スカウト

「あのっ!」


 背後から男の声がした。

 多少気には留めたものの、女はそのまま歩き続ける。


「あのっ、剣士さん!」


 今度はかなり近くから声がした。女が振り返ると、そこに先ほどのフードの男が立っている。


「何ですか?」


 助けたことなど忘れたかのように、女が冷たく問い返した。

 女は、油断なく男を見ている。警戒していると言ってもいい。

 目の前に来るまで気付かなかったが、この男からはまったく魔力を感じない。あり得ないとは言わないが、非常に珍しい人間だ。


「先ほどはありがとうございました。本当に助かりました」


 そう言いながら、男がフードを取った。

 そして、女は動けなくなる。


「じつは俺、この町で会社をやっていまして、いわゆる何でも屋なんですけど」


 男が話し始めた。


「何でも屋って言っても、悪いことをするつもりはありません。むしろ人の役に立ちたいというか、誰かに貢献できるような仕事がしたいって思ってるんです。それで今、そんな思いを共有できる社員を募集していまして」


 そこまで説明して一息つくと、深く息を吸いこんで、大きな声で男が言った。


「あの、もしよかったら、うちで働いてみませんか!」

「!」


 唐突な申し出に、女が目を丸くする。

 だが、おかげで思考がどうにか動き始めた。


 何なのだ、この男は?


 普通なら、即お断りの話だろう。初対面でこの展開、どう考えても非常識だ。

 にもかかわらず、女は答えられないでいた。


 男が誠実そうだったからではない。

 面白そうな話だったからでもない。


 男の髪は、夜の闇のように黒かった。

 男の瞳は、黒曜石のように、深くて神秘的な黒だった。


 それは、大陸のずっと東に住む少数民族の特徴。母と同じ、そして自分と同じ色。生まれた町でも、旅で巡った国々でも出会うことのなかった色。

 幼い頃に亡くした母、優しかった母の姿を脳裏に浮かべ、黙って男を見ていた女は、次の瞬間、自分でも思い掛けないことを口にした。


「どんなお仕事なんですか?」


 何を言っているんだ私は!?


 質問をした自分に驚き、心の中で「しまった!」と叫ぶ。それはおそらく表情にも出ていただろう。

 女は慌てて取り消そうとしたが、残念なことに、男の反応は素晴らしく早かった。


「詳しくご説明します! ありがとうございます! では早速事務所でお話を!」


 微妙な表情の女を無視して、男は嬉しそうに案内を始める。歩きながら、大きな声で男が言った。


「俺はマークって言います!」


 断る機会を逸し、うなだれながら歩き出した女は、それでも弱々しく答えた。


「……ミナセです」



 案内されたのは、ありふれたレンガ作りのアパートの一室だった。

 玄関扉を入った正面に大きな窓。高い天井とその窓のおかげか、部屋の中は結構明るい。

 中央には四人掛けの応接セット。その奥に事務机が一つ。机の横には本棚があるが、中身はほとんど入っていなかった。

 掃除は行き届いているようで、埃っぽさはない。マークが窓を開けると、気持ちのいい風が入ってきた。

 部屋の雰囲気に、とりあえずミナセはホッとする。


「どうぞお掛けください。今お茶を淹れてきます」


 そう言うと、マークはもう一つの扉の向こうに消えていった。扉の向こうは台所だろうか?

 ソファに腰掛け、いつでも手に取れる位置に剣を置いたミナセは、改めて部屋の中を見回した。


 家具類は、質素ではあるがミナセの好みには合っている。フローリングの床は多少ギシギシ音を立てるが、よく磨かれていて汚れはない。机の上の小さな花瓶には、どこにでも咲いていそうな白い野の花が一輪。

