哀しい決断

「施術は、どうにか成功しました」


 ダナンの言葉に、みんなは胸を撫で下ろした。

 クレアは現にそこにいるのだ。施術が成功したのは当然のことなのだが、その時のダナンの気持ちを考えると、胸が苦しくて仕方がなかったのだ。


「ただ、クレアの命が尽き掛けていたせいか、クレアの記憶の大部分が失われていたのです」


 ミナセが小さく頷く。

 以前話をした時も、クレアは自分のことをほとんど覚えていなかった。


「さらに、でき上がったクレアの体はとても不安定でした。僕自身、人の体を作るのは初めてだったので、何かを間違えていたのかもしれません」


 ダナンは、体を補修したことはあっても、一から体を作り上げたことはない。ダナンの体を作ったのは、ダナンの兄なのだ。


「だから僕は、村の人たちに、クレアは死んだと告げました。体と魂がきちんと定着するまで、クレアのことは伏せておこうと思ったのです」


 クレアは、精霊使いでも何でもない普通の女の子。ダナンと同じように体を維持できるかは、まったくの未知数だった。


「数年の間観察と補修を重ねて、どうにかクレアの体を安定させることができました。さらに、ある程度のケガなら自己修復できる能力を持たせることにも成功しました」


 クレアを想うダナンの気持ちが生み出した画期的な能力。

 自分で体を修復できないクレアにとって、それは非常に有用な能力だった。


「当然、霊力がなければ自己修復もできないのですが、この家の近くにいる限り、それは問題になりません。その段階に達した時、僕はどうにか安心することができたのです」


 ダナンが微笑む。


「ところが」


 その顔が、苦笑いへと変わった。


「そろそろ村の人たちにクレアのことを話そうか、そんなことを考えていた矢先に、あの脱走事件があったのです」


 クレアが、叱られる子供のように肩をすぼめた。


「クレアが行くなら村の方向だろうと思って、僕は南を中心に探し回りました。それが、まさか北の山を越えて、イルカナに行っていたなんて」


 子供の行動は予測不能だ。クレアの山越えは、ダナンでなくても考えつくのは難しかっただろう。


「でも、どうやってクレアちゃんを見付けたんですか?」


 リリアが聞いた。

 ダナンが、苦笑いのまま答える。


「最初は索敵魔法を試したのです。でも、僕の索敵範囲は、開けた場所でせいぜい三百メートル。やっぱりそれでは見付けられませんでした」


 三百メートルと言えば、フェリシアと同じだ。それは驚異的な数字なのだが、広範囲の中から一人の少女を見付けるのはさすがに難しい。


「何日探しても見付からなくて諦め掛けた時、ダメで元々だと思って、精霊に頼んでみたのです。クレアを探してくれって。そうしたら、クレアが北に行ったことを精霊たちが教えてくれたのです」


 精霊に特定の人の行き先を聞く。それは、リリアが誘拐された時にシンシアが使った方法と同じだった。


「精霊に導かれて、僕はアルミナの町に辿り着きました。ですが、ある場所から先の情報がない。これは後で分かったことなのですが、そこでクレアの体が失われていたのです」


 シンシアも、リリアの姿を思い浮かべながら精霊にお願いをしていた。相手の姿が失われてしまえば、いくら精霊に聞いても、たしかに答えは返ってこない。


「僕の体は、長く家を離れることができません。でも、そんなことを気にしている余裕はありませんでした。クレアの体はとっくに限界を迎えているはず。それでも、魔石さえ見付けることができれば何とかなる。そう思って、僕は必死に聞いて回りました。そして偶然にも、ある冒険者たちからクレアのことを聞くことができたのです」


 冒険者たちとは、あのプリーストのいたパーティーのことだろう。そのパーティーとダナンが出会えたのは、非常に幸運なことだったと言える。


「僕は、衛兵の分署でクレアの魔石を見付けました。そして僕らは、ここに帰って来ることができたのです」


 ミナセも知らない、クレアのその後の話。

 クレアが、ミナセを見上げて笑った。

 ミナセが、クレアを見ながら涙を拭った。


「家に戻ってクレアの体を元に戻した後、僕はクレアにすべてを話しました。そして、村にクレアを連れて行き、村のみんなにすべてを話したのです。最初は驚いていたみんなも、今ではクレアのことを受け入れてくれています。友達もできたみたいで、本当にホッとしました」


