フードの男

 大勢の人が行き交う広い通りを歩きながら、女は後悔していた。


「パンじゃなくて、お金にしてもらえばよかった」


 数日前の出来事を思い出しながら、またもや鳴りそうなお腹を押さえる。


「あの子に食べさせようと思ったから、パンをもらったのに」


 誰も聞いてくれない言い訳を小さくつぶやきながら、女は裏通りに入っていった。


 大陸のほぼ中央に位置する王国、イルカナ。その王都アルミナの町を、女は安宿を探して歩いている。

 この町の門は常に開かれていて、通行税を取られることもなく、誰でも自由に出入りすることができた。門では衛兵が目を光らせているが、よほど怪しい素振りを見せない限り呼び止められることはない。

 人とモノ、そして金の自由な往来が、町に賑わいと発展をもたらしている。王都アルミナは、大陸でも有数の大きな町だった。


 だが、自由に出入りをしているのが善人ばかりとは限らない。

 衛兵組織がしっかりしているこの町は、比較的治安がよいと言えたが、それでもやはり厄介事は起きる。

 宿屋の看板を探して歩く女の耳に、荒々しい声が聞こえてきた。


「ぶつかってきたのはそのガキだ。落とし前をつけさせるのは当然だろう?」

「いやいや、それはあまりに大人気ないでしょう」

「じゃあてめぇが代わりに金を払え」

「えっと、話が噛み合っていないのですが」


 通りの真ん中で、フードをすっぽりと被った男が、背中に男の子をかばって立っている。その二人を、三人の大男たちが取り囲んでいた。


「てめぇ、そのガキを助けるためにしゃしゃり出て来たんだろう? だったら、てめぇが金を払うしかガキを助ける方法はねぇと思うんだがな」


 大男の一人がニタニタと笑う。

 どうやらフードの男は、男の子を助けるために猛獣たちの中に飛び込んでいったようだ。

 長剣、メイス、そして斧で武装した獰猛な顔つきの男たち。凶悪な気配を放つその三人が、人を傷つけることを躊躇うとは思えない。

 いつもなら即座に助けに入る場面。だが、女はなぜか黙って成り行きを見守っていた。

 フードの男の落ち着きぶりが気になる。


 もしかすると、あの男……


「すみません、今手持ちがなくて」

「ふざけんじゃねぇ!」


 フードの男のとぼけた返答に、大男が切れた。ガントレットをはめたままの拳を振り上げる。

 あれをまともに受けたら、脳震盪を起こすどころでは済まないだろう。

 それでも女は動かなかった。


 あの男ならきっと……


 唸りを上げて、拳が振り下ろされた。

 それをフードの男は……


 ……まともに食らった。


「えっ?」


 唖然とする女の前で、男が吹っ飛んだ。そのまま地面に転がって動かなくなる。三人の大男が、そこにゆっくりと近付いていった。

 その瞬間、包囲を解かれた男の子が一目散に逃げ出していく。


 哀れだ


 女が小さくため息をついた。

 逃げた男の子を、猛獣たちは見向きもしない。男の子のことなど最初からどうでもよかったのだろう。

 その姿が雑踏に消えた頃、横たわっていたフードの男が、のそのそと立ち上がった。


 あれを食らって立てるのか?


 女が驚く。

 だが、立ち上がった男は、逃げるでもなくその場にじっとしている。その様子を見た女が、今度こそ男たちに向かって歩き出した。


「ほう、よく立てたじゃねぇか」


 大男の一人が再び拳を握り締める。


「じゃあもう一発!」


 大男がフードの男の胸ぐらを掴んだ、その時。


「お前たち」


 涼やかな声と共に、女が割って入っていった。


「あぁ?」


 男たちが視線を向けたその先に、女は立つ。


 この辺りでは見ることのない、黒い瞳と黒い髪。整った顔立ちと真っ白い肌。そして、見事なまでに均整の取れたプロポーション。

 細身の剣を腰に帯び、美しく、鮮やかに女は立っていた。


「おいおい、こりゃあ」

「上玉だ」


 突然現れた女に男たちはしばらく見蕩れていたが、やがて、フードの男を放り出して女に向き直る。


「そのくらいにしておいたらどうだ」


 女が静かに言った。

 その言葉を、男たちはまるで聞いていない。


「今度は女神様の登場だぜ」


 よだれを垂らさんばかりのにやけ顔で、じりじりと女に近付いていく。声を掛けてきた女を、男たちは新たな獲物として認識したようだ。とてもまともな感覚の持ち主とは思えなかった。