 初対面の男に連れられて、初めてやってきた部屋ではあったが。


 何だか落ち着くな


 不思議な気分に浸っていると、マークが戻ってきた。


「お待たせしました。ハーブティーなんですけど、お口に合うかどうか」


 そう言いながら、マークがたどたどしくカップを置く。その危なっかしい手つきに、ミナセはハラハラした。

 普段は別の社員がお茶を淹れているのだろう。掃除が行き届いていることから見ても、事務作業や接客を担当する社員がいるに違いない。


「いただきます」


 小さくつぶやいて、ミナセはカップを口へと運ぶ。

 その時、マークがなぜか嬉しそうにミナセを見つめた。


「ん、美味しい」


 爽やかなハーブティーに満足しながらも、なぜマークが嬉しそうなのかが気になる。


「あの、何か?」


 カップを置きながら、ミナセは問い掛けた。


「あ、すみません。あの……お茶を飲む前に、ミナセさんが”いただきます”って言ったでしょう? そういう風に言ってくれる人、すごく久し振りだったので」

「えっ?」


 ミナセは驚いた。


 いただきます


 それは、母から教えられた習慣だった。


 人はね、命をいただきながら命を保っているの

 だからね、お食事の前にはその食べ物たちに感謝をするのよ


 小さい頃からの習慣だったが、たしかに旅の途中で”いただきます”と言う人に出会ったことはなかった。文化の違いだろうと思ってあまり気に留めてはいなかったのだが。


「あの……」


 いただきますって誰に……そう聞こうとした瞬間、マークが話し出した。


「すみません、変なこと言っちゃって。では早速ですが、仕事の内容と条件をお話ししますね」


 またもや微妙な表情になるミナセを無視して、マークが説明を始めた。



 この会社は、エム商会というそうだ。

 マークの”エム”か? 分かりやすいといえば分かりやすいが、あまりセンスは感じられない。


 仕事内容は、まさに”何でも”らしい。店番や引っ越しの手伝い、お年寄りのお世話から商隊の護衛まで、人の役に立つことなら何でも引き受けるとのこと。


 勤務日は、原則月曜日から金曜日の五日間で、土曜と日曜は休み。

 朝八時に事務所に出勤、その後現場に向かい、仕事が終わったらまた事務所に戻ってきて、夕方五時には解放される。


 給料は、”基本給+手当を毎月月末に支払う”というものだった。

 基本給は、仮に一ヶ月仕事がなかったとしても貰えるらしい。それに加えて、こなした仕事の内容や量によって手当が出る。さらに有給なるものもあって、病気などで仕事を休んでも、年間十日間であれば給料は減らないとのこと。


 手当はともかく、仕事がなくてももらえる基本給や、休んでも給料がもらえる有給というのは聞いたことのない制度だった。

 勤務時間が決まっていることを含め、驚くほど働く側に有利な条件だ。


 基本給の額は、一般的な安宿の料金一ヶ月分に少し届かないくらい。いくつか仕事をこなして手当をもらえれば生活していけそうだし、旅の資金も貯まりそうだ。


 現状ミナセの収入源の多くは、魔物を倒して得られる魔石を売ることだった。しかし、魔物の出現場所には、魔物討伐を主な生業にしている冒険者がいることが多く、獲物を独占できることが少ない。そのため、あまり効率のよい稼ぎとは言えなかった。

 本当は、護衛や山賊討伐のような修行と実益を兼ねられる仕事がしたいのだが、女が、しかも一人で請け負える仕事は少なく、せいぜい傭兵団の一時的な助っ人くらい。

 そしてミナセは、金を稼ぐということが少し苦手だ。

 ミナセは、今貧乏だった。


 金に執着はないが、金は必要だ。商隊の護衛などができれば修行にもなるだろう。いい話だと思いながらも、ミナセは慎重に質問をした。


「あの、もし途中で辞めたくなったら、辞めてもいいでしょうか? 私、旅の途中なので」


 遠慮がちに質問すると、少し寂しそうな顔をしながら、マークが答えた。


「辞めたいと思った時は、仕方ありません。辞める一ヶ月くらい前におっしゃっていただけると助かります」


 その回答に、ミナセはホッとする。


「分かりました。それから、その……」


 一旦言葉を区切ってから、マークの目を見つめる。


「どうして私なんですか?」


 ミナセは目をそらさない。マークの本心を見極めようとするように、真っ直ぐに黒い瞳を見つめる。

 その視線を受け止めて、マークは真顔でこう言った。


「それは、ミナセさんが優しくて、強くて、賢い人だからです」

「優しくて、強くて、賢い?」


 首を傾げながらミナセが繰り返す。


「はい。ミナセさんは、俺を助けてくれました。誰もが見て見ぬ振りをしていたのに、躊躇うことなく助けに入ってくれました。これが優しさです」


 マークが笑う。

 躊躇うことなく、という部分にちょっと後ろめたさを感じつつ、ミナセは次の言葉を待った。


「次に、あの強そうな男たちを前にして、まったく動揺していませんでした。ミナセさんが強い証拠です」


 マークが拳を握る。


「最後に、あの状況でも冷静に周りを見ていて、衛兵が来るのにすぐ気が付いた。そして、戦わずにあの場を収めた。それは、ミナセさんが賢いからだと思います」


 マークの声に力が込もる。


「優しいだけでも強いだけでも、あるいは賢いだけでも人を助けることはできます。でも、優しくて強くて賢い人は、もっとたくさんの人を助けることができるんです。ミナセさんは、まさに俺が探していた理想の人物そのものなんです!」


 強くミナセを見つめながら、マークが言った。


「俺の直感がこの人だって叫んだんです!」


 そして勢いよく頭を下げ、全力で頼み込んだ。


「だからお願いします! うちの会社で働いてください!」

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