震える体
ゆっくりと二人は町を歩く。
楽しかった時間はもうすぐ終わってしまう。帰宅を急ぐ人々の間を、別れを惜しむように二人は歩いていった。
そんな二人に、突然声を掛ける男たちがいた。
「君たち、かわいいねぇ」
「俺たちと遊びに行かない?」
二人の正面に、四人の若い男たちが突然立ちふさがる。
派手な服を着た、軽薄な感じの男たちだった。
「すみません。私たち、もう帰らないといけないので」
そう言いながら、リリアはシンシアの手を引いて男たちを避けようとするが、男たちは通してくれない。
「俺たちこれから飯食いに行くんだけどさぁ、君たちみたいなかわいい子が一緒だったら楽しいと思うんだよねぇ」
「ちょっとでいいからさぁ、付き合ってくれたら嬉しいなぁ」
四人は、自分たちにできる精一杯の愛想笑いを浮かべて二人を見下ろしている。
誘い方は最悪だが、どうやらただのナンパのようだ。
だが、大きな男四人を前にして、相手を観察している余裕など二人にはなかった。怖いという気持ちが先に立って、とても冷静ではいられない。
男の一人が、足を半歩前に出す。
それだけで、リリアが大きな声を上げた。
「やめて!」
驚いて男が足を引っ込めた。そして、機嫌を取るように猫なで声で言う。
「何にもしないって。俺たちは、ただ君たちと飯が食いたいだけなんだよ」
そんな言葉で、リリアの気持ちが落ち着くはずもない。
どうしよう……
この状況を切り抜けるための方法を、リリアは必死に考えていた。
その時、握っていたシンシアの手が震えていることに気が付く。
いや、手だけではない。シンシアは、体中を震わせていた。
口が半開きになり、目は大きく見開かれている。その目には、涙が溢れていた。
「シンシア!」
リリアがシンシアの両肩を掴む。
だが、シンシアにはリリアが見えていなかった。
思い出しちゃったんだ!
リリアは直感的に悟った。
そう。シンシアは思い出していた。
大きな男たちが、ニヤニヤとおぞましい笑みを浮かべて迫ってくる。
その手には禍々しい武器が握られ、その武器からは、血が滴り落ちていた。
一座のみんなが助けを求める。
逃げ惑う団員の背中に剣が突き刺さる。
「走りなさい!」
シンシアに向かって叫ぶ母。
鉈を握り締め、盗賊に向かっていく父。
盗賊たちに取り囲まれ、なぶり殺しにされる、両親の最期。
悲鳴は上げない。
言葉も発しない。
でも、シンシアは叫んでいた。
助けて!
心の中で叫んでいた。
お願い!
「シンシア!」
リリアが、とっさにシンシアを背中にかばって男たちの前に立つ。
その目は血走っていた。
「そこを通してっ!」
二人の反応に、男たちは驚いていた。一人は突然震え出し、一人は目を血走らせて自分たちを睨み付けている。
だが、その過剰な反応が、男たちの過剰な反応を呼んでしまった。
「おいおい、そんなに睨まなくたっていいだろう」
「俺たちがそんなにひどいことしたってのかよ」
男たちにしてみれば、軽い気持ちで声を掛けただけなのだ。少し粘って、ダメなら諦める。そんな程度の気持ちだった。
それが、まるで盗賊にでも出会ったかのように怯え、抵抗してくる。
男たちの怒りに火がついた。
「ふざけんじゃねぇぞ!」
「何気取ってやがんだ、てめぇら!」
男たちが二人を取り囲んだ。
そのうちの一人が、リリアの肩に手を掛ける。
「やめて!」
リリアはその手を振りほどこうとするが、シンシアをかばっているため大きく動けない。
「助けて!」
リリアが叫んだ。
「誰か!」
大きな声で助けを求めた。
その時。
「いててててっ!」
「いてぇ!」
目の前の男二人が悲鳴を上げた。
二人の腕をひねり上げながら、残りの男たちを二人の女が睨み付けている。
「うちのかわいいリリアに何してくれてんだぁ、コラァ」
「男四人でいたいけな少女をいじめるとは、情けない奴らだ」
「ミナセさん! ヒューリさん!」
リリアが、安堵の表情で二人の名を呼んだ。
「なんだてめぇら!」
男の一人が凄むが、その目の前に、二本の剣が突き付けられる。
「このまま立ち去るか、死ぬか、どちらかを選べ」
「死ぬんだったら、なるべく痛くないようにしてやるぜ」
二人は美しかった。
だが、その目は背筋が凍り付くほどに冷たい。そして、突き付けられたその切っ先は微動だにしていない。
男たちは理解した。
こいつらやべぇ!
