リッチ

「僕はその時、本当に後悔をしました」


 ダナンが、眉間に深い皺を刻む。


「こんな体になってしまったこと。そして、研究のために数え切れないほどの命を奪ってきたこと。僕はそれを、心の底から後悔したのです」


 生きたまま心臓をえぐられる痛みと苦しみを、初めて知った。

 与えられてきた実験体が”人”であることを、初めて意識した。

 永遠の命を求める愚かさを痛感した。

 命とは何なのかを、ダナンは初めて真剣に考えたのだ。


「僕は、研究をやめました。とても研究を続ける気にはなりませんでした。でも、兄は……」


 苦しそうに、ダナンの語りは続いた。



 ダナンの体の最大の問題点は、行動に制約があることだと兄は考えていた。

 

 痛みを感じないことは、悪いことではない。

 食事と睡眠が不要になることは、非常に喜ばしいことだ。

 アンデッドと同じ反応を示すことなどどうでもよい。

 しかし、特定の場所で定期的に補修を必要とすることは、自由を奪われることになる。


「永遠の命を手に入れても、自由に動けないのでは意味がない。それでは、魔物生成の研究ができなくなってしまう」


 二人に与えられた課題の一つ、魔物の生成。

 当然それは、キルグ帝国の戦力増強のためにある。すなわち魔物は、早く、大量に生成できなければならない。

 魔物生成の研究は確実に進んでいた。しかし、この場所では霊力が足りないと兄は感じていた。

 もっと強い霊力が必要だ。それを見付けることのできるのは、精霊使いである自分かダナンしかいない。だが、特定の場所に縛られてしまうダナンの体では、その場所を探す旅に出ることは難しい。

 加えて。


「精霊使いでなければ、ダナンと同じ体を作ることも、補修をすることもできない。それでは困るのだ」


 ダナンの体は、霊力の集まる場所で、精霊使いが精霊に”命令”することで作られる。当然、体の補修にも同じことが必要となる。

 仮に、貴族の誰かがダナンと同じ体を手に入れた場合、そこには必ず自分かダナンがいなければならない。役立たずとなったダナンにそれを期待できないとなれば、自分がその役目を負うことになる。


「そんなことで拘束されるなんて、まっぴらだ!」


 兄は、魔石に魂を移し替え、体を作り直す方法を捨てた。

 兄は、永遠の命を得るためのもう一つの方法の研究に没頭していく。


 いくつもの実験が行われた。

 いくつもの命が犠牲となった。

 やがて兄は、一つの確信を得た。


「この方法の成功の鍵は、強い意志の力だ」


 よい結果を出す実験体に共通して言えること。それは、生きたいという強い意志。あるいは、この世への強烈な未練。


 実験体には必ず伝えていた。


 施術に失敗すれば死ぬ

 だが、成功すれば永遠の命が手に入る


 それを聞いて、恐怖や絶望を示す実験体は、例外なく死んだ。

 それを聞いて、生への執着を示す実験体は、よい結果を出すことが多かった。

 すなわち。


「自分なら、必ず成功する!」


 実験の成功を誰よりも願っているのは自分だった。

 永遠の命を誰よりも願っているのは、自分だった。


 ある日兄は、ダナンに告げる。


「長年の研究に決着をつける。お前が執刀してくれ」


 驚くダナンに研究成果のすべてを伝え、兄は施術台に横になった。

 これですべてが終わるのならと、ダナンはメスを取った。


 施術が始まった。

 生きたまま、兄の体が切り刻まれていく。

 施術が終わって気を失うまで、兄の目が閉じることは、一度もなかった。


 施術は成功した。

 兄は、永遠の命を手に入れた。

 兄は、ダナンの手によって、リッチになったのだった。



「人が、人のままで永遠の命を得る。それは無理だという結論は、比較的早い段階で出ていました。だから僕たちは、人を捨てることを前提に研究を進めていたのです」


 ダナンの話は続いた。


「リッチは、もっとも高位のアンデッドです。ネクロマンサーたちが、リッチになるための秘術を長年研究していますが、その方法は分かっていませんでした」


 社員たちは、黙ってそれを聞いている。


「それを兄は見付けました。そして、兄はリッチになりました」


 シンシアが、リリアの手を握った。


「兄にとって、リッチの体は理想的だったようです。傷付いてもすぐ修復できる訳ではありませんでしたが、移動の制限はなく、食事や睡眠もいらない。研究を続けるには、まさにうってつけの体と言えるでしょう」


 物語ではない、現実に起きた出来事。

 冒険物語が好きなミアも、ダナンの話はさすがに受け入れ難いようだ。


「兄は、その体を手に入れたことを心から喜んでいました。しかし、貴族たちは違った。彼らは、結果を聞いて落胆しました。成功するか否かは本人の意志次第。しかも、成功の結果がリッチになることでは、誰も納得するはずがありません」


 ただ生きていられれば満足という人など、まずいない。

 贅を尽くした料理や美しい女に囲まれた権力者たちが、食事を必要とせず、人から恐れられるような醜い姿になることを望むはずがなかった。


「永遠の命の研究は打ち切られました。魔物の生成、その研究のみを継続せよという指示が出たのです。それを聞いた兄は、強い霊力を求めて諸国を巡ることにしました」


 成果が否定されたことを、兄はまったく気にしなかった。

 骸骨のような体をマントで隠し、おぞましい顔を仮面で隠して、兄は旅に出る。


「出発の日、僕は兄に聞きました。施設の外に出たら、彼女のことを探すのかと」


 悲劇の日から、すでに長い歳月が過ぎている。彼女が生きているかどうかすら怪しい。

 それでも、外の世界を自由に動けるのなら、彼女がその後どうなったかを調べることはできるだろう。

 しかし、兄の答えは予想外のものだった。


 彼女? 何の話だ?


