兄弟

 ダナンは、双子の弟として生まれた。

 兄とダナンの故郷は、キルグ帝国。兄弟は、驚くべきことに揃って精霊使いだった。

 その希少価値を知っていたからなのか、あるいは生活に困っていたからなのか定かではないが、二人は幼い頃に、両親によって国の研究機関に売られた。

 しかし、生きるという意味において、それは幸せなことだったのかもしれない。

 皮肉なことに二人は、飢えや寒さ、そして過酷な労働から解放されたのだった。


 貴重な研究対象として、二人は大切に扱われた。二人も、進んで研究に協力した。

 実験と研究の日々の中で、研究員たちは二人の賢さに気付く。報告を受けた機関の責任者は、二人に最高レベルの教育を施すことを決めた。

 そして二人は、機関の狙い通り、優秀な研究員へと成長していった。


 限られた人間にしか感じることのできない謎の力、霊力。それが集まる場所を施設の敷地内に見付けた二人は、そこに実験棟を建てて独自の研究を始めた。

 霊力の役割、精霊の性質、魔法発動の仕組みなど、それまで体系化されていなかった分野において、二人は歴史に残るような研究成果を挙げていく。

 その優秀さを見込まれて、帝国に伝わる神器、神の鎧の研究にも携わったことがあった。

 皇帝の一族以外が神器に触れることなど、普通できるものではない。まさに例外中の例外として、二人は神器を研究することを許されたのだった。


 そんな二人に、当時大きな影響を与えた人物がいた。



「彼女は、僕たちと同じく機関に売られてきた子供でした」


 ダナンが、懐かしそうに目を細める。


「彼女の一族からは、まれに異常な魔力の持ち主が生まれることがあるそうです。彼女が機関にやってきたのはたしか八才の時だと思いましたが、彼女の魔力は、すでに平均的な大人のそれをはるかに越えていました」

「八才で!?」


 ミアが思わず声を上げた。

 今では途方もない魔力を操るミアも、八才の頃はまだヒールを使うのがやっとだった。


「彼女は、僕たちと一緒に勉強をし、僕たちと一緒に研究をしました。彼女はとても聡明でした。そして彼女は、とても美しい女性でした」


 ダナンが、穏やかにフェリシアを見る。

 首を傾げるフェリシアを見ながら、ダナンが続けた。


「僕も兄も、彼女のことが好きでした。それは、間違いなく恋と呼べるものだったと思います」


 視線を焚き火に移してダナンが微笑む。


「彼女の気を引くために、新しい魔法を開発したりしました。彼女に褒めてもらいたくて、成果を挙げようと必死になりました。彼女の言葉、彼女の笑顔が、僕たちの大きな原動力だったのです」


 リリアが身を乗り出した。ミアの目が輝いた。

 二人の乙女は、恋の話に興味津々だ。


「成長と共に、彼女の魔法の才能はどこまでも伸びていきました。ほとんどの第四階梯を無詠唱で発動し、いくつもの第五階梯を使いこなす。視察に来た貴族から、キルグ随一の魔術師と賞賛されたこともありました」


