近道

 どんなに落ち込んでいようとも朝は来る。

 自分の都合とは関係なく世の中は動いていく。

 挫折感に打ちひしがれるヒューリにも、仕事は毎日割り当てられた。ヒューリは、責任感と仲間の励ましに支えられて、どうにか日々の仕事をこなしていく。

 そんなある日。


 ヒューリは、ファルマン商事の集金の護衛をしていた。

 今日の集金担当は、ご隠居ではなく、経理を担当する若い社員だ。神経質そうな目をした男で、あまりヒューリの好きなタイプではない。

 それでも、エム商会最大のお得意様で、かつヒューリの長所が最も活かせる護衛の仕事。


 失敗する訳にはいかない


 ヒューリは、気を引き締めて仕事に当たっていた。

 ファルマン商事の店舗は、ほとんどが賑やかな場所にある。経路も含めてそれほど危険な場所はなかった。

 集金は順調に進み、最後の店に向かっていた時。


「今日はちょっと急いでいるので、近道をしましょう」


 その社員が、突然言った。

 集金の経路は、ファルマン商事の規定で決められている。危険を避けるため、大回りになったとしても人通りの多い道を通ることになっていた。


「えっ、でも……」


 戸惑うヒューリに、社員が平然と言う。


「あなたは雇われているんですよ。雇い主の指示に従ってください」

「……分かりました」


 一瞬迷ったものの、ヒューリはその言葉に従った。

 いつもは大通りに迂回するところを、最短経路の裏通りに入る。たしかに、この道を通れば十五分は短縮できるだろう。

 だが、この辺りは町の南東。スラム街が比較的近い。治安が悪いとまでは言わないが、アルミナの町の中では危険の多い地域だった。

 きっちりした身なりの社員と、剣を帯びたヒューリの二人は、悪党が目を付けてもおかしくない組み合わせだ。下手をすれば、多額の現金と、それを入れている貴重なアイテム、マジックポーチを奪われてしまう。

 急ぎ足で歩く社員の後ろを、ヒューリは辺りを警戒しながらついて行った。


 ヒューリは、索敵魔法が使えない。そのかわり、敵意や悪意、殺気に対する鋭敏な感覚があった。多少離れたところからでも、自分に向けられる鋭い視線にはすぐに気付くことができる。

 死と隣り合わせの戦場で鍛え上げた、常人離れしたその感覚でヒューリは何度も死地をくぐり抜けてきた。


 だが、その日のヒューリは明らかに注意力が散漫だった。

 気を引き締めているつもりでも、気が付けばここ数日の出来事を考えている。


 サラさんのおじいちゃんには腹が立った。自分が狭量だとは絶対に思わない。あんな風に突っ掛かってこられれば、誰だって気分を悪くする。

 でも、それとお皿を割ってしまったことは、やっぱり別問題だ。しかも、それはおじいちゃんが大切にしていたお皿だ。

 取り返しがつかないことをしてしまった。

 その後も失敗の連続だ。自分でも呆れるほどひどい。


「頑張るだけなら、サルでもできるんだよ」


 マークの言葉が頭から離れない。

 結果を出せない自分が情けない。


「何なんだ、まったく!」


 小さくヒューリがつぶやく。

 それに、社員が反応した。


「何か言いましたか?」


 怪訝な表情で立ち止まって振り返る。

 その瞬間。


 路地から飛び出してきた小さな影が、社員の手からマジックポーチを奪い取って、そのまま反対の細い路地に走り込んでいった。


「えっ?」


 社員が声を発した時には、ヒューリは反応していた。

 素早い動きで影を追う。


「ちくしょう、油断した!」


 自分を責めながら、それでも即座に状況を分析する。

 追っている影は、どう見ても子供だ。動きは悪くないが、あの程度ならすぐに追い付ける。

 問題は仲間の存在だ。進路を邪魔しにくるか、それとも……。

 ヒューリが周囲の気配に集中した直後。


 突如として、右手の物陰から二つの影が飛び出してきた。

 常人なら絶対に避けられないタイミング。

 その二つの影を、まるで分かっていたかのように左足で地面を蹴って右に方向を変え、体をひねりながらヒューリはきれいにかわしていった。


「うそ!?」


 驚きの声が上がる。

 そんな声には見向きもせずに、ヒューリは先を行く影を追った。

 そのヒューリが、思わず叫んだ。


「しまった!」


 目の前まで迫っていた小さな影が、通り沿いの建物の屋根に向かってポーチを放り投げたのだ。

 マジックポーチは、入れたものの重さが無視される。大量の硬貨が入ったポーチは軽々と屋根まで到達し、そこにいた仲間の子供にしっかりと渡っていった。


 手を伸ばせば届くところにいた子供を一瞬だけ睨み付け、ヒューリは再び地面を蹴る。

 ゴミ箱を足場に飛び上がり、反対側の壁を蹴って、鮮やかに屋根の上に到達した。


「なんだあいつ、サルか!?」

「サルは禁句だ!」


 戻って殴りたくなる衝動を抑え、屋根の上をヒューリが走る。

 ここまで追ってこられるとは思っていなかったのだろう。前を行く子供は焦っていた。

 視線を左右に振りながら、どこかに逃げ道はないかと必死に探している。足下も見ずにあたふたと走る。それが、仇となった。


「あっ!」


 小さな叫び声とともに、子供が転んだ。その手からポーチが離れ、地面に向けて落下していった。


「もらった!」


 何の躊躇いもなく、ヒューリが屋根から飛び降りる。そして軽やかに着地をすると、落ちていたマジックポーチを拾い上げた。


「逃げろ!」


 どこからか聞こえてきた声と共に、子供たちがバラバラと走り去っていく。ヒューリはそれに構うことなく、社員が待っているはずの、ポーチが奪われた場所に向かって歩き出した。


