永遠(とわ)にあなたと

 セシルのダイエットは、翌日から開始された。家族には内緒にしたいとセシルは言ったのだが、毎日エム商会の社員と会うことや、食事を変えることなどを考えると、やはりそれは難しかった。

 エレーヌがセシルを説得し、同時に両親への説明と、フェリシアとミアの紹介も引き受けてくれて、無事に環境は整えられた。

 最初のうちはフェリシアとミアが、やがてはほかの社員たちも加わって、六人全員でセシルをサポートしていく。


 セシルと一緒に歩き、セシルと一緒にトレーニングをする。

 屋敷の料理人に協力を求め、特別に食事を用意してもらう。

 毎日ウェストを計測して、その数値をグラフに書き込む。


 セシルと話し合い、その日の予定や体調に合わせて食事と運動を変えながら、地道にダイエットは続いた。

 ここで予想以上に活躍をしたのが、リリアとシンシアだった。

 マークに教えてもらった食事のポイントをもとに、二人は様々なダイエットメニューを考案していく。三食の食事はもちろん、夜遅く帰宅した時に食べる夜食や、デトックス効果のある飲み物などを次々と考え出し、料理人たちに伝えていった。

 おかげでセシルは、食事制限に大きな苦痛を感じることもなくダイエットを続けることができた。


 最初はあまり変わらなかったセシルの体型も、徐々に変化を見せていく。それは数字にはっきりと表れた。ウェストの数字が減っていった。グラフの線が右下へと下降していった。

 反比例するように、セシルのモチベーションが上がっていく。そしてまたセシルが頑張る。

 いつの頃からか、セシルは料理にも興味を持ち始めた。厨房に立って自分で食事を作ってみる。リリアとシンシアからレシピを聞いて、自分でもいろいろと工夫をしてみる。

 生活が変わった。気持ちが変わった。

 気が付くと、セシルの体は驚くような変化を遂げていた。



「セシル、あなた!」


 しばらく振りに訪ねたロダン公爵邸で、エレーヌが大きな声を上げる。


「いかがです、叔母様」


 立ち尽くすエレーヌの前で、セシルがくるりと回ってみせた。


「とてもきれいになったわ。それはもう、驚くくらいに」


 心底驚いているエレーヌを、セシルが楽しそうに見る。


「コルセットが楽に着けられるようになりました。体調もいいですし、お肌の具合までよくなりましたの」


 まあるかった顔は、すっきりとしていた。

 緩やかだったウエストは、見事にくびれていた。

 年頃の娘にありがちだった吹き出物も、きれいになくなっている。


「私も、お願いしようかしら」


 セシルの後ろに控えるフェリシアとミアに、エレーヌが真剣な目を向けていた。



「あの方、私だって分かるかしら?」


 廊下を歩きながら、セシルが微笑む。

 今日は、某伯爵家主催の舞踏会。次男坊もどこかにいるはずだ。

 成果が出るまで社交の場への参加を避けてきたこともあって、次男坊と会うのは結構久し振りになる。あの”事件”以来、次男坊は何度か家にセシルを訪ねてきていたが、体調不良を理由に毎回追い返していた。


「少し反省するといいんだわ」


 あの時の悔しさを思い出し、同時にこの後の次男坊の反応を想像しながら、セシルは舞踏会の会場へと足を踏み入れた。


「あら、セシル様、よね?」

「お久し振りです」


 顔見知りの夫人と挨拶を交わしながら、その目が素早く周りを見回す。


「最近お見掛けしませんでしたけど、何かございましたの?」

「じつは、少し体調を崩しておりまして」


 無難に答えながら、その姿を探す。


「そうなんですの? それでそのように……」


 言葉を濁しながら、相手は露骨にセシルを見ていた。

 露骨な視線は、目の前の夫人だけではない。男女を問わず、周囲の人間がセシルを見ている。

 同年代の令嬢たちが、口元を隠しながらヒソヒソと話をしているのが分かった。だがセシルは、それを無視して会場を見渡す。どこかにいるはずの相手を探す。

 その時。


「セシル様、本日はお越しいただきありがとうございました」


 主催者である伯爵家の長男がやってきた。


「本日はお招きいただき、ありがとうございます」


 セシルが笑顔を返す。

 すると。


「セシル様、ご機嫌麗しゅう」


 今度は、精悍な顔つきの逞しい男に挨拶をされた。


「ごきげんよう」


 返事をしながら、セシルは記憶を辿る。


 この方は、たしか近衛の……


 さらに。


「セシル様、ご無沙汰しております」


 背の高い貴公子が声を掛けてきた。


「あら……」


 その顔を見ながらセシルは考える。


 誰だったかしら?


 にこやかな顔の裏で考える。

 続けて、もう一人。


「セシル様、お初にお目に掛かります」

「初めまして……」


 色白の優男だ。名前を名乗り、微笑みながらセシルを見つめている。

 話をするのは初めてだったが、セシルは男を知っていた。


 この人って、プレイボーイで有名な……


 男は、社交界の有名人。常に注目を浴びている、男爵家の跡取り息子だった。


 四人の男に囲まれて、セシルは談笑する。

 セシルは貴族の娘。ここは社交の場。うまく立ち回らなければならない。

 だが。


 もう、何なのよ!


