頑張る理由

「以上のように、セシル様には生活全般において気を付けていただくことがございます」

「お薬は使わないの?」

「使いません。従って、短期間で目に見える効果は期待できません。根気よく、地道に努力していただくことが必要となります」

「なるほどね」

「そのかわり、この方法であれば健康を害することはまずありませんし、効果も長続きすると思います」


 フェリシアの説明を、セシルが真剣に聞いている。隣のエレーヌも、興味津々という顔だ。


「最初のうちは、私どもの社員が毎日お屋敷にお伺いして、セシル様のお体の状態を確認させていただきます。お伺いする間隔は徐々に開いていくと思いますが、それでも、数日に一度はお会いして、問題がないかお話をお聞かせいただきたいと思っております」

「何だかお医者さんみたいね」


 エレーヌの言葉に、フェリシアが小さく微笑む。そして、表情を引き締めて言った。


「私どもはこれが最善の方法だと考えておりますが、いかがでしょうか?」


 説明を終えたフェリシアが、セシルを見つめた。セシルは、渡された資料に目を落として、おさらいするように読み返している。

 エレーヌが、それを覗きこみながらつぶやいた。


「難しいことは何もないけれど……。これで痩せるっていうのが、ちょっと不思議よね」


 それを聞いて、ミアが表情を堅くする。じつはミアも、この方法にはいまだに半信半疑なのだ。

 マークの言っていた痩せる方法。その内容は、大したことのないものばかりだった。


 食事に特定の食材を必ず入れること。食べる順番を変えること。パンの量を減らすこと。

 教えられた歩き方で、毎日三十分は歩くこと。同じく毎日、軽いトレーニングやストレッチをすること。

 そして、毎日お風呂に入ること。


 まとめてしまえばこんな感じである。へぇと思うこともあるにはあるが、はっきり言って、誰にでもできる普通のことだった。


「ご提案の内容には自信を持っておりますが、正直に申し上げますと、今回のようなご依頼をお受けするのは、私どもも初めてとなります」


 エレーヌのつぶやきに答えるように、フェリシアが言った。


「どうしても手探りの部分はございますので、セシル様とご相談をさせていただきながら、慎重に進めて参りたい思っております」

「うふふ、ほんとに正直ね」


 エレーヌが笑う。


「セシル様のお体に関わることです。無責任なことは申し上げられません」


 きっぱりとフェリシアは言い切った。

 資料を見ていたセシルが顔を上げる。そのままじっとフェリシアを見つめる。

 やがて、セシルが話し始めた。


「以前お薬を持ってきた商人は、自信満々に言っておりましたの。これなら絶対に痩せられますって」


 セシルがフェリシアを見つめ続ける。


「お食事を一日一度にすれば間違いないとか、蒸し風呂に長時間入るといいということも、友人から教えていただきました」


 フェリシアは、軽く頷きながらセシルの話を聞いていた。


「でもね、どれも体の調子が悪くなるだけで、大した効果はありませんでしたわ」


 そこまで話してセシルは黙った。全員が続きを待つが、セシルは、黙ったままなかなか口を開かない。

 息苦しい時間が流れる。ミアが、ゴクリと唾を飲み込む。

 ふと。


「ふぅ」


 セシルが小さくため息をついた。

 そして。


「正直に申し上げると、今の説明で、痩せるという実感は湧きません」


 ミアが下を向いた。残念ながら、ミアも同感だ。


 これはダメかな


 そんなことを考える。隣のフェリシアは、まったく表情を変えなかった。

 セシルがまた黙る。ミアのドキドキが加速する。


 セシルは、真っ直ぐにフェリシアを見つめている。

 そのセシルが、微笑んだ。微笑んで、セシルは意外な言葉を続けた。


「実感は湧かないけれど、でもわたくし、あなたのおっしゃったことを信じてみますわ」

「えっ?」


 ミアが思わず声を上げた。

 フェリシアが、穏やかに微笑んだ。


「ありがとうございます」

「よろしくね、フェリシア」

「はい。こちらこそ、よろしくお願い申し上げます」


 立ち上がって、フェリシアが頭を下げる。ミアも慌てて立ち上がって、同じく頭を下げた。

 ダイエット支援という、エム商会にとって初めての仕事がこうして始まったのだった。



「ねえ、セシル」

「何でしょう?」

「どうしてあの提案を受け入れたの?」


 ゆったりとお茶を飲むセシルをエレーヌが覗き込む。

 その顔をちらりと見て、セシルは静かにカップを置いた。


「それは、叔母様に聞いたお話を思い出したからですわ」

「私の話?」


 エレーヌが首を傾げる。


「あの二人が、ロイの命を救った時のお話です」

「ロイの?」


 そう言われても、まだピンとは来なかった。

 続きを待つエレーヌに、セシルが言った。


「あの二人は、命懸けでロイを救ってくれた。わたくしの依頼は、命を懸けるようなことではないけれど、それでも、あんなに一生懸命わたくしのことを考えてくれていた」


 手元の資料をそっと撫でる。


「お金のためでもない。調子よく合わせている訳でもない。わたくしのために、一生懸命になってくれている。だからわたくし、お願いしようと思いましたの」


 エレーヌが微笑んだ。

 ちょっと嬉しそうに微笑んだ。


「あなたは、きっと痩せられるわ」

「はい。わたくしもそう思います」


 セシルも微笑む。

 ちょっと嬉しそうに、セシルも微笑んでいた。



「私、お断りされるかと思っちゃいました」


 門を守る兵士にお辞儀をして歩き出すと、ミアが早速話し始めた。


「私もあの方法には自信ありませんでしたし、セシル様は以前からいろいろ試して、でも全部ダメで、きっと疑心暗鬼になっていたと思うんです。おまけに」


 ミアが、ちらりとフェリシアを見る。


「セシル様がお話されていた時、フェリシアさん、何も言わないで黙ったままでしたし」

 