 誇らしげにダナンが話す。


「恥ずかしそうにうつむく彼女を僕たちも誇りに思い、そして僕たちは、ますます彼女に夢中になっていきました」


 うんうんと頷く二人の横で、フェリシアの目も輝く。

 二人とはまた違う意味で、フェリシアも前のめりになっていた。


「あの頃は幸せでした。僕も兄も、ずっとこのままでいられたらと願っていました。でも」


 ダナンが焚き火を見つめる。


「所詮僕らは、売られてきた人間だったんです」


 寂しそうにダナンが言った。


「時々視察に来ていた貴族の一人が、ある日突然、彼女を連れ去っていったのです」


 みんなが目を見開いた。

 ダナンが、続きを語った。



 理由も告げずに、貴族は彼女を連れ去った。それを呆然と見送ったダナンと兄は、施設の責任者の部屋へと駆け込む。

 詰め寄る二人を、だが責任者の男は冷たくあしらった。何を言ってもまるで相手にしなかった。

 それでも二人は諦めない。しつこく何度も責任者の部屋を訪れては、彼女を連れ戻してほしいと訴えた。

 その熱意が伝わったのか、ある時責任者の男が言った。


「お前たちが帝国にとって有益な研究を成し遂げることができたら、その成果と引き替えに、彼女を取り戻す交渉をしてやる」


 二人は、迷うことなく頷いた。


 与えられた研究課題は二つ。

 一つは、戦力となり得る魔物の生成。

 もう一つは、人間の寿命の大幅な延長、もしくは永遠の命の獲得。


 どちらも、常識的には達成不可能な課題だ。しかし二人は、それに猛烈な熱意をもって取り組んだ。

 二人は自室に戻らなくなった。研究室で食事をして、実験室の床で眠った。

 すべての時間を研究に充てた。すべての体力を実験に注ぎ込んだ。

 やがて二人は、驚くべきことに、どちらの課題についても達成への手掛かりを見出していく。特に魔物の生成については、その道筋がはっきりと見えていた。

 二人は、前人未踏の領域へと足を踏み入れていった。


 だが。


「時間が足りない!」


 机を叩いて兄が叫ぶ。


「何か手立ては……」


 目頭を押さえてダナンがつぶやく。

 手掛かりは見付かった。道筋も見えていた。しかし、具体的な成果を得るためには、気が遠くなるほど多くの実験と検証の繰り返しが必要となる。今のままでは、結果が出る前に二人の命が尽きることは明白だった。


 兄が、白いものの混じる髪をかきむしる。

 ダナンが、皺だらけの両手を握り締める。


 二人は、多くの時間を研究に費やしてきた。

 二人は、六十年近い歳月を研究に費やしていた。


 施設の責任者は、すでに二回交代していた。

 キルグ帝国の皇帝も、代が替わっていた。


 ある時、新任の研究員が二人に聞いた。


 どうして、それほど必死に研究を続けるのですか?


 二人は、揃って答えた。


 課題を達成するためだ


 二人は笑わなくなっていた。

 二人は喋らなくなっていた。

 二人は、なぜ研究を続けているのか、分からなくなっていた。



 黙ってしまったダナンを、言葉もなくみんなが見つめる。


「現実逃避、だったんでしょうね」


 やがて、ダナンが口を開いた。


「僕たちは、この研究が終わらないことに途中から気付いていました。もっと言えば、たとえ課題を達成したとしても、彼女を取り戻せないであろうことにも気付いていたんです」


 リリアの目から涙がこぼれる。ミアがハンカチを握り締める。

 シンシアが、リリアの腕を強く掴んでいた。


「僕たちは壊れ掛けていた。研究を続けることで、それ以上自分が壊れることを防いでいたのでしょう。だから僕たちは続けた。研究を続けるために、まずは永遠の命の獲得を目指したのです」


 ダナンが悲しげに微笑んだ。


「永遠の命の獲得について、僕たちは二つの方法を模索していました。そのうちの一つ。人の魂を魔石に移し替えて、体を魔力で生成し直す方法。それに、僕たちは全精力を注ぐことにしたのです」


 魔物生成の研究からヒントを得た、驚くべき延命方法。

 過去にまったく例のない、実現不可能と思われる方法だ。


「失敗を繰り返しながら、それでも僕たちは、少しずつ成果を挙げていきました。そしてある時、画期的なアイテムを作ることに成功したのです。それは、兵士の魂を人形に閉じ込め、ゴーレムとしてその命を保ち続けるというものでした」


 それを聞いたフェリシアが、マジックポーチに手を入れる。


「それって、もしかして」


 一体の人形を取り出すと、それをダナンに見せた。


「おお、これは懐かしい」


 ダナンが驚く。

 マーク逮捕に関連する一連の出来事。その際、町を離れるミナセたちのかわりに、ボディガードとしてミアに託した人形。


「魔除けの人形ですね」


 それは、ダナンと兄が作ったものだった。


「それは、一つの到達点ではありました。しかし、その人形には意志がない。とても”生きている”とは呼べない。量産もできない上に、見た目の怖さもあって、貴族の皆様は喜んでくれなかったのです」