 ニヤニヤ笑いながら男たちが迫ってくる。それを見た女が、ふと、腰の剣の柄に手を載せた。

 それは剣を抜く動作ではなかったが、男たちは瞬間的に一歩下がり、全員が武器に手を掛ける。その俊敏な動きは、チンピラのそれではない。戦い慣れしている傭兵か、あるいは冒険者のものだ。


 女は、そんな男たちを無視するように、立ちすくんでいるフードの男に話し掛けた。


「大丈夫ですか?」

「はい、大丈夫です」


 意外としっかりした声が返ってきた。


「よかった。動けるようなら、あなたはここから離れてください」

「えっ、でも」

「大丈夫。私のことは心配しなくていいから、早く逃げて」


 穏やかな女の声に、男は少し考えてから言った。


「ありがとうございます。でも俺は……」

「お姉さん、優しいんだねぇ」


 メイスの男が、二人の会話を断ち切るように話し出す。


「優しいお姉さんに、剣は似合わないよぉ」

「そうそう、そんな男は放っておいて、俺たちと楽しもうよ」


 大男たちは、逃げた男の子と同様、フードの男のことなど完全に無視している。相変わらず静かに佇む女に向かって、下品な笑みを浮かべていた。


 誰がどう見ても、この後女に不幸な出来事が起きる。それでも周りの人たちは、目を伏せながら通り過ぎて行くか、遠巻きに様子を窺うのみで女を助けようとはしなかった。


 触らぬ神に祟りなし


 皆が同じように心の中で女を憐れみ、そして、心の中で詫びていた。


 大男たちは、互いの間隔を広げながら距離を詰めてくる。女を包囲する動きだ。

 相手が女一人であろうと決して油断しない。全力で狩りをする猛獣の姿。

 斧とメイスの男が左右に分かれて移動する。女の背後に回り込もうとしているのは明らか。

 一人で複数を相手にする場合、囲まれないようにするのが常道だ。しかし、女は動こうとしない。

 かわりに女は、よく分からないことをつぶやいた。


「さすが、アルミナ」


 その言葉に反応して、男たちが動きを止めた直後。


「貴様等、何をしている!」


 男たちの背後から大きな声がした。

 長剣を持つ男が後ろを振り返り、そして舌打ちをする。


「衛兵だ、逃げるぞ!」


 次の瞬間、男たちは何の迷いもなく逃げ出していた。その引き際は見事としか言いようがない。周りの人たちが呆気にとられるほどの素早い動きだった。


「悪くない」


 男たちの背中を目で追いながら、女がまたつぶやいた。


「大丈夫ですか?」


 駆けつけた衛兵たちが、女に声を掛ける。

 フードの男には見向きもしない。


「助かりました。ありがとうございました」


 女は、丁寧に礼を言って頭を下げた。


「気を付けてください。この辺りはああいう連中も多い。特にあなたのような人は……」

「旅の方ですか? なるべく賑やかな通りを歩くようにしてください」


 衛兵たちが、やけに親切に次々と話し掛けてくる。


「分かりました。本当にすみませんでした」


 女は、そう言ってもう一度頭を下げた。そして顔を上げ、微笑んで見せる。

 その微笑みに、衛兵たちは目を奪われた。


「では、失礼します」


 女がくるりと背を向けた。


 束ねた黒髪が風に舞う。

 鼻をくすぐる、不思議な香りがした。


 静かに去っていく後ろ姿を見ながら、若い衛兵が思わず口にする。


「いい女でしたね」

「市民をそういう目で見るな」


 そう言ってたしなめるベテランも、女が見えなくなるまでしっかりとその背中を追っていた。

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