マークの問いとミアの答え

 エム商会の事務所では打ち合わせが行われていた。


「セシル様、よかったですね!」


 フェリシアとミアの報告を聞いて、リリアが笑う。


「私、この仕事やっててよかったー!」


 ミアの大きな声を、微笑みながらみんなは聞いていた。


 セシルは、無事に婚約した。セシルとその家族からは、エム商会宛に感謝の手紙が届いている。エレーヌからは、たくさんのマドレーヌが届けられた。

 テーブルの上に並ぶマドレーヌに、ミアのキラキラは止まらない。


「ミア、食べ過ぎ」

「問題なし!」


 呆れ顔のシンシアに、四つ目を手にしたミアが親指を立てる。今回ばかりは、フェリシアもミアを止めることはしなかった。


「ところで」


 フェリシアが、マークに向き直る。


「セシル様とエレーヌ様のところに、問い合わせがたくさん来ているようです」


 二人の婚約の話は、社交界においても噂になっていた。しかし、それ以上に高い関心を集めていたのが、セシルの劇的な変化だ。

 貴婦人や令嬢たちの間では、きれいに痩せたセシルの話で持ち切りとなっている。エレーヌが、訳知り顔で、そのくせ核心は何も話さずに姪の自慢をして歩いていることも、噂に拍車を掛ける一因となっていた。


「うちの名前を出してもいいかと、エレーヌ様から聞かれています。どうしましょうか?」


 そう言うフェリシアは、ちょっと楽しそうだ。


「新しい事業の柱になりそうだな」

「これなら結構稼げるんじゃないか?」


 ミナセとヒューリがそんなやりとりをしている。

 それを聞きながら、マークが口を開いた。


「フェリシアはどう思う?」


 聞かれたフェリシアが、即答する。


「セシル様のケースをもとにすれば、どんな方にでもある程度は対応できると思います。ただ、お客様は選んだほうがいいかもしれません。どうしてもお客様自身の頑張りに依存しますので、成果が出なかった時のクレームには気を付けるべきだと思います」

「なるほど」


 話を聞いて、マークはしばらく黙っていた。人の体に関することだからだろうか。普段は決断の早いマークが、かなり長いこと考えている。

 やがて。


「まあ、大きな影響はないだろう」


 マークが小さくつぶやいた。


「?」


 全員が首を傾げる中、今度こそ、大きな声でマークが言った。


「決して無理はしない。お客様の健康を第一に考える。これを基本方針に据えて、ダイエット支援事業を始めてみるか」

「はい!」


 誰よりも早くミアが返事をした。


「対象は、貴族に限定しよう。エレーヌ様に窓口をお願いして、相手を見極めるようにしたい」

「はい」

「料金の設定は……」

「高めにしましょう!」

「あ、いや……」

「取れるところからは取りましょう!」

「えっと……」

「相手は貴族、遠慮は無用!」


 社員たちが次々と声を上げる。それに、マークが渋い顔をした。


「貴族のお金とは言え、もとは税金だ。あんまりそこから取るようなことは……」

「社長!」

「はいっ!」


 リリアがマークを鋭く睨む。

 思わずマークが背筋を伸ばした。


「貴族の皆さんが、その税金を我々庶民に還元してくれることはあるんですか?」

「いや、それはなかなか……」

「ないですよね? でも、うちの収入になれば、うちは良心価格が維持できるんです。庶民の役に立つじゃないですか!」

「まあ、そうかな」

「お得意さんへの手土産も遠慮なく買えるようになります。ちゃんと庶民に還元されるんですよ」

「それはそうかもしれないけど……」

「社長!」


 リリアの言葉には説得力があった。

 その声には、何とも言えぬ迫力があった。


「料金は高めに設定します。いいですね?」

「……はい」


 マーク、敗北。

 リリア、ガッツポーツ。


「うちの大黒柱は、リリアだったりするのかな?」


 ポツリと言ったヒューリの言葉に、みんながこっそり頷いていた。



 数日後、マークはフェリシアとミアを伴ってロダン公爵邸を訪れ、エレーヌに話をした。エレーヌは、窓口になることと、相手を選定することを快く引き受けてくれた。


「エレーヌ様が引き受けてくれてよかったですね!」


 事務所に戻りながら、ミアがホッとしたように言う。

 並んで歩くフェリシアが、それに答えた。


「エレーヌ様にとっても悪い話じゃないもの。引き受けていただけるとは思っていたわ」

「そうなんですか?」


 ミアが、少し驚いたようにフェリシアを見る。


「そうよ」


 フェリシアが、笑ってミアを見た。


「貴族の勢力争いっていうのはね、とても熾烈なの。それは、ご婦人同士でも同じだわ。この話は、交渉を有利に進めるための武器になり得る。エレーヌ様だけの特権になるのよ」