「逃げろ!」
「ごめんなさーい!」
男たちは、慌てふためいて逃げ出していった。
「大丈夫か?」
ミナセがリリアに声を掛ける。
「はい、私は大丈夫です。でもシンシアが」
シンシアは、まだ震えていた。
涙はもう流していないが、顔は真っ青で、目の焦点が合っていない。
「シンシア、ごめんね。私のせいで」
リリアが、涙を浮かべながらシンシアを抱き締める。
震えるシンシアの体は、とても冷たかった。
しばらくすると、シンシアは落ち着いた。だが、その顔は土気色で、手はまだ細かく震えている。
リリアたちは、シンシアを気遣いながら、一座のテントまでシンシアを送っていった。
テントの前には、シャールと、そして団長が待っていた。シンシアの変化を喜んでいた二人が、わざわざ出迎えてくれていたのだ。
二人はにこやかに立っていたが、シンシアの顔を見て、その表情を曇らせる。
そんな二人に、リリアが事情を説明した。
「……そうかい。そりゃあ、災難だったね」
シャールが残念そうに言った。
「シンシアを助けていただいて、ありがとうございました」
団長が丁寧に頭を下げる。
「シンシア、今日はもう仕事はいいから、自分のテントで休みなさい」
シャールに目配せしながら団長が言った。シャールが頷き、シンシアの背中に手を添えて歩き出す。
シンシアは、一瞬リリアを振り向き掛けたが、そのまま背中を押されて歩いていった。
その姿を見送った団長が、三人に向き直る。
「最後に残念なことがあったようですが、あの子にとって、今日は間違いなく楽しい一日だったと思います。本当にありがとうございました」
団長が、もう一度頭を下げた。
「いえ、そんな」
リリアが、狼狽えたようにうつむいてしまう。
「リリアさん。もしよかったら、またあの子を誘ってあげてください。それと、社長さんにもよろしくお伝えください」
微笑む団長に、リリアは何も返せなかった。
団長がテントの中に入っていった後も、リリアは動けない。拳を握り締め、唇を噛み締めながら、リリアはじっとその場に立ち尽くしていた。
その日の夜、ミナセとヒューリは、リリアを食事に誘った。
「まあ、あれは事故だよ。どうしようもない」
ヒューリが慰める。
「そうかもしれないですけど」
答えるリリアは、ずっとうつむいたままだ。
リリアは、自分を責めていた。
私が食事になんか誘わなければ。
食べ終わった後、真っ直ぐ帰っていれば。
後悔の念が次々と湧き上がってくる。
リリアには、両親を目の前で殺される恐怖も悲しみも実感できない。でも、あのシンシアの怯える目と震える体は、脳裏に強く焼き付いている。
「私、もう、シンシアに会えない」
リリアの口から弱気な言葉が出た。
そこに、強い言葉が返ってくる。
「それはダメだ」
ミナセがきっぱりと否定した。
「ここで逃げたら、誰のためにもよくない」
ミナセがリリアを真っ直ぐ見つめる。
その視線を、リリアは受け止められない。
「団長さんも言ってたけど、リリアとの食事や買い物は、シンシアにとって凄く楽しい出来事だったに違いないんだ。だから、リリアは今まで通りシンシアのところに行くべきだし、機会があれば、また食事に誘ってあげるべきだと思う」
ミナセに言われて、それでもリリアはうつむいたままだ。
そのリリアが、小さな声で言った。
「私、シンシアと一緒に歩くの、怖くなっちゃったんです」
「怖くなった?」
「はい。だって、もしまたあんなことがあったら、私じゃあシンシアを守れないから」
「まあ、守るっていうのは無理だよな」
横で聞いていたヒューリが、あっさり肯定した。
「でも、かわすとか逃げることは、リリアにもできるんじゃないか?」
ミナセも頷く。
「そうだな。例えば今日の男たちだけど、あれは、たぶんただのナンパだったんだと思うよ。あいつらからは、強い悪意は感じられなかった。だから、リリアが笑って軽くいなしていれば、もしかしたら何も起きなかったのかもしれない」
「そうなんですか!?」
リリアが大きな声を上げた。
それが本当なら、リリアにとってはショック以外の何物でもない。
「で、でも、あんな大きな男の人たちに前をふさがれたら……」
「まあ、そうだな。普通は冷静ではいられないかもな」
「私とかミナセなら、いつでもぶちのめせると思ってるから、余裕があるんだろうけどね」
「そうですよ! 私なんかじゃあ……」
そこまで言って、リリアは急に黙り込んだ。
「どうした?」
ヒューリがリリアをのぞき込む。
リリアは、テーブルの一点をじっと見つめていた。
見つめ続けて、やがて、ガバッと立ち上がった。
「ミナセさん! ヒューリさん!」
「な、なに?」
リリアが二人を見つめる。その表情は真剣だ。
驚く二人に向かって、リリアが言った。
「私、強くなりたいです!」
「えっ?」
「私、お二人みたいに強くなりたいです! 私に、武術を教えてください!」
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