パスタ

 ミナセは、三日ぶりに事務所に帰ってきた。今回は、国内数カ所を巡る商隊の護衛だった。

 扉を開けたミナセは、一瞬違和感を感じる。


 何かが違う


 だが、そんなことを考えたのもわずかな時間だった。


「お願いします!」


 リリアが、マークに向かって頭を下げている。その様子を、ヒューリがソファに腰掛けながら眺めていた。


「お帰りなさい。お疲れ様でした」


 マークがリリアの向こうから声を掛ける。


「ただいま戻りました」


 荷物を下ろしながら、ミナセがヒューリに聞いた。


「どうしたんだ?」

「リリアが、明日の午後休みがほしいんだってさ。例のあの子と、デートの約束をしたんだって」

「へぇ、あの子と」


 リリアからは、シンシアの反応はほとんどないし、会話もないと聞いていた。そんなシンシアとデート(?)の約束を取り付けるなんて、大したものだと思う。


「リリア、頑張ってるんだな」


 微笑みながら、ミナセがソファに腰掛けようとしたその時、部屋の片隅にある謎の人形が目に止まる。

 三頭身で、やたらと目が大きい、どこかの原住民族のような木彫りの人形だ。


「ヒューリ、あれは何だ?」

「あれ? あれは魔除けだ」

「魔除け?」

「ああ。ま、実際には何の効果もないんだけどね。本当の狙いはインパクト……」

「ヒューリ、後で話がある」


 ミナセの視線が鋭い。


「えっ、なにっ、その目は!」


 ヒューリが狼狽えた。

 そんなやり取りの横で、マークとリリアが話している。


「まあ、明日の午後は予定がないから、休みを取るのは大丈夫だよ」

「ほんとですか!」


 リリアが嬉しそうに声を上げる。


「ただし」


 マークの口調が、少し厳しくなった。


「今後は、ちゃんと俺に確認してから約束をすること。もしかしたら急な仕事が入っているかもしれないだろう?」

「はい、そうでした」

「平日の定時間内は、リリアは会社に拘束されている。給料をもらってるんだからね。でも、平日に個人的な予定が入ることはあるだろう。そのために有給を使うのは一向に構わない。今回みたいに半休もありだ」

「はい……」

「だけど、休みの許可は必ず早めに取ること。急な体調不良とかなら仕方ないけど、今回みたいなのは、今後はなしだ。いいね」

「はい、すみませんでした」


 しょんぼりと、リリアが肩を落とす。


「ま、分かってくれればそれでいいよ」


 マークの雰囲気が和らいだ。


「で、明日の食事はどこに行くんだい?」

「はい。この間ミナセさんとヒューリさんと行った、パスタのお店です」

「おっ、あそこに行くのか」


 ミナセの視線から逃れるように、ヒューリが会話に割って入ってきた。


「はい。シンシアに、きのこのパスタを食べさせてあげたくて」

「ああ、いいね。私はクリームソースのパスタが好きだけどな」

「クリームソースの! 私、次行った時に食べてみようと思ってたんですよ!」


 しょんぼりしていたリリアが、あっという間に復活している。食べ物が元気の源というのは、体の話だけではないようだ。


「あの店は、大通りから少し離れている。明るいうちに店を出るんだぞ」

「はい! 夕方には戻らないといけないので、早めに出ます!」


 ミナセの冷静なアドバイスに、リリアは元気に返事をした。



 翌日。

 午前中の仕事を終えて事務所に戻り、きちんとマークに挨拶をしたリリアは、約束通りお昼過ぎにテントに着いた。

 テントの横を覗くと、ちょうどシンシアが役者用のテントから出てくるところだった。

 いつも着ているグレーの服ではなく、可愛らしいブルーのワンピースを着ている。髪には、蝶をかたどった小さな髪飾り。

 恥ずかしそうにうつむくシンシアが、上目遣いでリリアを見た。


「シンシア……かわいいっ!」


 リリアがシンシアに飛びついた。


「かわいいかわいいかわいいっ!」


 抱き締め、髪を撫で、頬ずりする。

 目を丸くしていたシンシアだったが、やがてされるがままに、気持ちよさそうに、目を閉じた。


「じゃあ、行こうか!」


 シンシアを十分愛でて満足したリリアが、その手を引いて歩き出す。そんな二人を、シャールがそっと見送っていた。



「どう? 美味しい?」


 きのこのパスタを食べるシンシアに、リリアが真剣な目で聞く。 

 シンシアは、ゆっくり味わった後、「ふぅ」と小さく息を吐き、そして頷いた。


「ほんと? よかったぁ」


 弾けるようにリリアが笑う。そして、自分の目の前にあるクリームソースのパスタを食べた。


「はぁ、これも美味しい!」


 幸せそうに目を細める。

 そんなリリアを、シンシアがじっと見つめていた。


「こっちも食べてみる?」


 リリアが聞くと、シンシアが小さく頷く。


「じゃあ半分こね」


 リリアは店員さんから小皿をもらうと、自分のパスタを半分載せてシンシアの前に置いた。

 シンシアも、小皿に自分のパスタを半分載せてリリアに差し出す。二人は、二種類のパスタを美味しそうに食べた。


 話しているのはリリアだけで、シンシアはそれを聞いているだけだった。

 笑っているのはリリアだけで、シンシアはリリアを見つめているだけだった。

 