「何て言うか、そういうのって、ちょっと寂しい気がするんですけど」


 生々しい話に、ミアが眉をひそめた。

 笑顔を収めたフェリシアが、少し厳しい声で言う。


「エレーヌ様は、ロダン公爵の奥方。とても優しい方だけれど、それだけでは済まされないお立場なの。ほかのご婦人を従わせたり、時には黙らせたり、そんなことだってしなければならないのよ」

「そう、なんですかね?」

「そうよ。世の中は綺麗事ばかりじゃないわ。現実はちゃんと見なきゃだめよ」

「はい……」


 エム商会に入社してから、ミアは様々な経験をしてきた。戦いも経験したし、人のイヤな面も見てきた。フェリシアに言われなくたって、世の中が綺麗事ばかりじゃないことくらい分かっている。

 それでも、エレーヌが策略を巡らせたり人を支配したりする姿は、あまり想像したくなかった。

 ロイに向ける穏やかな微笑み。安心感を与えてくれる柔らかな物腰。そんな姿がエレーヌには似合うと、ミアは思っている。


 悲しそうにミアは歩く。地面を見つめ、無言のままミアは歩いていた。

 ふと。


「ミアは、エレーヌ様のことが好きか?」


 前を行くマークがミアに聞いた。


「え? えっと、まあ、そうですね」


 突然の質問に、ミアは曖昧に答える。

 フェリシアが、興味深げにマークの背中を見つめた。


「例えばエレーヌ様が、今回の件を利用して、味方を増やしたり敵を黙らせたりしても、嫌いにはならないか?」

 

 重ねての質問に、ミアは考えた。歩きながら、地面を見つめて考える。

 やがて、ミアが答えた。


「たぶん、嫌いにならないと思います」

「どうして?」

「エレーヌ様がすることなら、それは悪いことではないと思うから、ですかね?」


 ちょっと首を傾けながらミアが言う。


「じゃあもし、エレーヌ様が悪いことに利用したら、ミアはどうする?」


 続けざまに聞かれて、ミアは困った顔をした。

 この質問は難しい。ミアにとってあまり考えたくない質問だ。

 それでも、ミアは考える。考えて考えて、そして顔を上げる。


「もしエレーヌ様が悪いことに利用したら」


 ちょっと大きな声で答えた。


「どうしてそんなことをするのか、聞きに行くと思います」


 それを聞いて、フェリシアがびっくりしている。


「聞きに行くの?」

「はい」


 フェリシアに顔を向けて、ミアはきっぱりと答えた。

 マークが問う。


「聞いてどうする?」

「聞いて納得できなければ、止めてくださいって言います」


 ミアが言った。


「私たちはそんなつもりでお願いしたんじゃありません。だから止めてくださいって、エレーヌ様に言います!」


 目の前の背中を睨み付けるようにして、ミアが言った。

 マークが立ち止まる。そして向きを変え、ミアを見た。


「ミア」

「はい!」


 ミアの喉が、ごくりと鳴った。マークの顔がやけに真剣だ。

 マークの手が伸びる。ミアの目が広がっていく。

 マークの手が、ミアの肩を掴む。

 その手が一度離れ……。


「いい答えだ」


 軽やかに、ポンと肩を叩いた。

 マークが嬉しそうに笑う。


「俺たちは何でも屋だ。お客様が望み、それが俺たちにできることなら何でもやる。だけど、その仕事をした結果がどうなるのかを、いつも考えなくちゃならない」


 笑顔のままで、マークが語った。


「考えて、それが人の役に立つと思ったら仕事を引き受ける。そして一生懸命頑張る。だけど、よく考えて引き受けた仕事が、思わぬ結果を招いてしまうことだってあるだろう」


 ミアが、大きく開いたその目でマークを見つめる。


「そうなってしまったらどうするか。その答えは、ミアの答えそのものなんだ。どうしてそうなってしまったのかを考えると同時に、それ以上悪いことが起きないよう行動する。ミアの答えは、とてもいい答えなんだ」


 ミアの肩を、マークがまた叩いた。


「自分の仕事には責任を持つ。終わってからも結果を見守る。そんな風に仕事をしてほしいと、俺は思ってる」


 マークが前を向く。

 マークが歩き出す。


「貴族相手の仕事は大変だろうけど、頑張れよ」

「はい!」


 ミアも歩き出す。

 大きな声で返事をして、大きく前後に手を振りながら、ミアは歩く。


 フェリシアも、少し遅れて歩き出した。前の二人の顔は分からない。だけど、二人とも笑いながら歩いている。そんな気がして、フェリシアも楽しそうに微笑みながら、二人の後ろを歩いていった。

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