姉妹
「それが、今から十年ほど前のことです」
ダナンが目を伏せた。
「施設を抜け出した僕は、真っ直ぐに、今いるこの場所を目指しました。兄から、施設と同等の霊力があることを聞いていたからです」
兄にとってこの場所の霊力などは役に立たなかったが、ダナンにはそれで十分だった。
「ここに、魔物はいなかったの?」
それまで黙っていたシンシアが、小さな声で聞いた。
シンシアの経験上、霊力の集まる場所には必ず魔物がいた。
「いましたよ。強い魔物ではありませんでしたが」
穏やかにダナンが答える。
「だから、ここにいた魔物を全部倒した後、地形を変えて、魔物が発生しないようにしたのです」
「そんなことができるのか!?」
ヒューリが大きな声を上げた。
「霊力が集まる場所に、必ずしも魔物が発生するということではないのです。霊力の対流が起きにくい、つまり、霊力の濃淡が生まれにくい場所に魔物は発生しません」
「なるほど」
ヒューリが唸った。
「現に、僕がいた研究施設の実験棟には霊力が集まっていましたが、その場所には最初から魔物はいませんでした。研究の結果、霊力の対流には地形が関係していることが分かりました。それを知っていたから、僕はこの場所を魔物が発生しないようにできたのです」
まさに驚くべき内容だ。
「それって、具体的には」
フェリシアが身を乗り出す。
魔物の発生と地形に関係があるであろうことは、研究者の間でも意見が一致していた。しかし、具体的なことについては何も分かっていない。
熱い視線を受けて、だがダナンは、ゆっくりと首を振る。
「それは教えられません。この研究結果が一般に知られてしまうと、非常に大きな影響を与えてしまいます。兄も、帝国の上層部にはもちろん、施設の責任者にすら伝えていないと思います」
「そう……」
残念そうに、フェリシアが肩を落とした。
「だけど、これだけ人里が近い場所に、その……あなたのような方がいて、問題は起きなかったのですか?」
ミナセが遠慮がちに聞く。
突然地形が変わり、魔物がいなくなった。その場所に、奇妙な男が住み始めた。
どう考えても村の人たちに疑われるだろう。その存在は魔物よりも謎で、ゆえに恐ろしいものに感じたのではないだろうか。
聞かれたダナンが、うつむいた。
「すみません。私、失礼なことを」
「いいえ、いいのです」
顔を上げて、ダナンが答えた。
「その話もしなければならないのです。それを避けては、クレアの話ができないのですから」
クレアの頭をダナンが撫でる。
そしてダナンは、この地にやって来た時のことを話し始めた。
ダナンは、精霊使いの力で地形を変え、続いて土の家を建てた。暑さも寒さも感じず、食事も取らず、眠ることもないダナンにとって、家は雨風が凌げればそれで十分。家とも呼べない穴蔵のような住処でダナンは暮らし始める。
だが、それはあまりに無謀だった。施設の生活しか知らないダナンは、すぐ近くに村がある影響についてまったく考えなかったのだ。
村から北に一キロちょっと。そこにはいつも魔物がいた。だが、その魔物たちは移動を好まず、村人たちでも狩ることができるほど弱い。子供が近付かなければ、特に危ないということもなかった。
その場所に、ある日突然大きな地形変動が起きた。そしてそこに、一人の男が住み始めた。
それを最初に見付けたのは猟師たちだった。
数人の猟師が、いつものように山に入った。そして、いつもの場所に、いつも通り魔物がいることを確認しようと木々の間から顔をのぞかせる。
ところが、魔物が一体もそこにいない。それどころか、その場所の風景が一変していた。
そこに、奇妙な家がポツンと建っている。その前で、一人の男がぼうっとしていた。
猟師たちが、慌てて村へと引き返す。そのまま村長の家に駆け込んで、見てきたことを報告する。村長は、すぐに村人たちを集めた。そして、男たちに武器を持たせて北へと向かう。
「貴様は何者だ!」
突然やってきた村人たちに、ダナンは驚いた。
「えっと、決して怪しい者では……」
怪しい答えを聞いて、村長が再び怒鳴る。
「どうやってここに来た! どうやって魔物を追い払った! どうやって地形を変えた!」
立て続けにまくし立てられて、ダナンは混乱した。
兄ならば、鬱陶しい村人たちをその場で皆殺しにしていたかもしれない。しかしダナンには、もう人の命を奪うことはできなかった。
ダナンが訴える。
「僕は、遠い国から来たのです。旅を続けてきて、たまたまここに辿り着いただけなのです」
自分の生い立ちや、自分が精霊使いであることは言わない方がいい気がした。そういう複雑な説明ができる状況だとはとても思えなかった。
そんなダナンの思いを、村長が汲み取ってくれるはずもない。
「質問に答えろ! どうやって地形を変えた! 貴様は何者だ!」
ますますダナンは混乱する。
混乱し、半ばパニックになったダナンが、村長に向かって言った。
「僕には特別な力があるのです。今からそれをお見せします!」
言うが早いかダナンが叫ぶ。
「山を作れ!」
ゴゴゴゴッ!
