あの子
エム商会の事務所は重い空気に包まれていた。全員が腕を組み、あるいは難しい顔をしてテーブルを睨んでいる。
「すみません。私がその場で断ってしまえばよかったのに」
うつむいたまま、リリアが言った。
「気にしない方がいいわ。私だって、突然そんな人が来たら、上手に対応なんてできなかったと思うもの」
フェリシアの言葉にシンシアも頷く。
エム商会がこの国で最も警戒している人物、カミュ公爵。その奥方からの使者の来訪は、マークをはじめ、誰もが予想していない出来事だった。
「いったい、どういうつもりなんでしょうか?」
ミナセが聞くが、マークは腕を組んだまま答えなかった。
カミュ公爵については、本人はもとより、その家族や親族についても可能な範囲で調べている。
貴族にしては珍しく、夫人は正室の一人だけ。夫婦には子供が三人いて、上から男、男、女だ。長男も次男もすでに結婚していて、長女もそろそろかという話が出ている。
問題の夫人、イザベラはと言えば、気難しい人物として知られていた。同じ公爵夫人のエレーヌとは対照的で、あまり笑顔を見せないようだ。ただ、敵が多いのかと言えばそうでもなく、単に人付き合いが下手なだけなのかもしれない。
そしてたしかに、エム商会に依頼してきてもおかしくないという体型をしていた。
しばらく考えていたマークが、やがて話し出した。
「俺たちに手を出すのが得策でないことは、カミュ公爵も分かっているはずだ。何も知らない夫人が使いを寄越しただけ、と考えるのが自然だとは思う」
「では、お断りしますか? 面倒なことは避けたいですし、直接受けてしまったら不公平にもなりますし」
「いや、簡単には断れないだろう」
ミナセに向かってマークが言った。
「使いの女性に、エレーヌ様が窓口であることを説明していない。まずは明日伺って、きちんと事情を話した上で、それでも先方が納得しなかった場合は受けざるを得ないかもしれない」
「すみませんでした!」
リリアがまた頭を下げる。
うなだれるリリアに、マークが柔らかく言った。
「今回のことは、たしかにリリアのミスだ。でも、さっきフェリシアが言った通りで、冷静な対応は難しかっただろう。落ち込む必要はないよ」
「はい……」
マークに言われて、どうにかリリアは顔を上げた。
「フェリシア、ミア。明日は土曜日だけど、予定はあるか?」
「ありません」
「大丈夫です」
二人の答えを聞いて、マークが言った。
「すまないが、仕事だ。俺と一緒にエレーヌ様にお会いした後、カミュ公爵家の屋敷に行ってもらいたい」
「分かりました」
「はい」
マークに言われた二人は、緊張気味に頷いた。
翌土曜日。三人は急遽エレーヌを訪ねた。話を聞いたエレーヌは、三人が予想していなかった反応を示す。
「まっくもう、あの子は……」
「あの子、ですか?」
思わず聞き返したマークに、エレーヌが答えた。
「イザベラはね、私の幼馴染みなのよ。子供の頃は人懐っこくて凄くいい子だったのに、結婚してからは、やけに無愛想になっちゃって」
憂いを帯びたその言葉を、三人は目を見張りながら聞いている。
「あの子が変わってしまった理由は、何となく想像がつくのだけれど……」
ふぅ
エレーヌが小さく息を吐き出す。
そして顔を上げ、マークを見て言った。
「よろしければ、あの子の力になってあげて下さらないかしら。たぶん、娘さんの結婚式までに何とかしたいって思っているはずだから」
「なるほど」
マークが頷いた。
「私が窓口をしていることは、あの子に言わなくてもいいわ。あの子、そんなことは知っているはずだから」
「そうなんですか?」
「あの子はね、頭のいい子よ。あなた方が困ってここに相談に来ることも、私がどう答えるのかも、全部分かってやっていると思うし」
「……」
さすがのマークも、エレーヌの言葉には驚いた。
「ごめんなさいね、面倒なことばかりお願いして」
申し訳なさそうに、エレーヌが微笑む。
そのエレーヌに微笑みを返して、マークが答えた。
「イザベラ様の件、間違いなくお引き受けいたします」
そして、午後。
「男の俺がいたら、夫人も話しにくいだろう。今回も二人に任せる」
エレーヌとの話が終わり、ロダン公爵邸を出たマークが二人に言った。
「先方に隠された意図はないと思うが、それでも注意はしてくれ。万が一の時は、二人の安全が最優先だ。警備の兵をぶちのめしてでも無事に帰ってきてほしい」
真剣なマークに、真剣に頷いて、二人はカミュ公爵の屋敷へと向かった。
「エム商会でございます」
門兵に名乗ると、二人はすぐに門の内側へと通された。
ミアにとっては初めて、フェリシアにとっては二回目の”訪問”となる。おどおどするミアの隣でフェリシアは、索敵魔法と集中力を最大限に発揮して屋敷の中を探っていた。
魔力反応の数、視界の中の兵士の数ともに、以前より間違いなく増えている。一度破られた警備体制をそのままにしておくほど、カミュ公爵はぬるい人物ではなかったようだ。
ただ、エム商会のことを表立って警戒している訳ではないらしい。社名を告げた時の門兵の対応に、不自然な様子は感じられなかった。
とは言え、エム商会が堂々と屋敷内に入ることを、公爵が簡単に許すとは思えない。
やっぱりカミュ公爵は、今回の件を知らないのかしら?
先導する兵士の後ろをフェリシアは歩く。研ぎ澄まされた感覚を飄々とした表情の裏に隠しながら、フェリシアはミアと並んで歩いていった。
屋敷に入ると、案内が背の高い女性に変わる。メイドというより、侍女といった雰囲気だ。服装も、そして二人を見る目も、ただの使用人とは明らかに違った。
「イザベラ様は、大変お忙しいお方です。お手が空くまでここでお待ちなさい」
そう言い残して、侍女は扉を出ていった。
二人が通されたのは、小さな部屋。簡素なソファとテーブル、ちょっとしたタンスと、壁に飾られた風景画。貴族の屋敷の調度品が安物であるはずはなかったが、二人の目には、そのどれもがなぜか色褪せて見えた。
「あの人が、リリアの言っていた女の人なんでしょうか?」
「そんな気はするわね」
「私、あの人苦手です」
ミアは、滅多に人を嫌いになることがない。そのミアをもってしても、あの侍女の視線は受け入れ難いようだ。
「貴族とか、そのお付きの人たちなんて、みんなあんなものよ。ロダン公爵家の皆様が特別なだけだわ」
「そんなものですかねぇ」
平然と答えるフェリシアを、ちょっと不満そうにミアが見た。
「あなたは感情が顔に出やすいんだから、気を付けるのよ。受け答えは私がするから、あなたは微笑みを絶やさずにいること。いいわね」
「はい……」
やっぱり不満顔のミアを見ながら、フェリシアは考えていた。
あの侍女は、イザベラのことを”奥様”や”奥方様”ではなく名前で呼んでいた。おそらくは、イザベラ付きの侍女。自身も貴族の家柄なのかもしれない。
リリアの話から考えると、プライドは高いが、あまり賢く振る舞うタイプではないらしい。
だからこそ厄介だ。
イザベラだけでなく、侍女のご機嫌も取らないと、話がまとまらない可能性がある。
私もあの人、苦手かも
頬を膨らませるミアを見ながら、フェリシアは小さくため息をついた。
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