 それでも、二人の間に気まずい空気など感じない。

 笑うリリアと頷くシンシア。声は無くても、二人が会話をしているのが分かる。リリアとシンシアが通じ合っているのが分かる。


 それは、まるで仲のいい姉妹のよう。


 周りの客がそっと微笑む。店員たちがこっそり微笑む。

 暖かな空気に包まれて、二人の午後のひとときは楽しく過ぎていった。


 パスタを堪能した二人は、大満足で店を出た。

 するとリリアが、シンシアの手を握って言う。


「まだ時間あるよね? ちょっとぶらぶらしていかない?」


 首を傾げるシンシアに向かって、リリアがにっこりと笑う。


「私、一度でいいから、ウィンドウショッピングってやってみたかったんだぁ」


 そう言いながら、リリアは嬉しそうに歩き出した。


 もともとリリアには、自分のものを買うという習慣がなかった。給料がもらえるようになった今でも、生活必需品以外の買い物はほとんどしたことがない。

 洋服は最低限。アクセサリーは、母の形見のペンダントだけ。


 それは、シンシアも同じだった。

 ステージ衣装を含めて洋服はお母さんが作ってくれていたし、ショーで使うもの以外、アクセサリーなど持っていない。シャールが貸してくれた髪飾りが、何だか気恥ずかしく感じるほどだ。


 リリアに手を引かれ、戸惑いながら、シンシアは店を見て歩く。

 軽やかに歩くリリアについて、無言で歩いていく。


 それでも。


 目を輝かせてショーウィンドウに張り付くリリアといるうちに。

 楽しげに洋服を選ぶリリアを見ているうちに。


 いつの間にかシンシアは、興味のあるものに自分から歩み寄って行くようになっていた。


 洋服を見つめるシンシアに気が付いて、リリアがすかさずそれを手に取る。


「これ、シンシアにぴったり!」


 鏡の前でシンシアに洋服を当てて、ニコニコとリリアが笑う。

 恥ずかしそうにうつむくシンシアが、上目遣いでそっと鏡を見る。


 チラリと指輪に目を遣るシンシアに、リリアが言う。


「見て、シンシア! この指輪きれい!」


 シンシアに体をくっつけて、リリアが笑う。

 リリアの体温を感じながら、シンシアが指輪をじっと見つめる。


 シンシアは笑わない。

 シンシアは喋らない。


 だけど。


 その頬は、ほんのり紅色に染まっていた。

 その瞳は、輝く宝石たちをキラキラと映し出していた。


 そんなシンシアを見て、リリアが微笑む。


 リリアは楽しかった。生まれてはじめてのウィンドウショッピング。

 リリアは嬉しかった。シンシアと一緒に過ごす気ままな時間。


 手をつなぎながら、二人はいくつもの店を巡っていく。

 手を引き、引かれながら、二人は次々と店を巡っていった。


 そんな二人が、何軒目かの店でアクセサリーを見ていた時。

 一対のブレスレットがリリアの目に留まる。気が付けば、シンシアもじっとそのブレスレットを見つめていた。


 リリアは決めた。


「おじさん、これください!」


 リリアは、その店で一対のブレスレットを買った。


「はい、これ、シンシアの!」


 店を出たリリアは、片方のブレスレットをシンシアに渡して、自分の左手にもう片方のブレスレットをはめる。

 シンシアも、同じく左手にブレスレットをはめた。


「お揃い!」


 リリアがにっこりと笑った。


 シンシアは無表情のままだ。しかしその右手は、感触を確かめるように、左手のブレスレットをさすっている。

 何を思うのか、表情からは窺えない。うつむいたまま、ゆっくりとブレスレットをさすり続けている。

 やがてシンシアは、両手を静かに下ろして、寄り添うようにリリアの横に立った。

 その手が、リリアのスカートのすそをそっと掴む。


「シンシア?」


 リリアが、シンシアを心配そうにのぞき込んだ。

 その目を見たリリアが、優しく微笑む。

 そして、シンシアをふわっと抱き締めた。


「私たち、友達だからね」


 リリアが小さな声で言った。


 コクリ


 シンシアが、小さく頷いた。


 柔らかい風が二人を包む。

 静かな時間が過ぎていく。


 やがてリリアが、少し大きな声で言った。


「もうすぐ夕方だね。帰ろ!」


 ちょっと力を込めて、シンシアから体を離していった。

 シンシアも、掴んでいたスカートを放して頷いた。


 二人は並んで歩き出す。

 リリアが差し出した右手を、シンシアの左手がしっかりと握っていた。


 微笑みながら、前を向いてリリアは歩く。

 うつむきながら、ちょっと寂しそうに、シンシアも歩いていった。

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