セシルと次男坊
再び頬を染めるセシルの隣で、エレーヌが話を始めた。
セシルは十五才。兄と姉が一人ずつ、弟と妹が一人ずつ、五人兄弟のちょうど真ん中に生まれた。
この世界で十五才と言えば、もう大人。貴族であれば、結婚もしくは婚約するのが普通だ。セシルにも、両親が選んだ花婿候補がいた。
だが両親は、いきなりセシルに婚約をさせるようなことはしなかった。なるべく自然に互いを知ることができるよう、様々な機会を作る。
愛する娘のためということもあるが、理由はそれだけではない。両親が心配したのは、セシルの性格。その勝ち気な性格だった。
まあるい顔に似合わず、セシルは負けん気が強い。両親に表だって逆らうことはしないものの、気に入らないことが分かりやすく顔に出た。
花婿となる相手が気に入らなければ、きっとそれが態度に出る。その先にあるのは婚約破棄か、成婚したあとの冷めた夫婦生活だ。
だから両親は、セシルの相手を慎重に選んだ。そして二人は、家格も同列で、親同士のつながりもある家の、おっとりとした次男坊に白羽の矢を立てる。娘とぶつかりそうにない、なるべく穏やかな男を両親は選んだのだった。
最初にパーティーで引き合わせ、互いの屋敷で何度かお茶会を開き、徐々に二人きりの場を作る。娘の様子を、粘り強くじっと観察する。
その結果、両親は判断した。
これはいける!
娘は相手を気に入ったようだった。これならすんなりと婚約に漕ぎ着けられる。
両親がそう思い、じつはセシル本人もそんなことを思っていた、とある晴れた休日のこと。
「今日はいい天気ですね」
「はい」
二人は、アルミナの町を出てピクニックに来ていた。互いの従者も遠ざけて、二人だけで草原を歩く。
澄んだ空気と柔らかな日差し。ふわふわの絨毯のような草原は、足に優しくて気持ちがいい。今日はピクニック仕様の動きやすい服装だ。堅苦しいドレスと違ってとても解放感がある。
心も解放されたようで、セシルはちょっとウキウキしていた。
「あ、あそこにうさぎが」
「まあ」
のんびりした次男坊。少し頼りないところもあるが、それが不思議と母性本能をくすぐる。
「かわいいですね」
「本当に」
決して声を荒らげることのない穏やかな人柄。ご両親のことはセシルも小さい頃から知っていて、嫁姑の問題も、たぶん起きない。長男の嫁というプレッシャーもない。
貴族の子女として、決められた男に嫁ぐ覚悟はしていた。でも、この人となら、気持ちを押さえ込んで暮らしていかなくても大丈夫。
この人となら、一緒に人生を歩んでもいい、かも。
セシルがちらりと相手を見る。優しい顔立ちと優しい瞳。全体的にふっくらしている体型も、セシルを安心させる。
セシルは、胸の中で想像した。自分の花嫁姿と結婚式の光景。夫婦としての、二人の生活。
そんなことを考えていたからだろうか。セシルはまったく足下を見ていなかった。
だから気付かなかった。小さな窪みがあることに。
「きゃあ!」
突然足を取られて、セシルが倒れ込む。
「セシルさん!」
咄嗟に出された手を握る間もなく、セシルは転んでしまった。
だが、不幸中の幸い。窪みに取られた右足に左足が引っ掛かり、体に微妙なひねりが入ったおかげで、ベタンとみっともなく倒れ込むことはなかった。
柔らかな草のクッションに、肩からきれいに落ちて横回転。躊躇わずにバッグを手放したことも正解だったのか、とても自然にころりと転がって、うつ伏せ状態でセシルは止まった。
びっくりはしたものの、体のどこにも痛みはない。
でも、恥ずかしい。すごく恥ずかしい。どんどん顔が熱くなっていくのが分かる。
ここでセシルは考えた。この人は、今の私にどんな言葉を掛けてくれるだろうか。
この対応は、非常に重要だ。私に恥をかかせぬよう、ここはスマートに対処してもらいたい。
草の香りに埋もれながら、セシルはそんなことを考えたのだった。
その時、声が聞こえた。セシルがその言葉を聞く。
「セシルさんが、転がった……」
次男坊が言った。
よりによって、そんなことを次男坊は言ったのだった。
セシルが、自分で立ち上がる。肩を振るわせ、ちょっと涙目になりながら、セシルは立ち上がった。
服に付いた草を払って、次男坊を一瞬睨む。
そして。
「失礼します!」
落ちていたバッグを拾い上げると、セシルはその場から足早に立ち去ったのだった。
「ほんと、面白いわよねぇ」
「面白くありません!」
楽しそうなエレーヌに、セシルは大きな声で抗議をした。
フェリシアとミアは、どう反応していいのか分からない。
「だいたい、あの方だって痩せている訳ではありませんのよ。坂で躓けば、そのままどこまでもコロコロと転がっていくに違いありませんわ!」
口を尖らせて、セシルが文句を言う。
「つまりはこの子も、自分が太ってるっていう自覚はちゃんとあるのよ」
「叔母様!」
エレーヌが笑う。セシルが顔を真っ赤にする。
「それでね、とうとうこの子も、痩せる決心をしたという訳なの。偉いでしょ」
フェリシアが、やっぱり反応に困っている。
どう答えても何かに触れてしまいそうな気がして、ミアでさえ口をつぐんで黙っていた。
「そこで、二人にお願いがあるのよ」
「と、おっしゃいますと?」
ようやく反応できる流れがきた。フェリシアが慎重に聞き返す。
「この子が痩せるためのお手伝いを、二人にしていただけないかしら?」
「痩せるお手伝い?」
フェリシアとミアが顔を見合わせる。その顔は、また困っていた。