 ダナンがクレアの頭を撫でる。


「これで、僕の話は終わりです」


 長い物語を、ダナンが語り終えた。


 百年の歳月といくつもの悲しい出来事。

 それを乗り越えて、ダナンは今、穏やかに微笑んでいる。


 人と同じ魂を持つ者。

 人ではない体を持つ者。


 ダナンとクレアに、この先どんな運命が待っているのかは分からない。

 体は不死でも、魂が不死とは限らない。

 みんなが、これからの二人に思いを馳せる。


 できることなら、幸せになってほしい


 社員たちは、みなそう思っていた。


「ところで」


 ふいにダナンが聞いた。


「村に出たという魔物ですが、一体どんな魔物だったのでしょうか? この辺りには、もう魔物はいないはずなのですが」


 心配そうな顔で、みんなを見る。

 その問いに、フェリシアが答えた。


「ミスリルゴーレムです。全部で二十体以上はいたと思います」

「ミスリルゴーレム?」

「はい。そのゴーレムたちは、大型の飛竜が運んできました」

「飛竜が運んできた!?」


 ダナンが驚く。


「ミスリルゴーレムも、あれほど大きな飛竜も、人里近くにいるような魔物ではありません。あれらはおそらく、飛竜と同じ方向に逃げていった謎の人物が操っていたのだと思います」

「逃げた人物……。その人物の顔は見ましたか?」


 ダナンが真剣な顔で聞いた。


「離れていたので確証はありませんが」


 フェリシアが、躊躇いながらもそれに答えた。


「仮面のようなものを着けていたと思います」

「……」


 フェリシアを見つめたままダナンが黙る。

 躊躇いを捨てて、フェリシアが言った。


「私の目の前で、突然村を囲うように土の壁が現れました。同じく、村の中のいくつもの家が、突然同時に燃え始めました。いずれも、魔法で起こすには困難な現象だと思います」


 ダナンが、フェリシアから目をそらす。


「あれは、精霊使いにしか起こせない現象だと思います」


 フェリシアが断言した。

 社員たちが、静かに目を伏せた。


 焚き火を見つめるダナンを、心配そうにクレアが見上げる。

 誰も何も言わない。誰も、何も言うことができなかった。


 やがて。


「僕が研究から離れた時点で、すでに魔物生成の道筋は立っていました。霊力の強さ次第では、短時間に大量の魔物を作れるであろうことも、分かっていました」


 ダナンが話し始めた。


「問題は、思い通りの魔物を作ること。そして、思い通りに魔物を制御すること。当時の僕たちには、それが分かっていなかったのです」


 掠れたその声は、今にも消えてしまいそうだ。


「でも、兄はそれを見付けた。兄は、それを僕に見せ付けようとしたのかもしれません」


 ダナンの瞳が震える。


「ミスリルゴーレム……。魔法に対する強力な耐性と硬質の体。僕では対処が難しい魔物をあえて村に持ち込んだのは、僕に対する兄の気持ちの表れなのでしょう」


 ダナンが拳を握った。


「兄がいずれ研究を完成させるであろうことは、予想していました。ですが、その結果何が起きるのかについて、僕は考えないようにしてきました。村や、この国がどうなってしまうのか、僕は考えないようにしてきたのです」


 ダナンが、震えるほど拳を強く握った。


「僕は逃げていた。僕は自分のことしか考えていなかった。僕は……」

「ダナンさん」


 懺悔を続けるダナンの言葉を、マークが遮った。


「我々がなぜここに来たのか、まだ話していませんでしたよね」


 驚いたように、ダナンが顔を上げる。


「我々は、エルドア混乱の元凶を排除するためにやってきたのです」


 ダナンが大きく目を開いた。


「混乱の元凶、それはキルグ帝国です。そこにお兄様が関わっている可能性があることが、あなたの話から分かりました」


 社員たちも目を見開く。


「現時点で、まだ確証は得られていません。しかし、もしお兄様が混乱の原因の一つだと確信できたなら」


 マークが言った。


「我々は、お兄様を排除させていただきます」


 迷うことなく、ダナンの目を見てはっきりと言った。


 漆黒の瞳がダナンを見つめる。

 ダナンが動かなくなった。

 社員たちが息を呑んだ。

 クレアの顔は、泣きそうだった。


 薪が大きな音を立てて弾ける。

 炎が揺れた。影が揺れた。

 ダナンが、再び話し始めた。


「魔物の生成には、三つの要素が必要だと僕らは考えていました。一つ目は霊力。二つ目は、精霊の働きを制御するための魔法陣。そして、三つ目は精霊使いの力です」


 マークが頷く。


「霊力の流れを変えることは難しくても、魔法陣を消すことや、その……精霊使いを排除することは、可能だと思います」


 社員たちが目を見張った。


「兄が見付けた強い霊力のある場所。その詳しい位置はお伝えします。ほかにも、必要と思われる情報はすべてお話しします。だから」


 ダナンが頭を下げた。


「どうか、兄を止めてください」


 深く頭を下げた。


 マークが姿勢を正す。腹にぐっと力を込める。

 そして、頭を下げるダナンに答えた。


「分かりました。我々が、必ずお兄様を止めてみせます」


 哀しい決断と、強い決意。

 静かな山の中に、パチパチと焚き火の音だけが響き渡っていた。

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