第十五章 エルドアの混乱

訪問者

 駆けてきた男の子が、握り締めていた右手を開いて得意げに言った。


「お母様、見てください!」

「まあ、きれいね」


 河原で見付けた透明な石。キラキラ輝くその石と、キラキラ輝く瞳を見つめて、母親が穏やかに笑う。


「これ、お母様に差し上げます!」

「いいの? ありがとう」


 嬉しそうな母親と、それ以上に嬉しそうな男の子。


「そろそろお昼ご飯にしましょうか」

「はい!」


 立ち上がった母親の手を取って、男の子は前を歩き出した。


「あそこの木陰でいただきましょう!」

「こら、そんなに引っ張らないで」


 手を引き、引かれる母子の後ろに、バスケットを持ったメイドが続く。母子が向かう木陰には、先回りをして周囲を確認している男が一人。そして、母子から見えない木立の中に、もう一人。

 木陰の男が頷くと、メイドが足を早めて母子を追い越した。敷物を広げ、バスケットを置くと、男と共に静かにそこから離れていく。


「二人ともありがとう」


 男の子の元気な声に、男とメイドは微笑んだ。



 男の子が、母親にぴったりくっついてサンドイッチを頬張っている。それをごくりと飲み込んで、男の子が言った。


「凄く美味しいです!」

「そう? よかったわ」


 母が初めて作ってくれたサンドイッチ。

 美味しくて、嬉しくて、男の子は手にしたサンドイッチをあっという間に食べ終えてしまった。

 男の子が、母親の前にあるバスケットに手を伸ばす。中から一つサンドイッチを取り出して、それを母親に手渡した。

 

「お母様もどうぞ」

「はい、ありがとう」


 愛しい息子の頭を撫でてから、母親はそれを受け取った。

 気持ちよさそうに目を細めてから、母を見上げて男の子は笑った。


 母親も、バスケットからサンドイッチを取り出して、息子にそれを手渡す。


「ありがとうございます!」


 やっぱり嬉しそうに笑って、息子がそれを受け取った。


 母子は並んでサンドイッチを食べる。

 母子は揃ってサンドイッチを頬張る。


 優しい風が髪を揺らした。

 優しい瞳が見守っていた。


 せめて今だけは……


 優しい風景のその中で、そこにいる全員が、そう思っていた。



 人々が家路を急ぐ夕暮れ時。

 エム商会の事務所では、社員たちが打ち合わせを行っていた。


「以前よりも、魔物が賢くなっているということか?」

「はい。ただ前に進むだけだった魔物たちが、群で狩りをする肉食動物のように、狡猾な動きを見せることがあるそうです」


 フェリシアの話を聞いて、マークが考え込む。


「団長たちが手こずるほどなのか?」

「まだそこまでじゃないみたい。でも、後ろに回り込もうとしたり、時には囮を使って誘い込むなんていうこともしてくるらしいわ」


 答えを聞いて、ヒューリが唸った。


 エルドア王国との国境付近に発生するようになった大量の魔物。その討伐の中核を担っているのが、ロダン公爵の配下となったカイルとアラン、そしてもと漆黒の獣の兵士たちだ。

 もともとフェリシアが大のお気に入りだったカイルは、一緒にピクニックに行って以来、やたらとフェリシアに連絡をしてくるようになっていた。そのカイルから聞いた話を、フェリシアがみんなにしていたところだった。