この世界においても、メリハリのあるプロポーションは女性の憧れだ。ましてや年頃ともなれば、自分の体型を気にする女性は多い。
とは言え。
庶民の生活は、王都アルミナであってもそれほど余裕がある訳ではなかった。普段の食事は質素なものだし、体が動く限り大人たちは働き、子供たちも仕事や家事を手伝っている。
つまりは、あまり極端に太る人もおらず、逆に太っているのは豊かな証拠と言う人もいるほどで、女性の体型をとやかく言う風潮はあまりない。
フェリシアもミアも、体型を意識して生活などしていなかった。
だが、それは庶民の話。上流階級ともなると、事情は違った。
流行による多少の変化はあるものの、社交の場で着用するドレスの形状は、ウエストがほっそりとしたものが好まれている。ゆえに、女性がドレスを着る時は、コルセットでお腹をギュウギュウと締め付けて、不自然なほどに細いウエストを作り出す必要があった。苦しみに耐えながら、女性たちは話し、踊り、笑っていたのだ。
そんな状態では食事などできるはずもなく、テーブルを彩る贅を尽くした料理は、女性にとってただの飾りと化す。
その反動か、無事にパーティーを乗り切って家に戻ってくると、たくさん食べてしまう女性も多かった。日頃体を動かすこともなく、食事も不規則となれば、太ってしまう女性がいてもおかしくはなかったのだ。
「この子に相談されて、私もいろいろ考えたのだけれど、私にはよく分からないのよね」
「叔母様、それは嫌味ですか?」
二人の子供がいるとは思えないほど、エレーヌは美しい体型を保っている。だが、本人は特に何かを意識している訳ではないらしかった。体質や生活習慣などの、総合的な結果なのだろう。
「わたくしも、いろいろ努力はしていますのよ。お食事を減らしたり、お薬を飲んだり……」
「お薬ですか?」
ふいにミアが、セシルに聞いた。薬という単語に反応したらしい。
「ええ」
「それはどんな……」
「エレーヌ様」
突然フェリシアが割って入る。同時に、ミアの太ももをテーブルの下でつねっていた。
変な顔をするミアを、エレーヌとセシルが不思議そうに見る。
フェリシアが、強引に話を始めた。
「私もミアも、今日セシル様とお会いしたばかりです。そんな私たちが、貴人のご令嬢のお体に関するお手伝いなど、お話を伺うだけでも畏れ多いのですが……」
「わたくしは構いません」
エレーヌではなく、セシルがそれに答えた。
「叔母様が、お二人を私室に招いている。そのことだけでも、お二人が信用に値する人たちだと分かります」
フェリシアが驚く。
エレーヌが、微笑む。
「わたくしは、あの方が許せないのです。あの方を黙らせないことには、わたくしの気が済みません。恥ずかしいなどと言っている場合ではないのです」
開き直ったようにセシルが話し出した。
「噂には聞いていました。エム商会という会社の方たちは、みな美しいと。お二人を見て、それが事実だということが分かりました。お二人が社交界にデビューすれば、殿方の目を釘付けにしてしまうことでしょう」
セシルが身を乗り出す。
「お二人なら、美しい体を手に入れる方法をきっとご存じのはず。お二人なら、きっと何とかしてくれるはず。わたくしは、今そう確信しております。だから、どうかわたくしに力を貸していただけないかしら」
真っ直ぐな瞳がフェリシアを見つめた。
「私からも、改めてお願いするわ」
エレーヌも、笑顔を収めてフェリシアを見る。
「かわいい姪のことだもの。変な人には頼めない。きちんとお金もお支払いするし、もしセシルが痩せることができなくても、あなたたちのせいになんてしない。だから、引き受けて下さらないかしら」
二人から言われて、フェリシアは黙ってしまった。ミアが心配そうに自分を見ているのが分かる。
フェリシアは考えた。背筋を伸ばしたまま、視線を落として考える。
やがて、フェリシアが答えた。
「一度会社に戻って、相談してきてもよろしいでしょうか?」
フェリシアは慎重だった。
ミアは、ちょっと残念そうにしていた。
「お世話になっているエレーヌ様からのご依頼です。なるべくならお引き受けしたいとは思うのですが、ご満足いただける結果が出せるかどうか、今は確証がないのです。申し訳ございません」
そう言って、フェリシアは頭を下げた。ミアも慌てて頭を下げる。
少し気まずい空気。誰も何も言わない時間が過ぎていく。
「分かったわ。無理なことを言ってごめんなさいね」
やがて、エレーヌが答えた。
「結論が出たら、連絡をちょうだいね」
「はい、もちろんでございます」
もう一度頭を下げて、フェリシアは席を立つ。
「連絡をお待ちしているわ」
「はい」
セシルに返事をして、二人は部屋を出た。
その背中を見送って、エレーヌがゆったりとお茶を飲む。隣のセシルが、扉を見つめたまま話し出した。
「叔母様とわたくしが真剣に頼んでいるのに、引き受けていただけませんでした」
「そうね」
「商人というのは、貴族とつながりを持ちたがるものではないのでしょうか?」
「どうかしらね」
「叔母様」
セシルがエレーヌを見る。
「わたくしの頼み方が悪かったのですか?」
「いいえ、そうではないわ」
「それならば」
もう一度セシルが扉を見る。そして、真剣に言った。
「わたくしは、お返事を待ちたいと思います」
エレーヌが微笑む。
「やっぱりあなたはいい子ね」
とても嬉しそうに、エレーヌは微笑んでいた。
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