vsスプーン
宿屋の食堂は今日も混んでいる。
ミナセに加えて、ヒューリがここを常宿にするようになってからはずっとこの調子だ。さらにフェリシアが来てからは、中に入れない客が、樽や箱をテーブルやイスがわりに外で飲み食いをしている。
宿泊客も増えていて、ほぼ毎日が満室状態だ。孤児院を出たミアがこの宿を滞在先にしようとしたが、部屋が空いておらず、今はフェリシアと相部屋になっている。
四人に対して、宿屋の主人と女将は常に満面の笑み。朝食はいつも一品無料、夜は飲み物が一杯無料だ。
そんな宿屋の広告塔四人が、食堂でテーブルを囲んでいる。
当然客の視線は常にそのテーブルに注がれているが、そんなことにはお構いなく、四人は酒を飲んでいた。
ミアだけが落ち着かない様子でチラチラと周りを見ていたが、「すぐ慣れるわよ」というフェリシアの言葉に、諦めて肉を口に運ぶ。
ちなみにミアは、なぜか酒はいける口だった。教会で作っていた薬酒を昔から飲んでいたからだと、本人は言っている。
「おばちゃん、おかわり!」
ヒューリが三杯目の酒を注文する。
「ヒューリ、ちょっとペース早いぞ」
「いいんだ。おばちゃん、早く持ってきて!」
ミナセの注意を無視して、ヒューリが酒を催促した。
「まあ、今日はしょうがないんじゃない?」
「そうですね」
フェリシアのつぶやきにミアも頷く。
ミナセも、仕方がないという顔で、三杯目をあおるヒューリを眺めていた。
「それにしても」
フェリシアが、思い出したように言った。
「頑張るだけならサルでもできるって、強烈よね」
「あーっ、言うなーっ!」
ヒューリが叫んだ。
それを横目に見ながらミアが言う。
「私は、おサルさん好きですけど」
「あら、ミアはおサルさん苦手かと思ってたわ」
「小さいおサルさんは、可愛いと思います」
「二人とも、その辺で止めといてやれ」
ミナセに言われて話を止めた二人の前で、ヒューリが、頭を抱えてテーブルに突っ伏していた。
「頑張るだけなら、サルでもできるんだよ」
頭の中で繰り返されるマークの言葉に、ヒューリはもがく。
ヒューリにだって分かっていた。
仕事をしている以上、結果を出さなければ意味がない。頑張ることはとても大切で、とても重要なことだけど、頑張るなんていうのは当たり前のことなのだ。
国のために戦っていた頃のヒューリなら、戦いに負けて帰ってきた将校が「いやあ、頑張ったんですけどねぇ」などとほざいた瞬間、間違いなく蹴りを入れていたことだろう。
「私だって、一生懸命頑張ってるんですよ!」
そんなことを言ってしまった自分が無性に恥ずかしい。
恥ずかしくて、情けなくて居たたまれない。
「ミナセ!」
「な、なんだ?」
「あーっ、もーっ!」
意味なくミナセに呼び掛け、意味なく叫ぶヒューリを三人は諦め顔で見る。
と、その時。
「なあ、姉ちゃんたち。俺たちと一緒に飲まないか?」
ガタイのいい男たちが、四人に声を掛けてきた。
周りのテーブルが自然と静かになる。
ミナセ一人だった時も、四人になった今でも、一晩に少なくとも一度は誰かが声を掛けにきていた。
その度に、やんわりと、あるいは冷たく男たちは撃退されている。
難攻不落。しかし、絶対に落としてみたい男のロマン。
繰り返されるチャレンジは、今回どんな結末を迎えるのか。
周囲の耳が、四人の反応に集中する。
すると。
「お前たち、いいところに来たな!」
ヒューリが意外な言葉を発した。
何!?
まさか、今日に限ってOKなのか!?
周囲がざわついた。
離れた席にいる客までもが、その異様な空気に黙り込む。
「おっ、タイミング良かったか? じゃあ一緒に……」
男の一人が、ニヤニヤしながらテーブルに近寄ってくる。
その男に向かってヒューリが言った。
「お前が私と勝負して勝ったら、ここにいる四人で酒に付き合ってやろう。でも、もしお前が負けたら、この店にいる全員に一杯おごれ!」
「おおぉっ!」
店内にどよめきが広がっていく。
初だ、初のパターンだ!
「いいぜ。その勝負、受けた!」
男はニタリと笑って、上腕二頭筋を見せびらかすように袖をまくった。
ミナセが頭を抱える。
ミアは、「えっ? えっ?」と言いながらうろたえている。
フェリシアは、なぜか楽しそうだ。
「おい、やめとけ。相手はあのエム商会だぞ」
隣のテーブルの親切な客が、男に忠告した。
余計なこと言うな!
