初仕事
結局ミナセは、エム商会で働くことにした。
旅の資金が底をついたことが一番の理由ではあるが、マークのことが気になったというのもある。最近、修行に行き詰まりを感じていたことも大きい。
気持ちを切り替えるために、しばらく一カ所に留まるのもいいかもしれない。そんな風にも思った。
いずれにしても、しばらく働いてお金が貯まったら、また旅に出ることになるだろう。ミナセの旅の目的は、まだ果たされていないのだから。
それにしても。
「たしかに聞かなかった私が悪いんですけど」
この会社、なんと社長、すなわちマークだけしかいなかった。ミナセが社員第一号である。
三日前に部屋を借りて、昨日家具が揃って、今日社員のスカウトを開始したところだったとか。
「ミナセさんと出会えたのは、まさに奇跡です!」
嬉しそうに笑うマークの前で、ミナセが顔を引きつらせる。
複雑な表情を浮かべながら、それでもミナセは、丁寧に雇用契約書にサインをした。
翌日から、いよいよ仕事開始である。
事務所でマークと合流し、そのまま現場へと向かった。
「ミナセさんには、あるお店の警備をしてもらいます。期間は今日から一週間。いきなり土日を含めた連勤になっちゃいますけど、手当は出しますので」
歩きながら説明を受ける。
連勤は何の問題もない。警備であれば修行にもなりそうだし、お金も稼げる。なかなかいい仕事だ。
「ミナセさんならまじめに仕事に取り組んでいただけると思いますが、良いことも悪いことも含め、現場ではいろいろ起きると思います。特に、失敗しちゃったり、自分のせいじゃなくてもお客様に迷惑が掛かったりしたら、その日のうちに必ず俺に報告してください。”悪いことほど早く報告”は、仕事の基本だと思っていただけたらと思います」
なるほど、そういうものか
社員として働いたことのないミナセにとって、マークが語る仕事の心得は新鮮に感じられた。
「そう言えば」
ミナセが、ふとマークに聞いた。
「どうして昨日は、あんなフードを被っていたんですか?」
今日のマークは、平然と顔を晒している。顔が見えないほど深くフードを被るなんて、よほどの事情があったのだろうか?
「じつは」
マークが、苦笑いをしながら答えた。
「以前あの通りを歩いていた時、通り沿いにある占いの館の主人に、”黒髪は不吉だ! 悪魔の使いだ!”なんて大きな声で叫ばれてしまいまして」
ため息をついて、マークが続ける。
「あの先には、仕事をくれそうな見込み客がいるんです。そこに行きたかったんですけど、また騒がれるのも嫌だったので、あんな格好をしてたんです」
「なるほど」
ミナセは納得した。
悪魔の使いと言われたことはなかったが、髪や瞳の色については、ミナセもよく聞かれる。ミナセがいても騒ぎにならなかったということは、あの時占いの館の主人はいなかったのだろう。
「私も、あの通りにはなるべく行かないほうが良さそうですね」
「それがいいと思います」
二人は互いに笑い合った。
「それにしても社長、あの時顔を……」
ミナセが言い掛けたちょうどその時、マークが立ち止まった。
「ここです」
到着したのは、表通りから一本入ったところにある小さなお店。
売っているのは……。
「お惣菜?」
そう。店に並んでいたのは、揚げ物や煮物、漬け物などなど。
弁当や飲み物まである。
このお店を、警備?
ミナセが呆然と立ち尽くしていると、中から年配の女性が出てきた。
「おはようございます、ミゼットさん」
「ああ、おはよう。早速来てくれたね」
女性と挨拶を交わすと、マークが説明を始めた。
「こちら、ミゼットさん。ご主人がケガで働けなくなっちゃったんですが、ミゼットさん一人じゃ店が回らなくて、大変みたいなんです。ミナセさん、是非力を貸してあげてください」
「そうなんだよ。医者の話じゃあ一週間はじっとしてろってことだったから、その間手伝ってくれると助かるんだよねぇ。あぁ、難しいことは何もないよ。惣菜作りは私がやるから、あんたは接客だけしてくれればいい」
接客?
何か違う気が……
「いやあ、あんたみたいな美人さんが来てくれたら、店の売上が上がるかもねぇ。マークさん、いい人を連れてきてくれたねぇ」
「ミナセはうちの自慢の社員です。きっとお役に立てると思いますよ」
社長、警備って言いましたよね?
これは、店番と言うのでは?
この大いなる疑問を晴らすために、ミナセが口を開いた。
「あの、警備って……」
「ミナセさん、接客の基本は笑顔です。どんな時にも笑顔で!」
いや、そうじゃなくて
「では俺はこれで。ミナセさん、後はよろしくお願いします!」
そう言い残して、マークは鮮やかに去っていった。
社長、確信犯ですよね?