 そう言ってミアは、今度ははっきりとフェリシアを覗き込んで聞いた。


「どうしてセシル様は、私たちの提案を受け入れてくださったんでしょう?」


 疑問符を浮かべる金色の瞳をフェリシアが見つめ返す。そして、話し始めた。


「商売抜きで、相手のためになることを考えてみること。相手が気持ちを話し始めた時は、余計な口を挟まないこと」

「何ですか、それ?」


 金色の瞳が疑問符だらけになった。

 フェリシアが笑う。


「社長からもらったアドバイスなの。商談をまとめるコツらしいわ」

「社長のアドバイス?」


 セシルとのやり取りを思い出すように、ミアが宙を見つめる。

 そして。


「なるほど」


 感心したように、小さくつぶやいた。


 基本的に、重要な顧客や新規客との商談はマークが行っていた。マークの都合が付かない時には、ミナセが代行している。

 見知っているとは言え、相手は公爵家。普通ならマークが出向くところ。だが、今回はそれがフェリシアに託されていた。


「私ね、どんな相手とも、それなりにお話ができるの。上辺だけを合わせるのは、すごく得意なのよ」

「それ、分かる気がします」


 正直にミアが相づちを打つ。


「でもね、女性を相手にするのって、じつはちょっと苦手なの」

「そうなんですか?」

「そうなの。会った瞬間に、いきなり嫌われちゃうことも多いから」

「それも、分かる気がします」


 またもや正直にミアが言った。

 嫌われるというのは大袈裟だとしても、フェリシアに対して対抗心とか妙な偏見とか、その他諸々のマイナス感情を抱く女性は、たしかにいた。美女には美女なりの苦労があるということなのだろう。


「だからね、ミナセとヒューリにお願いして、昨日練習をしておいたの」

「練習?」

「そう、説明の練習。セシル様が私を嫌っていないのは分かっていたけれど、説明が下手だったり、偉そうな印象を与えてしまったら、いくら内容がよくても依頼をしたくなくなるでしょう?」

「まあ、そうですね」

「そのための練習よ。いちおう成果はあったみたいでよかったわ」


 ホッとしたようにフェリシアが微笑んだ。

 そこに、珍しく不機嫌なミアの声がした。


「だったら私にも声を掛けてくださいよ。私も同行するのは分かっていたんですから」


 不満いっぱいの顔でミアが抗議する。

 すると、フェリシアがあっさりと答えた。


「ミアはだめよ」

「何でですか!?」

「だってミア、私に甘いもの。私のことは、褒めてはくれても、叱ってはくれないでしょ?」

「それは……」

「良いところは良い、悪いところは悪いってちゃんと言ってくれる人じゃないと、意味がないのよ」

「……」


 反論できなかった。

 大好きなフェリシア。そのフェリシアに対してズバリ指摘ができるかと問われれば、難しいというのが正直なところだ。

 それでも、その場に呼ばれなかったというのは、ミアにとってとても残念なことだった。

 やっぱり不満をにじませながら、ミアが黙り込む。そんなミアに、フェリシアが言った。


「私ね、あなたと一緒に仕事をするのが楽しいの」

「え?」


 突然の言葉に驚いて、ミアがフェリシアを見る。

 その瞳を柔らかく見つめ返して、フェリシアが微笑んだ。


「だからね、あなたと一緒の仕事では、絶対に失敗したくない。絶対に成功させて、二人で喜びを分かち合いたい。そう思うから、私は頑張れる」


 ミアの目がまん丸になる。


「声を掛けなかったのは悪かったわ。でもね、一緒にいてくれるだけで、あなたは私に力をくれているのよ」

「フェリシアさん……」


 ミアが、恥ずかしそうにうつむいた。

 その頭を、フェリシアが優しく撫でる。


「あなたはいつでも可愛いわね」


 仕事のためなら命をも投げ出す。知識と技術と、自分の体さえも使って仕事を為す。そして仕事を終えると、ベッドに潜って眠る。

 昔のフェリシアは、そうだった。

 でも、今は違う。


 ミアと一緒だから頑張る。マークに託された仕事だから頑張る。成果を出すために仲間を頼り、仕事がうまく行ったらそれを喜ぶ。

 今のフェリシアは、笑っていた。今のフェリシアは、とても楽しそうに仕事をしていた。


「さあ、これからが勝負よ。セシル様のお役に立てるように頑張りましょう!」

「はい!」


 ミアの頭をもう一度撫でて、フェリシアは歩き出す。今日の報告にマークが何と言ってくれるのかを想像しながら、軽やかな足取りでフェリシアは歩いていった。

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