無情の嵐

 山に入った猟師や木こりが、木々の間からダナンを観察する。

 ダナンが、いつも通り、何もしないでそこにいる。

 それを、猟師や木こりが村に帰って報告し、村人たちが安心する。

 それがダナンにも分かっていたので、決まった時刻に、家の外でぼーっとしているようにしていた。

 それなのに。


「それがよくないんです!」


 訪れたエレナがダナンを睨む。


「毎日毎日、決まった時刻に家の外でぼーっとしている人なんて、怪しいに決まってるじゃありませんか」

「そうなんですか?」

「そうなんです!」


 叱られて、ダナンは戸惑った。


「でも、特にやることもないですし。食べもしないのに、野菜を作ったりするのもどうかと思いますし」


 ダナンは、人であって人でない。霊力さえあればそれだけで生きていける。人が生きるためにすることのほとんどが、ダナンにとって必要のないことだった。


 困ったようにダナンが黙った。

 すると、クレアが言った。


「じゃあ先生、机とイスを作って」


 ダナンが即席で作った土のイスに座り、同じくダナンが作った土のテーブルの上で文字の書き取りをしていたクレアが、ダナンを見ている。

 クレアは、ダナンから勉強を教えてもらっていた。ダナンの呼び方も、”おじいちゃん”から”先生”に変わっている。


「机とイス? 今のじゃあダメなのかい?」


 ダナンの家は、小さくて狭い。ゆえに、二人が来た時は、毎回ダナンが机とイスを作り、二人が帰るとそれを土に戻していた。


「これはいや」

「どうしていやなんだい?」

「だって、かっこ悪いんだもん」

「……」


 ダナンには理解できない理由だった。

 ところが、それにエレナが乗ってきた。


「そうですね。ぜひ、机とイスを作ってもらいましょう」

「……分かりました」


 ニコニコと笑う姉妹の笑顔は、断るという選択肢をダナンに与えなかった。


 次の日から、ダナンは机とイスの製作に取り掛かった。エレナから”精霊使いの力は使わないように”と厳命されてしまったので、何をするにも手作業だ。

 道具や釘はエレナが持ってきてくれたが、それらを使った経験など一度もない。鋸や金槌を持ち上げながら、ダナンは途方に暮れていた。

 それでもダナンは頑張った。施設にあった家具類を思い出し、失敗を繰り返しながら、木を切って材料を揃え、初の大工仕事を何とか終える。


 何日も掛かって完成した、とても不格好な机とイス。

 それを、エレナは褒めてくれた。


「なかなかお上手だと思います」

「そ、そうですか?」


 ダナンが、ちょっと照れる。


「先生、凄いね!」


 イスに飛び乗り、机を撫でてクレアが笑う。

 ダナンの顔も綻んだ。

 そんなダナンにエレナが言った。


「じゃあ、次は食器棚です。私とクレアのティーカップ、それとお皿が何枚か入るくらいでいいので、作ってください」

「……分かりました」


 ニコニコ笑うエレナに、ダナンはまたも頷いた。


 いつも家の外でぼーっとしていたダナンが、大工仕事を始めた。それを、エレナとクレアが楽しそうに見ている。

 猟師や木こりがそれを報告する。

 それを聞いた近所の家のおばさんが、すごい剣幕でエレナに言った。


「ちょっと、エレナ! あんた、あの怪しい男のところに行ってるのかい!?」


 眉を吊り上げるおばさんに、笑いながらエレナが答える。


「あの人、全然怖くなんかないわ。私のケガを治してくれたり、クレアに勉強を教えてくれたり、とっても親切にしてくれるもの」


 呆れるおばさんに、エレナが続けた。


「あの人はね、ちょっと変わった育ち方をしているの。だから、人付き合いがもの凄く下手。だけどね、あの人凄いのよ。びっくりするような魔法が使えるんだから」


 ダナンが山を作ったり、壁や風で村人たちを追い返したりしたことは、村の誰もが知っていた。それらが”びっくりするような魔法”なのだとしたら、ダナンは単に”びっくりするような魔術師”というだけになる。