みんなの目の前で、突然土が動き始めた。
土が一点に吸い込まれるように移動を始め、そこが盛り上がっていく。
言葉を失う村人たちの前に、山ができた。高さ五メートルほどの山があっという間にでき上がる。
「この通り、僕には……」
「うわぁぁっ!」
村人たちが逃げ出した。その後ろ姿を、ダナンが呆然と見送っていた。
「今考えると、本当に愚かでした。あれでは、村人たちを怯えさせるだけだったんですよね」
ダナンが苦笑する。
「それ以来、村人たちは僕を倒そうと何度も襲ってきました。僕は、その度に壁を作ったり、風を吹かせたりして追い返したんです」
必死に攻める村人と、守るダナン。
村人の気持ちを考えると笑えない話だ。
「雨の日とか夜中とか、僕の隙を突こうとあの手この手で攻めてきたのですが、何せ僕はこんな体なので、まあその、何と申しますか……」
ダナンには、食事も睡眠もいらない。さらにダナンは精霊使い。
村人がどう工夫しようとも、ダナンを倒すことなどできるはずがなかった。
「そんなことが半年ほど続いたと思うのですが、ある時、ついに村人たちが諦めてくれたのです。僕は、今までそこにいた魔物と同じ。近付かなければ何もしない。そう思ってくれたみたいなんですよね」
ある意味、落ち着くところに落ち着いたということなのか。
「だけど僕は、その後不思議な気持ちに陥りました。僕は、何だか寂しくなってしまったのです」
みんなが驚き、そして、小さく微笑んだ。
「一人でいることが無性に寂しかった。かと言って、村に出向くなんてとんでもない。それでも誰かと話がしたい。僕は悩みました。そんなある日、僕は、彼女とクレアに出会ったのです」
ダナンがクレアを見た。
クレアが、ダナンを見上げて嬉しそうに笑った。
ダナンは、治癒魔法の研究を始めた。人の役に立つことで、少しでも村人たちに近付けたらというダナンなりに考えた結果だ
ダナンは精霊使い。しかも人体の構造を熟知している。治癒魔法は使ったことがなかったが、その修得自体はたやすかった。
しかし、肝心の治療する相手がいない。そこでダナンは、ケガをした動物を見付けては治癒魔法の練習をしていった。
その日も、ダナンは山に入って動物を探していた。
傷付いた動物などそういるものではない。以前のダナンなら、自分で傷付けて自分で治すということをしたに違いないが、今のダナンはそれをしない。
木の陰や茂みの中など、動物を探して山を歩き回る。そのダナンの耳に、鋭い悲鳴が飛び込んで来た。
「お姉ちゃん!」
声の場所へとダナンが急ぐ。するとそこに、足を押さえてうずくまる若い女性と、泣きそうな顔で女性を見守る少女がいた。
突然現れたダナンを見て、女性が叫ぶ。
「来ないで!」
慌てて腰からナイフを抜いて、震える手でそれをダナンに突きつけた。ダナンを見て怯えるということは、村の人間なのだろう。
困った顔でダナンが見つめる。
女性の足からは血が流れていた。それも、少し量が多い。早く治療をしなくては命に関わる可能性があった。
「僕は、怪しい者ではありません」
相変わらず怪しいことを言いながら、ダナンが少しずつ二人に近付いていく。
「来ないで!」
女性がまた叫ぶ。
女性を守るように、少女が立ちふさがる。
「傷を治すだけです。それ以外は絶対に何もしません」
説得する術を持たないダナンは、少女を押し退け、拒絶を無視して、女性のすぐ横に座り込んだ。
「いやあっ!」
ドスッ!