 心の中で、セシルは苛立っていた。

 過去の舞踏会では、こんなに男が寄ってきたことなどなかった。見知った人と話をし、誰かを紹介されれば挨拶をして、時々男とダンスを踊る。必要な人に自分が来ていたことをしっかり記憶させることができたなら、後は適当なタイミングで抜けて帰るだけ。

 それがいつもの舞踏会だった。

 それなのに今日は……。


 セシルは笑う。セシルは話す。

 だが、その目は男たちを見ていない。


 セシルは見渡す。セシルは探す。

 その視線は、常に会場の中をさまよっていた。


 やがて、ついに。


「少し失礼してもいいかしら?」


 それだけ言って、セシルは囲みの中から足を踏み出した。突然のことに呆然とする男たちを放置して、足早に会場の隅へと向かっていく。

 談笑する男女をかき分けて、セシルは歩く。

 声を掛けてきそうな男から目を逸らして、セシルは進む。

 向かう先には一人の男。あの、次男坊。次男坊は、一直線に自分に向かってくるセシルを、驚きながら見つめていた。

 そして。


「お久し振りです」


 次男坊が言った。


「その……すみませんでした」


 やつれた顔で言った。

 セシルが黙って次男坊を見つめる。その視線に耐え切れなくなって、次男坊は目を伏せた。


「あの……僕はセシルさんに、ひどいことを言ってしまったと思うんです。それで、何度かお詫びに伺ったのですが、セシルさんはお体の調子がよくないとのことで」


 ちらりとセシルを見る。


「でも、妹さんが、こっそり教えて下さったのです。セシルさんは……その……今とても頑張っていらっしゃるって」


 声がどんどん小さくなっていく。


「だから、僕は決めたんです、僕も、セシルさんと同じように頑張ろうって」


 掠れ始めたその声は、今度は泣きそうだ。


「食事を減らしたり薬を飲んだり、いろいろやりました。だけど、本当につらかったです。こんな思いをセシルさんもしているのかと思うと、僕はもう……」


 とうとう次男坊は、声を詰まらせながら泣き始めてしまった。周りの人たちが、驚いて二人を見ている。

 その時。


「何ておバカさんなんですの!」


 大きな声で、セシルが言った。


「本当にあなたは、どうしようもない方ですわ!」


 びっくりして、次男坊が顔を上げる。

 その顔を、セシルが真正面から睨み付けた。


「わたくしの真似をすることに、何の意味があるとおっしゃるの? 食事を減らしてお薬を飲んで、そんなにやせ細るまで無理をして」


 セシルは怒っていた。顔を真っ赤にして、セシルは怒っていた。


「体を壊してしまったら、元も子もないではありませんか! 本当にあなたという人は……」


 まくし立てていたセシルが、ふいに黙り込む。肩を震わせ、拳を握り締めて、セシルが次男坊を睨む。

 突然。


「いらっしゃい!」


 次男坊の手をとって、セシルが歩き出した。


「えっ?」


 次男坊が、つんのめりそうになりながらセシルに引っ張られていく。

 会場の広間を出て、セシルは廊下を進んだ。


「あの、どちらへ」


 困惑気味の質問に、セシルが答える。


「わたくしの家です!」

「今からですか?」

「そうです。今のあなたに必要なのは、きちんとした食事です。わたくしが作って差し上げますから、それを召し上がって下さい!」

「セシルさんが?」


 驚きっぱなしの次男坊をグイグイ引っ張りながら、セシルが言う。


「健康な体は、健康な食生活からです!」

「はい……」

「きちんと食べて、きちんと運動をする。これは生活の基本です!」

「はい……」

「あなたは基本がなっていません!」

「すみません……」


 叱られている子どものように、次男坊がうなだれる。


「だから、これからはわたくしがあなたの健康を管理します!」

「はい……えっ?」


 次男坊が急に減速した。その手がセシルの手からすっぽ抜けそうになる。

 それをセシルは……。


 ギュッ


 強く、握り直した。


「セシルさん」


 次男坊が呼び掛ける。

 返事のかわりに、セシルが言った。


「これから二人で過ごす時間は、とても長いのです。あなたに元気でいていただかなくては、わたくしが困るのです」


 さっきまでの勢いはない。

 それは恥じらいの声。それは、乙女の声。


「セシルさん」

「何ですか?」


 速度を落としたものの、前を向いたまま歩みを止めないセシルに、次男坊が言った。


「さきほど言いそびれてしまったのですが」


 恥ずかしそうに、次男坊が言った。


「以前にも増して、あなたはきれいになりました」


 ギュッ


 セシルがうつむく。


「本当にあなたという人は……」


 ドレスの裾を摘んでセシルは歩く。セシルに引かれて次男坊が歩く。

 そろそろダンスが始まる時刻。周りに人は、すでにいない。魔石のランプに照らされながら、二人は黙って廊下を歩いた。


 ふと。


 舞踏会の会場から音楽が聞こえてきた。どうやらダンスが始まったようだ。

 この曲の名前は、たしか……


「永遠にあなたと」

「永遠にあなたと」


 驚いてセシルが振り向いた。

 嬉しそうに、次男坊が微笑んだ。


 歩みが止まる。時間が止まる。

 見つめ合う二人の背中を、愛の女神が、そっと押した。


「セシルさん。僕と、結婚してください」

「……はい」


 一つに重なる二つの影を、弦楽の調べが包み込む。

 永遠の愛を奏でる四重奏が、幸せに震える二人の心に、永遠の記憶を刻み込んでいった。

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