「数は前より減っているけれど、かわりに頭が良くなっているってカイルは言っていたわね」

「数は減っているのか」

「そうね。わざと数を減らして、いろいろ”試している”っていうことも考えられるけど」


 ミナセに向かってフェリシアが言う。

 ミナセが、難しい顔をした。


 フェリシア入社のきっかけとなった魔物討伐。その現場の近くで見付けた魔法陣の痕跡。

 社員たちは、魔物の発生が人為的なものだと確信していた。

 何者かが魔物を作り出している。その魔物が、徐々に賢くなっている。


「この話は内密にしてほしいと、カイルからは言われています」

「まあ、そうだろうな」


 マークが頷く。

 魔物が大量に発生するだけでなく、その魔物が賢くなっている。そんなことが知れ渡れば、国中に不安が広がるのは明白だ。


「そんな話を、私たちが聞いちゃってよかったんでしょうか?」


 心配そうなリリアの隣で、シンシアもフェリシアをじっと見つめている。その二人に、フェリシアがあっさり言った。


「あの人はバカじゃないわ。私に言えば、社長やみんなに伝わる。そんなことは百も承知でしょうね」

「つまり、それって」


 首を傾げるミアに、フェリシアが答えた。


「いずれ、正式な依頼が来るっていうことだと思うわ」

「なんか、大変なことになりそうですね」


 いつもは脳天気なミアでさえ、フェリシアの話を”大変なこと”だと受け止めていた。


 人間が魔物を生み出すことなどできはしない。ましてや、魔物に性格や知恵を与えることなどできるはずがない。

 それがこの世界の常識だ。


 その常識が覆されたとしたら。

 その非常識に、自分たちが関わっていくとしたら。


「依頼はすぐに来るんでしょうか?」

「それは分からないわね」


 不安そうなリリアにフェリシアが答える。


「何か知ってないか、精霊に聞いてみてくれよ」

「無理」


 無茶を言うヒューリに、シンシアがつれなく答える。


「いったいどうやって魔物を……」

「目的は何なんでしょう?」


 さまざまな疑問が飛び交い、さまざまな可能性が示された。みんながそれぞれ意見を言い合っている。

 その中で、一人だけ、黙ったまま動かない社員がいた。


 私は知っている


 人によって作られた可能性のある存在。

 人の心を持った、人ではない少女。

 

 黒い瞳がテーブルを見つめる。

 黒い瞳が、胸の中で生き続ける少女の姿を見つめていた。


 ふと。


「まだ分からないことが多過ぎる。今日はこの辺で終わりにしよう」


 マークが、打ち合わせの終わりを宣言した。


「はい」

「分かりました」


 その声にみんなが頷く。

 黒い瞳が微笑んだ。

 黒い瞳が、静かに頭を下げた。


「じゃあ、帰るか」


 ヒューリが背伸びをする。みんながバラバラと立ち上がり始める。

 と、その時。


 トントントン


 ノックの音がした。


「はい、今行きます!」


 リリアが素早く走り出す。


「こんな時間に誰だ?」


 怪訝な顔をするヒューリの隣で、それまで黙っていたミナセが、立ち上がりながら鋭く言った。


「リリア、待て。私が出る」


 驚いて止まったリリアを、ミナセが引き戻した。

 その左手には、ミナセの愛刀。


 室内に緊張が走った。

 全員が体を固くする中、マークは何も言わない。任せるとばかりにミナセを見ている。


 ミナセが扉に近付いていった。そこで何かに集中する。

 やがてミナセが、ノブに手を掛けた。

 そして、ゆっくりと扉を開ける。


「いちおうこれでも、客のつもりなんじゃが」


 声が聞こえた。


「そんなに警戒されると、入りづらいではないか」


 声の主が、そう言ってにこりと笑う。

 自分を見上げる相手に、ミナセが言った。


「普通のお客様は、気配を殺してノックをするようなことはしません」


 警戒はしているものの、ミナセの声に敵意は感じない。


「それはすまんことをした。ついクセでな」


 答える相手からも、敵意はまるで感じられなかった。

 ミナセの影に隠れて見えないその相手を、ヒューリが近付いてきて覗き込む。

 そして、驚きの声を上げた。


「あっ、謎のじいさん!」


 小柄な老人がそこにいた。

 武術大会でミナセと対戦した謎の老人が、トボケた笑顔でヒューリを見上げていた。

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