女性がナイフを振り下ろす。それが、ダナンの肩に深々と突き刺さった。
だが、ダナンはそれを無視する。
「動かないでください」
顔色一つ変えず、肩にナイフを突き刺したままで、ダナンは女性の傷を見た。
「最初に傷口を洗います」
平然と言うダナンを、女性と少女が呆然と見つめる。
「水を出して」
「え?」
自分に言われたのかと思った女性が、思わず声を出した次の瞬間、きれいな水がバシャバシャと発生して、女性の傷を洗っていった。
鋭い痛みに女性が苦悶の表情を浮かべるが、ダナンはそれを見ない。
「次は止血です。血を止めて」
またもや誰かに向かってダナンが言う。すると、瞬く間に血が止まった。
「じゃあ次、傷をふさいで」
ダナンが言う。
傷がふさがった。あり得ない早さで傷がふさがってしまった。
「最後、洗って」
その一言で、また水が発生する。血や泥が洗い流されて、女性の足がきれいになった。
傷のあった場所にダナンが触れる。
「痛みはまだありますか?」
女性は無言。驚きで、ただダナンを見ることしかできない。
その反応に、ダナンは慌てた。
「あ、すみませんでした! これ以上は何もしませんから!」
言うが早いか、ダナンが立ち上がる。
「あの……」
何か言い掛ける女性を残して、ダナンはそこから逃げるように立ち去っていった。
「何てバカなんだ。女性の足を、何も言わずに触るなんて。きっとまた僕は嫌われてしまった」
常識と非常識の区別がつかないダナンは、肩にナイフを刺したまま、トボトボと家に戻ったのだった。
それから数日後。
「ごめんください」
ダナンの家に、あの二人がやってきた。
思い掛けない訪問にダナンが驚く。そして、いきなり頭を下げた。
「この間はすみませんでした!」
驚く女性の顔を見ることもなく、続けてダナンはテーブルからナイフを取ってくる。
「それと、これお返しします!」
ナイフを差し出しながら、ダナンがまたも頭を下げた。
すると。
クスクス
小さな笑い声が聞こえた。
なぜ笑われているのか、ダナンには分からない。それでも、とにかくダナンは頭を下げ続けた。
そんなダナンに、女性が言った。
「あの、私たち、お礼とお詫びを言いに来たんです」
「お礼?」
ダナンがようやく顔を上げた。
「先日は、傷を治していただいてありがとうございました。それから、親切にしていただいたのに、あなたを傷付けてしまいました。本当に申し訳ありませんでした」
女性が深く頭を下げた。
隣で少女も一緒に頭を下げている。
「いえ、別に大したことでは……」
戸惑うダナンに女性が聞く。
「肩のおケガは大丈夫でしょうか?」
その顔は、心底心配そうだ。
女性を安心させようと、精一杯の笑顔を作ってダナンが答える。
「問題ありません。僕は元気です」
珍妙な答えに、女性が目を丸くした。
そして。
「フフ、フフフ……」
女性が笑い出す。
「いやだ、もう。元気って、おかしいです」
笑いながら女性が言った。
なぜ女性が笑うのか、ダナンにはやっぱり分からない。
「おかしい、ですか?」
「はい、おかしいです」
ダナンが落ち込む。
女性が笑う。
泣きそうなダナンと楽しそうな女性を、不思議そうに少女が見ていた。
女性は、やはり村の住人だった。両親が病気で亡くなったため、今は年の離れた妹と二人で暮らしているらしい。
名前はエレナ。年は十七。
薬師だった両親に教わった知識を活かし、薬草を売って生活をしているという。ダナンと出会ったのは、山で薬草を探していた時だった。
エレナにくっついて離れない少女は、妹のクレア。年は六才だ。
「肩のケガは、本当に大丈夫なんですか?」
どうしてもそれが気になるエレナが心配そうに聞いた。
少し躊躇った後、ダナンが答えた。
「大丈夫です。なぜなら、僕は普通の人間ではないですから」
驚くエレナに、ダナンがこの場所に来るまでの出来事を語った。
長い長いダナンの話を、エレナは黙って聞いていた。クレアも、理解できない話ばかりだったに違いないが、最後までおとなしく聞いていた。
話を終えたダナンがうつむく。
自分の体のことも、自分がしてきたことも、普通の人には受け入られないだろう。そう思える程度の常識はダナンも持っていた。
ふと。
「おじちゃんって、おじいちゃんだったの?」
「こらっ、クレア!」
無邪気な問いにエレナが慌てる。
面食らいながらも、ダナンが答えた。
「ま、まあ、そうだね。僕は、もう百年近くは生きているし」
それを聞いて、クレアが言った。
「お姉ちゃんがね、お年寄りは大切にしなさいって言ってたの。だからね、私、おじいちゃんのこと大切にする!」
顔を赤くするエレナの隣で、クレアがニコニコ笑っている。
「すみません、妹が失礼なことを」
エレナが頭を下げる。
「いえ、事実ですから」
ダナンが穏やかに言う。
エレナが、顔を上げてダナンを見た。気分を害した様子もなく、静かに微笑むその顔を見つめる。
「私には、あなたのことをどうこう言う資格も権利もありません。ただ」
エレナが笑った。
「あなたが、とても優しい方だということはよく分かりました」
ダナンが驚いた。
「これからも、時々来ていいですか?」
エレナの言葉にダナンが目を丸くする。
「私も来る!」
クレアの笑顔に、ダナンの顔が綻んだ。
嬉しそうな顔で、ダナンが答える。
「はい、もちろんです!」
こうして姉妹は、ダナンの家を訪れるようになったのだった。
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