 驚くダナンを振り返ることなく、兄は施設を出ていった。



「リッチになると、記憶の一部が抜け落ちる。あるいは記憶が偏ったものになる。僕は初めてそれを知りました」


 焚き火の炎がいつの間にか小さくなっていた。

 マークが、薪を拾って静かにそれをくべる。


「兄は、数ヶ月ごとに戻ってきては、施設の責任者や貴族たちに報告をしていました。姿は醜くても、きちんと指示には従う兄に、上層部は安心したようです。でも」


 明るくなった炎が、ダナンの影を揺らした。


「その時兄は、すでに人ではなくなっていました。それは、姿のことではありません。兄は……兄の心は、すでに怪物になっていたのです」

「怪物?」


 首を傾げるヒューリを見て、ダナンが寂しげに微笑む。そして、ヒューリの疑問には答えずに、別の話を始めた。


「兄は、強い霊力の集まる場所をいくつか見付けていました。それが、エルドアとその周辺に集中していたのです」

「じゃあ、ここも?」


 つぶやいたミアに、ダナンが答える。


「いいえ。ここの霊力は、施設のものと大して変わりません。もっと強い霊力の集まる場所。そのうちの一つは、イルカナとの国境近く、北西の山の中にありました」

「やっぱりそうなのね」


 フェリシアが小さく言った。

 イルカナとエルドアの国境近くに発生する大量の魔物。それはやはり、ダナンの兄が関係していたようだ。

 考え込むフェリシアをちらりと見ながら、マークが聞く。


「魔物を生成するのに、魔法陣は必要になりますか?」

「必要です。よくご存知ですね」


 ダナンが驚く。


「以前、魔物が大量に発生した場所で、魔法陣の痕跡を見付けたことがあります。その場所は、エルドアから見て北西に当たりました」


 目を見開くダナンに、マークがその時の様子と、そして場所を伝えた。


「なるほど。それは、間違いなく兄の仕業だと思います。ただ、場所はおそらく違います。兄の言っていた場所は、もっとエルドア寄りでしたから」


 マークたちが見付けた魔法陣の痕跡は、崖崩れによって潰されていた。だが、魔物の大量発生はあれからも続いている。

 ダナンの言う通り、あの場所以外に”本命”があるということなのだろう。


「兄が見付けた場所は、全部で三カ所。その三カ所で、兄は大規模な実験を計画しました。その計画の支援を得るため、兄は、帝国に何かの提案をしたようなのです」


 ダナンの話は続いた。



 帝国にした提案の内容を、兄は教えてくれなかった。

 その提案が承認された日、兄は、ダナンの部屋を訪れて言った。


「あんな提案など、じつはどうでもよいのだ。本当に実現したいのは、自由な研究環境の確保なのだからな」

「研究環境の確保?」


 首を傾げるダナンに兄が答える。


「エルドアをわしの支配下に置く。そうすれば、金にも資材にも事欠かなくなるだろう?」

「!」


 驚くダナンに、おぞましい顔で兄が笑う。

 この研究施設は、帝国内のほかの施設と比べても優遇されていた。金も資材も、比較的潤沢に与えられている。

 しかし、それらを得るためには面倒な手続きが必要だった。研究や実験の必要性を訴え、認められなければそれらは用意されない。

 さらに、認められたとしても、思い通りに手に入らないものがあった。

 それは。


「今のままでは、圧倒的に実験体が足りないのだ」


 実験体。すなわち、生きた人間。

 囚人や捕虜、時には自国の兵士など、帝国が用意する実験体の出所は様々だ。しかし、それらはそう簡単に用意できるものではない。

 永遠の命の研究をしていた時も、実験体が足りずに研究が進まないということが幾度もあった。


「エルドアを支配下に置けば、いくらでも実験体を集められる。失敗を恐れる必要がなくなるのだ。素晴らしいことだとは思わないか?」


 同意を求められて、ダナンは逆に聞いた。


「永遠の命の研究は打ち切りになったんだ。もう実験をする必要なんてないだろう?」


 弱々しい問いに、力強く兄が答えた。


「この体は理想的だよ。食事も睡眠もいらない。好きなことを好きなだけ続けることができる。そんな体を、すべての人が手に入れたらどうなると思う? まさに天国だとは思わないか?」


 ダナンは絶句した。


「今は、まだ誰もがこの体を手に入れられる段階にない。だが、必ず方法はあるはずだ。それを見付けるためには実験が必要だ。何百、何千、何万という実験体が必要なのだ」


 ダナンの体が震えた。


「それにな、わしがやりたいことは、ほかにもたくさんあるのだよ。魔物を自在に作り出し、それを自在に操る。わしの手で秘宝を作り出す。神器の研究もしたいのぉ。神の鎧の研究は中途半端に終わったが、この体を手に入れた今なら、きっと神器の謎も……」


 兄は語る。滔々と語る。

 それを見て、ダナンは恐怖を覚えた。

 そしてダナンは、兄の前から姿を消した。

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