ミナセが、店の入り口に立っている。剣は、表からは見えないが、すぐ手に取れるところに置いてあった。剣士としての備えは十分だ。
十分なのだが。
三角巾にエプロン姿のミナセのことを、誰も剣士だとは思わないだろう。
ミナセの表情は、やや引きつり気味の笑顔。
呼び込みはしなくていいらしいので、来たお客さんに惣菜や弁当を売るだけだ。少なくなってきた商品があれば、奥にいるミゼットに伝えて補充する。量り売りの商品もあるが、「大体でいいよ」と言われているので、それほど神経を使う必要もないだろう。
やることは簡単だった。
しかし、ミナセは接客などしたことがない。こうして立っているだけでも緊張してくる。
こうなると、さっきミゼットの言っていた”柄の悪い連中”が来てくれた方がありがたいと、心の底から思っていた。
「ほかに分からないことはあるかい?」
説明を終えたミゼットが尋ねる。
ミナセは、メモに目を通しながら「大丈夫です」と答えた。
「そうかい。それじゃあ早速……」
言いながら店の奥に行き掛けたミゼットに、ミナセは思い切って声を掛ける。
「あの! 私、社長から、お店の警備もするかもしれないって聞いたのですが」
言葉に気を付けながら、マークに聞けなかった疑問をぶつけてみた。
すると、ミゼットが少し難しい顔をしながら答えた。
「ああ、じつはね、柄の悪い連中が時々来て、嫌がらせをしていくんだよ。とっくに返したはずの借金を返せってね。言い掛かりもいいところさ。しかも、最近はちょっと酷くてね。主人もそれで、ね」
なるほど、そういうことか
「まあ、社長さんには、警備ができる人より接客ができる人を優先してお願いしてたからね。ちゃんと美人さんを連れてきてくれたし」
「……」
「だからね、変な奴らが来たら、あんたはすぐ奥に逃げてきな。剣は持ってるみたいだけど、無理はしなくていいよ。あたしが奴らを追い払うから」
そう言うと、ミゼットは横にあった箒を手に取って、勢いよくぶんっと振ってみせた。
店の前は、結構人通りがある。
庶民の買い物は、表通りの大きな店より、裏通りの小さな店で済ませることが多いのだろう。周辺の雑貨屋や食料品の店には、わりと頻繁に人が出入りしていた。
ミナセの前を、何人もの人が通り過ぎる。その通行人たちが、なぜかチラッとミナセを見ていくような気がしてならない。ただ立っているだけなのに、ミナセの緊張は高まっていく。
戦いの前より緊張する
そんなことを思いながら佇んでいると、ついにお客さんがやってきた。
「こんにちは。あら、ミゼットさんはいないのかい?」
いかにも常連という雰囲気の主婦である。
「あっ、いらっしゃいませ!」
勢いよくお辞儀をするミナセに少し驚きながら、主婦は続けて話してきた。
「新しい店員さん?」
「はい。あの、今日から一週間お手伝いをさせていただくことになりました、ミナセと申します。よろしくお願いします」
きちんと自己紹介をするミナセに、主婦が優しく笑う。
「そうかい。そういやあ、ご主人のケガは一週間くらい掛かるって言ってたねぇ。ミゼットさんは元気なのかい?」
「はい。奥でお惣菜を作っています」
ミナセの答えに、主婦は安心したようだ。
「そう、よかった。じゃあいつもの……えっと、この煮物と、そっちの揚げ物をもらおうかね」
「はい、分かりました!」
ミナセは、主婦が指さすお惣菜を慣れない手つきで包み、それをぎこちない手つきで渡す。
「えっと、お代は全部で……」
「これがお代だよ。大変だと思うけど、がんばってね」
「は、はい、がんばります! ありがとうございました!」
手を振りながら去っていく主婦を見送ると、ミナセは大きく息を吐き出した。
これがきっかけとなったのか、この後、お客さんが次々とやってくるようになった。
「これとこれちょうだい」
「はい、ありがとうございます!」
「お姉さん、俺はこの弁当ね」
「はい、少々お待ちください!」
不慣れということもあって、一人一人に時間が掛かるのは仕方がないのだが、それにしても客足が途切れない。何となく、男性客の比率が高いようにも思うのだが。
「ミゼットさん、カボチャの煮物がなくなります! それと、お弁当があと三つです!」
奥に向かって叫びながら、ミナセは必死に対応をしていた。
そんなミナセに、列の後ろに並ぶ男たちの会話が聞こえるはずもない。
「ほんとだ、すげぇ美人」
「だろ? いつものばあさんじゃあ買う気にならねぇが、あの子ならなぁ」
近くで働く職人から表通りにある商館の職員まで、男たちがこぞって並んでいる。
ミナセも、そしてミゼットも、目の回るような忙しさだった。
そして夕方。
「おや、今日はもう閉めちゃうのかい? いつものお惣菜買って帰ろうと思ってたのに」
常連らしき女の人が、残念そうに話し掛けてきた。
「悪いね。今日はぜーんぶ売り切れだよ」
店先で商品棚を片付けていたミゼットが、疲れた顔で答える。
開店以来最高の売上を記録した店は、いつもよりだいぶ早い時間に閉店となった。
「いやあ、あんたのおかげで凄いことになったねぇ」
お茶をすすりながら、ミゼットが言う。
「すみません」
疲れ切ったミナセが、やはりお茶をすすりながら答えた。
「いやいや、感謝してるんだよ、あんたには」
ミゼットが笑う。
「面倒臭がりの床屋のおやじまで並んでたからね。笑っちゃうよ、まったく」
そう言うと、椅子から立ち上がってミナセの肩をポンと叩いた。
「あんたに来てもらって、ほんとによかったよ」
ミナセが、ちょっと照れくさそうに答える。
「お役に立てなのなら良かったです」
二人は小さく笑い合った。
「さてと、明日の仕込みを始めるかね。今日はお疲れさん」
「はい。明日もよろしくお願いします」
こうしてミナセ初仕事の、その初日が無事終了した。
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