「ほんとに大丈夫なのかい?」

「大丈夫よ」


 躊躇いなく答えるクレアの顔を、おばさんが心配そうに見ていた。


 それ以来、親戚や近所のおじさん、果ては村長までもがエレナに話をしに来るようになった。その度に、エレナは同じことを答えていく。


 あの人は、人付き合いが下手なだけ

 あの人は、とても親切

 あの人は、凄い魔法が使える


 エレナは、ダナンのことを説明して回ることも、問われてムキになることもなかった。

 聞かれたことに普通に答え、堂々とダナンの家を訪ねて行った。

 エレナの隣でクレアも言う。


「私、先生のこと好き!」


 無邪気な笑顔を見て、村人たちが首を傾げる。


「なんか、平気みたいだな」

「そう、みたいね」


 村人たちが、ダナンを恐れなくなった。

 村人たちが、ダナンに興味を持ち始めた。

 エレナとクレアが、ダナンを”普通の人”にしていった。


 そんなある日。


 村の男が、獣に襲われて大ケガをした。

 手にも足にも、そして腹にも深い傷がある。村にはまともな医者もヒーラーもいなかった。たとえいたとしても、その傷では助けられないだろうと思えた。

 その時。


「私、先生を呼んでくる!」


 エレナが駆け出した。

 隣にいたおばさんにクレアを託して、北へと全力で走る。そして、家の外にいたダナンに向かって叫んだ。


「先生、助けてください!」


 汗だくのエレナを見て、ダナンが驚いた。


「村の人が大ケガをして、血がいっぱい出てて……」


 荒い息の中で、エレナが必死に説明する。

 ダナンが頷いた。


「分かりました。ちょっと失礼」


 突然ダナンが、エレナを抱き上げた。


「きゃあ! ちょっと先生!」

「じっとしてて!」


 真剣な顔に、エレナは黙った。

 すると。


「僕たちを、村まで運んでくれ」


 瞬間、二人の体が浮き上がる。


「わぁ!」


 抱き付いてくるエレナを気にもせず、ダナンは猛烈な速さで飛び始めた。

 おそらく一分とは掛かっていないだろう。あっという間に村に着いたダナンは、エレナの案内でケガ人の元へ向かう。


「ちょっと、あんた!」

「静かにして!」


 騒ぎ出す村人たちをエレナが黙らせた。

 血だらけの男の横に、ダナンが膝をつく。


「まずは止血ですね」


 ダナンが治療を始めた。呪文とは違う、誰かに何かを”お願い”するような言葉をつぶやき続ける。

 目の前で、男の傷が治っていった。

 驚くべき早さで、男の治療は終わった。


「先生、どうですか?」

「傷はふさぎました。ただ、血液が大量に失われている上に、内臓の一部が損傷しています。治癒魔法は、細胞の再生能力を飛躍的に高めることが可能ですが、瞬時に血や内臓を作り出せる訳ではありません。この人が危険な状態であることに変わりはありません」

「っていうことは……」


 心配そうなエレナに、ダナンが言った。


「血管の修復も終わっているし、内臓も少しずつ再生を始めています。時々魔法による治療をしてあげれば、助かる可能性は高いと思います」


 おぉっ!


 見守る人たちから一斉に声が上がる。


「先生、ありがとうございます!」


 エレナがダナンに抱き付いた。


「えっと……」


 ダナンが戸惑う。

 エレナが泣く。


 この一件で、ダナンは村人たちと話すようになった。

 ダナンの生い立ち、ダナンの体、そして精霊使いとしての力。そのすべてを話し、そのすべてを、村人たちは受け入れた。

 こうしてダナンは、村の一員となったのだった。



「エレナのおかげで、僕は村の人たちと話ができるようになりました。彼女がいなければ、僕はとっくに自ら命を絶っていたか、やけになってとんでもないことをしていたに違いありません」


 クレアに微笑みを向けながら、ダナンが言う。


「エレナは、本当に大切な友人でした。それなのに」


 微笑みが、曇る。


「彼女もまた、ある日突然いなくなってしまったのです」


 社員たちが息を呑んだ。


「ある時、それまで経験したことのないような、ひどい嵐が村を襲ったのです。一晩中荒れ狂った風雨がいくつもの家を破壊しました。その中に、彼女の家もありました」


 ダナンが、悲しげに星を見上げた。



 村が心配だったダナンは、嵐の過ぎ去った翌朝、すぐに村へと向かった。そこでダナンは、たくさんの崩れ落ちた家屋を見た。


「先生、うちの旦那が!」


 声を掛けられて、ダナンが声の元へ向かう。足を押さえてうずくまる男の治療を終えると、すぐに別の場所から声が掛かった。

 ダナンは治療を続ける。エレナとクレアの姿が見えないことを気にしながら、呼ばれるがままに、ダナンは村中を走り回った。

 やがて、ひと通りの治療が終わった頃。


「先生! エレナたちの家が!」


 遠くから、男が大声で叫んだ。

 そこは村の端。その少し先には、エレナとクレアの家がある。

 ダナンがそこに駆け付けた。二人の家は、完全に潰れていた。


「エレナ! クレア!」


 瓦礫をかき分けて、ダナンは二人を探した。

 やがて二人は見付かった。エレナは、クレアをかばうようにして、息絶えていた。

 絶望に打ちひしがれるダナンの目が、わずかに動くクレアの胸の動きを捉える。

 エレナの体をそっと動かして、ダナンはクレアを見た。わき腹に木材が突き刺さっていた。足は、煉瓦の山に押し潰されていた。

 治療をするとかそういう状態ではない。クレアも、もはや死を待つのみだった。

 しかし。


「クレアを助ける!」


 ダナンは、煉瓦をどかしてクレアの体を抱き上げると、驚く村人たちを見向きもせずに、自分の家へと飛び去った。


「施設から持ってきた魔石がある。あれにクレアの魂を移植できれば!」


 死んでしまったらすべてが終わってしまう。クレアの魂がこの世にあるうちに施術を終える必要がある。

 家に帰ったダナンは、クレアのために作った机の上に小さな体を横たえた。そして、鞄の中から一つの魔石といくつかの道具を取り出す。


「死ぬな、クレア!」


 ダナンが施術を始めた。

 己のすべての知識、すべての技術を使って、ダナンは魂の移植を開始した。

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