「いやぁ、危なかったぁ。これでポーチが盗られてたら、うちの会社の信用ガタ落ちになるところだったぜ」


 心底胸をなで下ろしながらもとの通りに出たヒューリは、胸ぐらを掴まれて半泣き状態の社員と、それを取り囲む三人の男たちを見付けた。


「やばっ!」


 次々とやってくる災厄を呪いながら、ヒューリは駆ける。

 追跡劇のせいで、通りに出たのはもとの路地から離れた場所だ。

 社員がからまれている位置までは少し距離がある。


「金はねぇだと? ウソついてんじゃねぇよ!」


 胸ぐらを掴んでいる男が、拳を振り上げた。

 社員の引き攣った顔が見える。


「くそっ、間に合わない!」


 わずかに、本当にわずかに間に合いそうもない。

 振り下ろされる拳を覚悟して、社員がギュッと目を閉じた、その時。

 

「ぐあっ!」


 胸ぐらを掴んでいた男が、何かに弾かれて吹き飛んでいった。


「何だ!? ゴフッ!」


 間髪入れずに、駆け付けたヒューリの拳が二人目の男の腹にめり込む。


「てめぇ……がはっ!」


 何か言い掛けた三人目の横っ面に、回転しながらヒューリが肘打ちを食らわせた。


 あっという間。

 まさにあっという間に三人の男が倒された。


「おおっ!」

「すげぇ!」


 周囲から静かな歓声が上がる。

 そこに、ゆったりとした足取りで一人の女が近付いてきた。


「助かったよ、フェリシア」


 走りっぱなしだったヒューリが、大きく息を吐いた後、フェリシアに礼を言った。


「ほんと、偶然ってあるのねぇ。帰り道にこの通りを選んで正解だったわ」


 のんびりとフェリシアが笑った。

 まさに偶然。間一髪で、社員の負傷は防がれたようだ。


 ヒューリが、情けない顔で立っている社員に声を掛けた。


「大丈夫ですか?」


 よほど怖い思いをしたのだろう。すぐには答えられず、社員はわなわなと唇を震わせている。


「一人にしてしまってすみませんでした。でも、現金はこの通り……」


 ヒューリがポーチを社員に見せた、その途端。


「ふざけるなっ!」


 社員が怒鳴りだした。


「お前の役割は護衛だろう! 金を取られた上に、雇い主を守ることもできないのか!」


 顔を真っ赤にしてヒューリを睨み付ける。


「そんな!」


 理不尽な言い分だ。金も社員も、結果的には守っているのに。

 フェリシアも目を丸くしている。

 だが、社員の勢いは止まらなかった。


「うちはエム商会の実績を買って護衛を頼んでるんだ! ほかの奴らはしっかり仕事をしてたんだぞ! お前だけだ、こんなヘマをしでかしたのは!」


 エム商会は、社長とご隠居のお気に入り


 そんなことが頭をよぎったのだろうか?

 それとも、助けられたフェリシアに気を遣ったのだろうか?

 ボルテージの上がった社員の矛先は、エム商会にではなく、ヒューリ個人に向かっていった。


「俺はもう少しで大変な目に会うところだったんだぞ! 分かっているのか? お前はエム商会の面汚しだ! 二度とお前には頼まん!」


 明らかに社員は興奮していた。

 どう考えても冷静ではなかった。

 

 しかし、社員の言葉は、ヒューリの心を、深く、鋭くえぐった。


「本当に、申し訳、ありませんでした」

「ちょっと、ヒューリ!」


 驚くフェリシアの目の前で、ヒューリが深く頭を下げる。

 そのヒューリからポーチを奪い取って、社員が叫んだ。


「この役立たずが! もう帰れ! ここからはこいつに護衛をかわれ!」


 フェリシアを指さしながら、社員が無茶な指示を出す。


「それは……」


 断ろうとするフェリシアを手で制して、ヒューリが言う。


「フェリシア、すまない。ここからかわってくれ」

「ヒューリ……」


 拳を握り締め、地面を睨むヒューリをフェリシアがじっと見つめる。

 やがて。


「分かったわ。先に会社に戻ってて。後でお話ししましょう」


 一瞬だけ険しい目をしたフェリシアは、すぐに穏やかな表情を浮かべて社員に言った。


「申し訳ありませんでした。ここからは私が担当させていただきます。参りましょう」


 興奮が冷めてきた社員は、何かを言おうとしたが、結局何も言わずにそのまま歩き出した。

 フェリシアも、その少し後ろを静かについていった。


 ヒューリはそこから動かない。

 その拳は強く握られたままだ。


 地面にひっくり返っている男たちの横で、ヒューリはいつまでも立ち尽くしていた。

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