天井を仰いで泣いた。


「私のばかぁ」



 ミアがマスターになってから三日目。ミナセたちは、今日あたり商隊と合流しているはずだ。

 今のところ、ミアたちに危険な出来事は起きていない。その夜も、ミアは事務所に泊まっていた。


「ミアさん、おやすみなさい」

「ミア、おやすみ」


 扉の向こうから声がする。


「今日も私だけなの?」

「マスターですから」

「今日も私だけこっちなの?」

「マスター、頑張れ」

「うぅ……」


 毛布を抱き締めて、ひとりぼっちでソファに座るミアは、今夜も泣いていた。

 その目が、玄関を見る。

 鎧に身を固め、ごつい剣を握り、背中を向けて立っている逞しいゴーレムを見る。


「じゃあゴーちゃん、今日もよろしくね」


 名前(?)を呼ばれたゴーレムが、振り返った。


「あっ、いい! こっち向かなくていいから!」


 ゴーレムが、おとなしく前を向く。


「はぁ……」


 大きくため息をついて、ミアは明かりを消した。


「おやすみ、ゴーちゃん」


 ミアがソファに横たわる。

 毛布を鼻まで上げて、目を閉じる。

 そして。


 普通に眠った。



 カチャカチャ……


 微かな音がする。

 続けて。


 カチッ


 何かがピタリと合った、そんな音がした。


 廊下の窓から差し込む薄明かりの中、扉の前で、三人の男が目配せをする。

 黒ずくめの衣装。手にはナイフ。

 足音をさせず、衣擦れの音さえさせることなく三人は配置に付いた。

 一人がノブに手を掛ける。それをゆっくり慎重に回していく。回し切ったところで、男は、やはりゆっくりと扉を押し開けた。

 その瞬間。


 扉が内側から勢いよく開けられた。驚いてノブを放した男は、強力な魔力を間近に感じる。

 とっさに飛び退いた男が、後ろの仲間にぶつかって廊下に倒れ込んだ。ぶつかった男も、ぶつかられた男も、そしてもう一人も、この状況下でさえ一切声を出すことはない。

 間違いなくプロ。鍛え抜かれたプロの暗殺者だ。


 その三人の前に、黒い影が現れた。薄明かりがその顔を照らす。

 途端。


「ぎゃぁぁぁっ!」


 叫びが先か、剣が体を貫いたのが先か。

 大きな声を上げた男は、恐怖を顔に浮かべたまま、事切れた。

 続けて。


「ぐわっ!」

「ぎゃっ!」


 残りの二人も、恐ろしさで動けなくなったその一瞬で倒されていた。


「なにっ!?」


 ミアが飛び起きる。ほぼ同時に、アパートの外から大声がした。


「今の声は何だ!?」


 バタバタと近付いてくる足音がする。見回りを強化してくれていた衛兵たちだった。

 扉の向こうの惨状を見たミアは、しかし、意外なほどの落ち着きぶりで呪文を唱える。


「ゴーちゃん、戻って」


 血の滴る剣をきっちりと鞘に納めて、ゴーレムは瞬時に小さな人形へと戻っていった。


「大丈夫か!?」


 駆け付けた衛兵たちに、ミアが言う。


「廊下に出てみたら、この人たちが倒れてて……」

「ミアさん、ケガは!?」

「大丈夫です。ありがとうございます」


 後ろ手に持った人形を気にしながらも、ミアは、衛兵たちに向かって笑ってみせた。

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