招かれざる客
ダイエット支援事業は好調な滑り出しを見せた。大量の問い合わせをエレーヌがうまく捌いてくれるおかげで、過密なスケジュールになることも、おかしな客を相手にすることもない。高めに設定した料金も、貴族にとっては何ら問題ない金額だったようで、支払いを渋られることもなかった。
マークの方針で、従来の仕事もなるべく受けるようにしていたため一気に売上倍増とはいかなかったが、それでもエム商会の財務状況は大幅に改善しつつある。マークが持ってくる領収書を、リリアが笑顔で受け取るようになっていた。
「これなら、みんなにボーナスが出せるかもしれないな」
「ボーナス? 何ですか、それ?」
ミアに聞かれてマークが答える。
「給料とは別に社員に渡す、お小遣いみたいなものだな。業績がよかった時に、社員へ感謝を込めて……」
「社長!」
鋭い声が飛ぶ。
「はいっ!」
マークが背筋を伸ばす。
リリアが、マークを睨んでいた。
「新しい事業はまだ始まったばかり。軌道に乗ったと言えるほどの実績はありません。預金残高も、安心できるほど増えている訳ではないんです。油断してはいけません」
「はい……」
冷静に言われてマークがうなだれる。
隣でミアも、うなだれる。
「リリア、最強」
シンシアがぼそっとつぶやいた。
リリアは慎重な見方をしていたが、その後もエレーヌへの問い合わせは途切れることがなく、申し込みは常に順番待ちの状態が続いていて、新規事業は着々と成功を収めつつあった。
そんなある日。
トントントン
「はい、少々お待ちください!」
元気に返事をして、リリアが駆けていく。
ガチャ
「いらっしゃいませ……」
扉を開けたリリアが、一瞬怯んだ。
「ここがエム商会ですか。何ともまあ」
冷たい声が、頭の上から聞こえた。
リリアの目の前には、背の高い女。見下ろすその目には、明らかに蔑みの色。
「あの……」
「いつまで私を立たせておくつもりですか?」
「すみません、でも……」
「いいからそこをどきなさい。気は進みませんが、あの安っぽいソファに座って差し上げます」
そう言うと、女はリリアを押しのけて、事務所の中へと入ってきた。
「まったく、どうして私がこんなところに」
ぶつぶつ言いながら歩を進め、平然とソファに腰掛ける。
「えっと、ご用件は……」
「この会社は、客にお茶も出さないのですか?」
「あ、すみません。少々お待ち下さい」
あまりに無礼、あまりに露骨な上から目線。それでもリリアは、おとなしくお茶を淹れに隣の部屋へと入っていった。
事務所にいたのがリリアでなければ、女はつまみ出されるか、刃を喉元に突きつけられるか、あるいは丸焦げになっていたに違いない。留守番がリリアだったのは、女にとって非常な幸運だった。
「お待たせしました」
微笑みながら、リリアが女の前にカップを置く。無愛想な顔のまま、女がそれを口に運ぶ。
「やっぱり、庶民の飲むお茶は口に合いませんわね」
一口飲んで、女が言い放った。
それを聞いたリリアが、にこやかに笑う。
「すみません、ロダン公爵夫人から頂戴したお茶だったんですけど、お口に合いませんでしたでしょうか?」
「えっ?」
「国王陛下に献上されるほどの銘茶だと伺ったんですけど」
「……」
女が、絶句したまま固まった。
だが、それでもどうにか言葉を絞り出す。
「き、きっと淹れ方が……」
「夫人から教えていただいた通りに淹れたつもりだったんですけど」
「ど、道具が……」
「一緒に頂戴した道具が悪かったんでしょうか?」
「……」
女は完全に言葉を失った。カップを持つ手が小刻みに震える。
「もしかすると、お水がいけなかったのかもしれませんね。すみませんでした」
リリアが頭を下げた。そのまましばらく頭を下げ続ける。
気まずい時間が流れた。女にとって、恐ろしく長い沈黙の時間だった。
やがてリリアが顔を上げる。その顔には、可愛らしい微笑み。でも、その目は笑っていない。
やっぱりリリアも怒っていたらしい。
「み、水が、ちゃんと、していればね……」
カップを置きながら、リリアを見ずに女が言った。相変わらずの口調だが、完全にその勢いはなくなっている。
穏やかに、リリアが聞いた。
「それで、本日はどのようなご用件でいらっしゃったのでしょうか?」
「それは……」
女が答えた。
動揺で言葉が詰まる。続きが出てこない。
「それは?」
にこやかにリリアが促す。
「私は」
女が、掠れた声で言った。
「使いで来たのです」
プライドを奮い立たせて、女が答えた。
「どなたのですか?」
余裕のリリア。
余裕のない女。
「それは……」
「それは?」
攻勢のリリア。
守勢の女。
ヒューリがいたら、きっと楽しげに声援を送ったことだろう。
いいぞ、行け行け!
にこにこしながらリリアが押しまくる。女がハンカチで汗を拭う。
その戦局が、突如崩れた。女の言葉で、リリアの表情が一変する。
「私は、この国を取り仕切る三公爵のお一人、カミュ公爵の奥方様でいらっしゃいます、イザベラ様にお仕えする者です」
「カミュ、公爵?」
リリアの顔が、急速に引き締まっていく。
カミュ公爵。
この国の治安維持を司っている人物。
マーク逮捕事件の、黒幕。
リリアの顔から笑みが消えた。その顔には、警戒と、そして焦り。
「こちらの会社が、ご婦人方の美容に関する依頼を受けているという話が、イザベラ様のお耳に入りました」
女がようやく用件を話し始めた。いまだ余裕のない女は、リリアの変化に気付きながらも、慎重に話を続ける。
「イザベラ様が、その話に興味をお持ちになっておられます。そこで私が、イザベラ様のご意向を伝えに来たのです」
リリアは返事しない。それを女は、都合のいいように解釈した。この少女は、きっと自分の主を知って恐縮しているに違いない。
女の声に力が戻る。顎を上げ、復活した見下すような視線でリリアに言った。
「畏れ多くも、イザベラ様がその話を直接お聞きになるとおっしゃっています。明日の午後、詳しく説明できる者をお屋敷に寄越しなさい。社名を名乗れば分かるように、門兵には伝えておきます」
「あの……」
「あなた方のような庶民が、そのご尊顔を拝謁できるだけでも光栄なことなのです。くれぐれも失礼のないように」
「えっと……」
「しかと申し伝えましたよ。明日の午後、間違いなくお屋敷にいらっしゃい」
すっかり勢いを取り戻した女は、言うだけ言うと、立ち上がって玄関へと歩き出した。いつもなら機転を利かせることができるリリアが、今回ばかりは、気が動転してうまく対応できない。
「まったく」
意味のない捨てぜりふを残して、女はそのまま振り返ることもなく事務所から出ていった。
「どうしよう……」
閉じた扉を見つめたまま、リリアは呆然と立ち尽くしていた。
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