数多くの鋭い視線が注がれる中、言われた男が平然と答える。
「ふん、知ってるさ。護衛の仕事で失敗したことがないって話だろ? 噂ってやつは、尾ひれが付くもんだ。俺がその噂の真偽を確かめてやるぜ!」
そーだろそーだろ!
いいぞ、やれやれ!
無言の喝采が起きた。
「よし、じゃあ外へ出ろ!」
ヒューリが立ち上がって男を促す。
「おい、分かってるよな?」
ミナセの言葉に、テーブルのスプーンを手に取りながら、ヒューリが言った。
「分かってるよ。心配すんなって!」
宿屋の前に人だかりができる。
その中心に、筋骨隆々の男と、スプーンを構えるヒューリがいた。
「貴様、俺をバカにしてるのか?」
男が、ヒューリの得物を睨み付けて凄んだ。
「これも立派な武器だぜ。いいからかかってきな!」
ニヤリと笑って、ヒューリが男を挑発する。
「大丈夫なんでしょうか?」
ミアが、ヒューリの右手の先にあるスプーンを不安げに見つめた。
相手は、ヒューリより二回り以上大きい屈強な男。腰の剣は抜いていないが、丸太のような腕は、それだけで十分凶器だ。
ミアとは違う心配をしていたミナセが、苦笑いで答える。
「まあ、大丈夫だろう。意外と冷静だし」
その会話が終わるか終わらないかのうちに、男が動いた。
「後悔するんじゃねぇぜ!」
ヒューリに向かって猛然と突進する。
たかがスプーン。どんな攻撃を受けたって大したダメージなどない。
力付くで押さえ込んで、降参するまであの体を締め付けてやる!
男は、軽い興奮を覚えながら、両手を広げてヒューリに襲い掛かっていった。
その大雑把な攻撃をあっさり掻い潜って、ヒューリが男の懐に飛び込む。
そして。
ぺちっ!
スプーンの背で、男の左の頬をひっぱたいた。
「いてっ!」
頬を押さえながら、後ろに回り込んだヒューリを男が睨み付ける。「いてっ!」とは叫んだものの、痛みなどほとんどない。それが、かえって男の怒りに火をつけた。
「やろーっ!」
再び男が突進する。今度は、懐に飛び込まれないように腕をたたみ、姿勢を低くしている。
だが、そんなことでヒューリを捉えることなどできはしない。
難なく突進をかわして、ヒューリが男に攻撃を加えた。
ぺちっ!
スプーンが右の頬にヒットする。
「いてっ!」
またもや後ろに回り込んだヒューリを、頬を押さえながら、真っ赤な顔で男が睨み付けた。
「ちっくしょーっ!」
男がキレた。
剣を抜いて、ヒューリに切っ先を突きつける。片手剣とは思えない、かなり大振りな剣だ。
ガタイのいい男が、鬼のような形相で剣を構える姿はかなりの迫力がある。
だが、その剣が向かう相手の武器は……。
「大剣vsスプーン。なかなかシュールな光景ね」
フェリシアが楽しそうに笑った。
しかし、笑っているのはフェリシアくらいだ。
ミナセは呆れ顔、ミアは心配顔、そして観客は……。
「おい、さすがにあれは」
「ちょっとやばいんじゃないか?」
ざわめきが広がっていく。
そんな声などまったく耳に入らない男が、雄叫びを上げながらヒューリに襲い掛かっていった。
「くたばれっ!」
ぺちっ!
「許さねぇ!」
ぺちっ!
「あ”ーっ!」
ぺちっ!
ぺちっ!
ぺちぺちぺちぺちぺちぺちぺちぺちぺちぺちぺちぺちっ!
右頬に、左頬に、ヒューリの容赦ない攻撃が入る。
剣を振ってもぺちっ!
スプーンを奪おうとしてもぺちっ!
何をしても、ぺちっ!
怒りの頂点を通り越して、体中を小刻みに振るわせていた男は、やがて剣を放り投げ、両手で顔を覆いながら地面にへたりこんでしまった。
「頼む、もう止めてくれ!」
頬に軽傷、心に重傷を負った男が、とうとう降参した。
「おおぉっ!」
何とも言えないどよめきが起きる。
圧倒的だった、のか?
やっぱりエム商会は強かった、のか?
そんな微妙な空気を吹き飛ばすように、ヒューリが大きな声を上げた。
「あー、スッキリした! よーし野郎ども、こいつのおごりだ! 何でも好きな物を頼め!」
「よっしゃーっ!」
「ヒューリちゃん、愛してるよー!」
大いに盛り上がる観客たち。
うずくまる男と、慰めるその仲間。
溜息をつくミナセ。
笑うフェリシア。
客と一緒に盛り上がるミア。
それぞれの夜が、こうして更けていった。
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