挫折

 翌日。

 朝一番で、ヒューリはサラに会いに行った。

 

 サラは十六才。一年前に両親を亡くしてから、ずっと織物工場に住み込みで働いている。

 働き者でおじいちゃん思いの、優しい女の子だ。


「……という訳で、昨日おじいちゃんに迷惑を掛けてしまいました。すみませんでした」


 ヒューリが、状況を説明してサラに頭を下げる。

 年上のヒューリに頭を下げられて、サラが慌てて答えた。


「いえ! きっと、おじいちゃんがまた我が儘を言ったんだと思います。こちらこそすみませんでした」


 そう言いながら、ヒューリよりも深く頭を下げる。

 

 いい子だな


 ヒューリがこっそり微笑んだ。


「それで、お皿を弁償したいと思うんですけど、新しい物を買ってきた方がいいでしょうか? それともお金で……」


 聞かれたサラが、少し考えてから言った。


「そのお皿って、クローバー模様の平皿ですよね?」

「そうです」

「それ、おばあちゃんが好きだったお皿なんです」

「えっ?」


 ヒューリが驚く。


「二枚お揃いで、昔から使っていたみたいです。だから、かわりの物はおじいちゃん受け取らないかも」


 サラが困ったような顔をする。


「お金を持って行っても怒られるだけだと思うので、変に弁償はしない方がいいかもしれません。私、今日おじいちゃんの家に行くので、ちょっと様子を見てきますね」


 そう言って、サラは笑った。

 だがヒューリは、その笑顔に何も返せない。


「すみませんでした」


 もう一度謝って、ヒューリはそこから立ち去った。


 別れ際に、サラが「気にしないでください」と言ってくれたが、ヒューリは気になって仕方がなかった。


 やってしまった。

 完全にやらかした。


 大切なお皿。おばあちゃんとの大切な思い出。

 そんなもの、弁償できるはずがない。


「くっそー! 時間よ、昨日の昼まで戻ってくれ!」


 無茶な願いを空に向かって叫びながら、ヒューリは今日最初の仕事場へと向かっていった。


 その日のヒューリは散々だった。


 集金代行で金額を間違えて、依頼主と集金先に頭を下げながら集金をやり直した。

 店番の仕事で商品を落としてダメにして、店の主からたっぷり嫌味を言われた。

 挙げ句の果てには、帰り道で野良犬に絡まれ、イラついて殺気で追い払い、通り掛かった衛兵に職務質問までされる始末。

 普段から”悪いことほど早く報告しろ”と言われているので、その日のミスを気力を振り絞って報告して、マークにきっちり叱られた。

 事務所を出た後、むしゃくしゃして道端に積んであったレンガを素手で叩き割ると、職人が飛んできて怒鳴られる。

 一緒にいたミナセと一緒に平謝りしてレンガ代を支払い、トボトボと宿に向かった。

 そして今、宿屋の食堂で、ミアに右手の治療をしてもらっている。


「十段のレンガを素手で一撃って、いったいどれだけストレス溜まってたのよ」


 呆れ顔でフェリシアが言った。


「瞬間的に、魔法で右手を強化したところは、まあ褒めてやろう」


 ミナセが微妙なラインを褒めている。

 対ミナセ用に、ヒューリは一瞬だけ身体強化魔法を使う技を修得していた。ミナセの先読みを防ぐための技だったが、その高度な技が今回見事に生きたようだ。

 それでも、その衝撃に右手は耐えられず、骨にヒビが入っていた。

 まさに渾身の力でレンガを叩き割ったらしい。


「悪いな、助かった」


 右手を撫でながら、ヒューリがミアに礼を言う。

 だが、その表情にはまるで精気がなかった。


「人生いろいろありますよ!」


 脳天気なミアのフォローにも、微かに笑うだけだ。


「これは重症ね」

「そうだな」


 チビチビと酒を飲むヒューリを見ながら、ミナセもフェリシアも為す術なしといった顔だ。


「とにかく、あんまり考え込むな。グチならいつでも私たちが聞いてやる。失敗しても、私たちが慰めてやる。お前はお前らしく、元気にやればいいんだ」


 ミナセの言葉に、フェリシアとミアが力強く頷いた。

 しかしヒューリは、ありがとうと、らしくない返事を返しただけで、やっぱり暗いままだ。


 入社以来最大の挫折に、ヒューリはもがき苦しんでいた。

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