マーク先生
「どうして引き受けなかったんですか?」
門を守る兵士にお辞儀をして歩き出すと、ミアが早速フェリシアに質問を始めた。
「セシル様、すごく残念そうでした」
ミアは、セシルのことが気になって仕方がなかった。エレーヌが笑いながら話していたあの出来事も、セシルにとっては笑い事で済まされなかったに違いない。
庶民である自分たちに対して、セシルはあんなに真剣に頼むと言っていた。あの真っ直ぐな瞳を、ミアは忘れることができなかった。
「貴族のお嬢様って、いつもお屋敷の中でおしとやかにしてるんですよね? だったら、一緒に走るとかしてたくさん運動をすれば……」
「ミア」
フェリシアが、思い掛けず強い声でミアを遮る。そして立ち止まり、ミアを正面から見て言った。
「セシル様はとてもいい方だわ。できることなら、私だって何とかして差し上げたい。でもね、私たちは、エム商会の社員なのよ」
「それは、そうです」
ミアは答えるが、フェリシアの言いたいことが分かっていないのがありありと分かる。
「お願いされたのは私とミアに対してだけど、それはつまり、うちの会社への依頼ということになるの」
「そう、なりますかね?」
「なるわ。エレーヌ様はお金を支払うとおっしゃっていたし、私が会社に戻って相談したいと言った時には、何もおっしゃらなかった」
「うーん、たしかに」
「会社として引き受けるにしては、ちょっと危険な仕事よ。貴族のご令嬢の体に直接関わることだし、失敗すれば、会社の評判にも関わるし」
「でも、エレーヌ様は、失敗しても私たちのせいにはしないって……」
「その言葉に甘えてはだめなの。いい加減な気持ちでお引き受けできるようなことではないでしょう?」
「そう、ですね」
さすがのミアにも、それは分かった。
セシルは、間違いなく相手のことが好きなのだ。だから、相手に気に入られたいと思って痩せると言い出したに違いない。
もし失敗したとしても、エレーヌは二人を責めることはしないだろう。だが、失敗するということは、セシルを傷付けることになるのだ。やり方次第では、セシルの健康を害してしまうかもしれない。それが縁談の成否に響いてしまうかもしれない。
役に立ちたいという気持ちだけで受けていい内容ではなかったのだ。
「私、ちゃんと考えていませんでした。すみませんでした」
ミアが、フェリシアに向かって頭を下げる。
三秒ほどきっちり頭を下げ続け、そして顔を上げた。
すると。
パフ
顔が、大きな胸に包まれた。
「うわっ! なんですか?」
ミアがびっくりする。その頭の上から、とても嬉しそうな声が聞こえた。
「ミア、やっぱりあなたはいい子ね」
フェリシアは、ニコニコしながらミアの頭を抱き締めていた。
よく分からないながらも、褒められてちょっと嬉しかったミアは、そのまま気持ちよさそうに目を閉じる。
が、突然。
「あっ!」
「なに!?」
今度は、フェリシアがびっくりしてミアを解放した。
顔を歪めながら、ミアが言った。
「マドレーヌ、食べ損ねちゃいました」
「ミア、あなたって……」
呆れるフェリシアの目の前で、ミアは、とても悲しそうな顔をしていた。
その日の夕方。
事務所でみんなは、フェリシアとミアから今日の出来事を聞いていた。
「貴族って大変なんですね」
リリアがしみじみとつぶやく。
「私は気にしたことなかったけどな」
「そう言えば、お前もいちおう上流階級の生まれだったな」
「いちおうとか言うな」
ふくれるヒューリを、ミナセが笑った。
「笑ってる場合じゃないんです! 皆さん、真剣に考えて下さい!」
珍しくミアがまじめだ。
「でも、痩せるって、どうやるの?」
隣でシンシアが、やっぱりまじめな顔で言った。
エム商会の社員たちは、ヒューリを除いて全員が平民出身だ。ヒューリにしても、社交場にいるより戦場にいる方が多いという特殊な環境で育っている。
毎朝修行をしていることもあるのだろうが、全員が、体型を保つために特別気を付けていることなどなかった。
「痩せる薬とか、ないんでしょうか?」
リリアがぽつりとつぶやく。
それに、ミアが反応した。
「そうだ! セシル様が言っていた薬って、痩せ薬のことだったんじゃないんですか?」
その目はフェリシアに向けられている。あの時聞き損ねた質問を、ミアはフェリシアにぶつけてみた。
聞かれたフェリシアが、大きくため息をついてから答えた。
「薬っていうのはね、下剤か吐剤のことよ」
「えっ?」
「痩せ薬っていうのはね、つまりは、食べた物を出す薬っていうことなのよ」
「そうなんですか!?」
予想外の答えに、ミアが驚いている。
「なんか、いや」
シンシアが、ぼそっと言った。
この世界において、痩せるということを医学的な観点で研究する人はほとんどいなかった。痩せ薬を謳ったものは存在するが、そのほとんどが、効果の不確かなものばかり。そんな薬を、金持ちや貴族の女性たちは高いお金を払って買い求めるのだ。
下剤や吐剤を飲み続ければたしかに痩せるが、当然体への負担も大きい。怪しい薬を飲んで体を壊してしまう女性も、意外なほどたくさんいた。
「痩せるって改めて言われると、どうしていいか分からないものだな」
ミナセの言葉に、女性たちは大きく頷いていた。
ふと。
「体質とか、まれに病気とかも関係はするけど」
マークが話し出した。
「生活習慣を改善すれば、大抵は痩せられるものだよ」
全員がマークに注目する。
「みんなは太っていない。けど、やせ細っている訳でもない。まさに健康的な美しさを保っている。それはね、みんながちゃんと食べて、ちゃんと運動をしているからなんだ」
「どういうことですか?」
ミアが食いついた。
「食べ物は、体を動かす力の源だ。だけど、必要以上に取れば、余った分が体に蓄積される。太る原因の一つだな」
「ふむふむ」
「ミアはよく食べるけど、その分よく動く。朝の修行とか仕事とかで、たくさん動いている」
「そうですね」
「食べた分動くから、太らない。それは確かにあるんだけど、もう一つ大切なことがあるんだ」
「それは?」
「それはね、ミアの体の代謝がいいってことだ」
「タイシャ?」
ミアが首を傾げる。
そこにいる全員が、同じく首を傾げていた。
「正確には基礎代謝っていうことになるんだけど……。難しい話は置いといて、要するに、太りにくい体っていうのは、ある程度は作れるものなんだよ」
「そうなんですか!?」
一斉に声が上がった。
「まあね」
思いがけない反応に、マークが驚いている。
「適度な運動を続けたり、体を温めたりすることで、少しずつ体質を変えることができる」
「ほうほう」
「食べ物も重要だ。発酵食品や食物繊維を含むものを多く取ったり、食べる順番を変えたり……」
「社長!」
フェリシアが叫んだ。
「それ、詳しくお願いします!」
「い、いいけど……」
メモを取り出して、フェリシアがマークを熱く見つめる。いや、フェリシアだけではなかった。そこにいる全員が、メモの用意をしてマークを熱く見つめている。
「えっと、じゃあ、最初から……」
熱心な生徒たちに囲まれて、マーク先生の講義は、その日の夜遅くまで続いたのだった。
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