 ゆえに、貴重なアイテムにも関わらず、フェリシアのもとの主の手に渡ることになったのだろう。


「でも、この人形をきっかけに研究は大きく前進しました」


 ダナンが再び話し始めた。



 魔除けの人形の核となっているのは魔石だ。その魔石には、兵士の魂が宿っている。つまり二人は、人の魂を魔石に移し替えることに成功したのだ。

 二人は研究を続けた。さらなる実験といくつもの失敗。研究室に閉じこもったまま、二人の日々は過ぎていく。

 その過酷な日々が、ダナンの体を蝕んでいった。ダナンの体は、いつ間にか病に冒されていた。


「お前は休め」


 兄が、ダナンの肩を掴んで言う。


「何を言ってるんです。僕は止めませんよ」


 兄の手を振り払ってダナンが言う。

 強い意志を示すダナンに、結局兄は、それ以上何も言うことをしなかった。

 そしてある日、ダナンは倒れた。


 ベッドに横たわるダナンが、兄の手を握る。


「僕の命は間もなく尽きます。だから兄さん、僕の魂を、実験に使ってください」

「ダナン……」


 やつれた弟を兄が見つめた。兄から見ても、弟が助からないことは明白だった。


「分かった、やろう」


 病室から実験室へと運ばれたダナンは、兄の手によって、生きたまま心臓をえぐり取られた。

 鮮血が迸り、絶叫が響き渡る。

 とてつもない痛みと苦しみ。薄れゆく意識の中で、ダナンは、兄の涙を見た気がした。


 次にダナンが目を覚ましたのは、久しく戻ることのなかった自分の部屋だった。

 ベッドから起き上がったダナンは、自分の体を確かめていく。手も足も胴体も、頭もちゃんと存在していた。声を出すこともできた。音を聞くこともできた。歩くこともできた。自分の頭で考えることも、問題なくできていた。


「成功だ」


 小さくつぶやく。


「大成功だ!」


 大きく叫ぶ。


「兄さん! 兄さん!」


 大きな声で、ダナンが兄を呼んだ。

 駆け付けた兄が、ダナンを抱き締める。涙で濡れる兄の顔には、いくつもの深い皺があった。その髪は、真っ白に染まっていた。

 ダナンは双子。兄の姿は、ほとんどそのまま自分の姿だ。

 しかし、鏡を見たダナンは、驚愕の表情を浮かべた。


「兄さん、これは!?」


 驚くダナンに兄が言う。


「お前の若い頃の姿をイメージしてみたのだよ」


 楽しそうな兄を、ダナンは目を丸くして見つめていた。

 兄弟が過ごした歳月は、七十年を越えていた。それなのに、ダナンの姿は二十代か、せいぜい三十代前半。

 魔物生成の実験から、それは予想していたことだった。生成される体は、術者のイメージする姿が強く反映される。極端な話、術者のイメージ次第では、まったくの別人になることも可能だったのだ。


「生まれ変わった気分はどうだ?」


 笑う兄を、ダナンが再び抱き締める。


「兄さん!」


 二人の努力はここに報われたのだった。



「僕も兄も、有頂天になりました。長年の研究が実を結んだ。これで永遠に研究が続けられる。僕たちはそう思ったのです。ところが」


 パチパチと弾ける焚き火を見つめながら、ダナンが続けた。



 ダナンは新たな体を得た。その体は軽やかで、本当に若返ったようだった。

 興奮で顔を紅潮させる兄弟は、しかし、すぐに研究者としての冷静さを取り戻していく。兄に同様の施術を施す前に、ダナンの体を観察することにしたのだった。

 ダナンの体は魔物に近かった。魔石を核として、魔力で体を形成、維持している。

 結果、ダナンには食事も睡眠も不要となった。暑さも寒さも、痛みさえも感じなかった。訓練によって、ある程度の触覚、つまり何かに触れている感覚を手に入れることはできたが、人が、あるいは生き物が備えるいくつもの特徴をダナンは失っていた。

 腕にナイフを突き立てても痛みはない。手足の欠損程度なら簡単に修復できてしまう。

 ダナンの心は人のままだ。その心が、自分の体を受け入れられない。

 ダナンは、次第に沈み込むことが多くなっていった。


 そのダナンに、追い打ちを掛ける事実が判明する。

 ダナンの体は、定期的に補修が必要だったのだ。


 補修のためには強い霊力が必要となる。つまりダナンは、研究施設か、それと同等の霊力の集まる場所から長く離れることができない。補修をしないと、その体は徐々に腐っていってしまうのだ。

 加えて、ダナンの体はアンデッドと同じ反応を示した。浄化系の魔法で大きなダメージを負うことも分かった。

 命尽きたものが、魔力によって活動を続ける。それがアンデッド。

 ダナンは、アンデッドと同じく、自然の理から外れた不条理な存在だったのだ。


 無口になったダナンを兄が見つめる。

 研究室に足を運ぶことをやめてしまったダナンを、兄がじっと見つめる。


「この方法ではだめだ」


 ダナンに背を向けて、兄が言った。


「もう一つの方法を研究せねば」


 驚くダナンを振り向きもせずに、兄は足早に研究室へと向かっていった。

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