侵攻

 翌朝。


 ダナンとクレア、そして社員たちは、揃って村へと向かった。

 昨日の爪痕は残っているが、ミアの治癒魔法のおかげか、ケガをした人たちのほとんどがすでに元気に動き回っている。復興を目指す村の空気は、思ったよりも明るかった。

 社員たちを見ると、村人たちが集まってきた。揃って頭を下げながら、せめてものお礼にと干し肉や干し芋をくれる。それをありがたく受け取り、挨拶を済ませて、社員とダナンたちは、西に向かう道の袂へとやってきた。


 ミナセにしがみついていたクレアが、目を伏せながら体を離す。

 体を離したクレアを、泣きそうな顔でミナセが見ている。

 その光景に目を潤ませていたフェリシアに、ダナンが数冊のノートを差し出した。


「フェリシアさん。これを受け取っていただけないでしょうか」

「これは?」

「施設から持ってきた、僕たち兄弟の研究ノートです」


 手垢の染み着いた数冊のノート。

 慌てて涙を拭って、フェリシアがそれを見た。


「フェリシアさんなら、これを活かしていただけると思って」


 微笑むダナンから、フェリシアがノートを受け取る。


「ありがとうございます。大切にします」


 嬉しそうに笑うフェリシアを、ダナンが眩しそうに見た。


「では、我々はこれで」


 マークが手を差し出す。

 ダナンが、躊躇いながら、その手を握る。


「よろしくお願いします」

「分かりました」


 マークが強く頷いた。


「お姉ちゃん、また来てね」

「ああ、また来る」


 健気に手を振るクレアに、ミナセも手を振る。


「お世話になりました」

「クレアちゃん、元気でね」


 それぞれに挨拶をして、社員たちは西へと向かっていった。

 小さくなっていく背中を見つめながら、ダナンがつぶやく。


「あの人は、本当に……」


 言い掛けたその時、クレアが言った。


「お姉ちゃんと、また会えるかな」


 流れるはずのない涙を堪えて、クレアが無理矢理笑っている。

 それを見て、ダナンは己の感情を飲み込んだ。

 そして、小さな体を引き寄せる。


「大丈夫、また会えるよ」

「うん」


 二人は黙って見つめ続ける。

 すでに姿の見えなくなった”その人”の姿を想い描く。

 やがて、ダナンが大きな声で言った。


「さあ、僕らも村の人たちのお手伝いをしよう。できることはやらないと」


 ダナンを見上げてクレアが言った。


「うん、お手伝いする!」


 互いに笑い、もう一度だけ道の向こうを見て、二人は村へと戻っていった。



 行きは険しい顔だったマークが、いつもの表情に戻っている。ダナンから聞いた話を考えると、より険しい顔をしていてもおかしくないと思うのだが、マークにとってそうではないらしかった。

 歩きながら、いつもの声でマークが聞く。 


「シンシア。あの村を囲っていた壁を、お前なら作れるか?」

「何回かに分ければ、できると思う。だけど、一度であの壁を作るのは、絶対に無理」


 正直にシンシアが答えた。

 頷いて、今度はフェリシアを見る。


「精霊使いにも、能力の差はあると思うか?」


 少し考えてから、フェリシアが答えた。


「シンシアが起こすことのできる現象は、最初の頃より種類も増えていますし、規模も大きくなっています。能力の差が、そのまま訓練や経験の差だとするならば、精霊使いとして百年生きてきた人がどれほどの現象を起こせるのか、私には想像もつきません」

「なるほど」


 今度もマークは静かに頷いた。

 やり取りを聞いていたヒューリが、前を睨んだまま言う。


「なんか、とんでもない奴を相手にすることになっちゃったな」

「そうだな」


 やはり前を睨んだままでミナセが答えた。

 リリアが心配そうにマークを見る。

 シンシアがうつむきがちに歩く。

 いつも楽観的なミアでさえ、その瞳は落ち着きをなくしていた。


 未知なる相手に挑む不安が、みんなの顔を曇らせる。

 いつも通りのマークの表情が、みんなにとって唯一の救いだった。



 駐屯所のある村に戻ると、あの老夫婦にお礼を済ませて、みんなはすぐに歩き出した。次の目的地は、アルバートの屋敷のある町だ。そこで影の老人と落ち合って、現状の確認と今後の打ち合わせをすることになっていた。


 七人は無言で歩く。前を睨み、あるいは地面を睨みながらひたすら歩く。

 その七人の正面から、土煙を上げて一台の馬車が走ってきた。


「何だ?」


 つぶやきながら、ヒューリが脇に避ける。ほかのみんなも同じように避けた。

 客車が跳ねるほどの勢いで走ってきた馬車は、しかし思い掛けないことに、七人の正面で急停止した。

 直後、一人の男が客車から飛び降りてくる。


「エム商会の皆様ですね?」


 男が鋭く聞いた。


「そうです」


 マークが迷わず答えた。

 男は、膝を折って頭を垂れると、早口で挨拶をする。


「私は、ロダン公爵配下の工作員。影の老人と協力して、エルドアの情勢を探っていた者です」

「何か想定外の事態が起きたのですか?」


 驚くような男の挨拶に、だがマークは平然と応対している。

 単刀直入な問い掛けに、男の方が逆に驚いた。

 しかし、それも一瞬。

 辺りを見渡し、ほかに誰もいないことを確かめると、男が言った。


「皆様には、急ぎ南東の砦に向かっていただきたい」

「南東の砦?」


 首を傾げるマークに、低い声で男が言った。


「キルグ帝国が、このエルドアに攻め込んできました」

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