先生

 フェリシアから状況を聞いたマークが、素早く指示を出す。


「リリアとヒューリはケガ人の捜索、シンシアとフェリシアは消火、ミアは治療だ。急げ!」

「はい!」


 社員たちが走り出した。


「ミナセ、今は私情を抑えろ。リリアたちと一緒にケガ人の捜索、急げ」

「はい!」


 涙を拭い、少女の頭を撫でてから、ミナセも動き出した。


 ゴーレムはすでに全滅していた。いくつかの家や小屋が燃え、何人かの村人が座り込んではいるが、幸いなことに死者は出なかったようだ。

 社員たちが散っていったことを確認すると、マークは、すぐそばに佇む少女を見る。


 少女のことを、ミナセは”クレア”と呼んでいた。

 くりくりとした大きな目に可愛らしい顔立ち。名前も容姿の特徴も、ミナセから聞いていた少女のものだ。

 だが、その少女はプリーストの魔法で消えてしまったはず。


 じっと見つめるマークの視線に少女が気付いた。

 自分を見上げる少女に、腰を落として目線を合わせ、笑顔を浮かべてマークが言う。


「俺は、ミナセと同じ会社で働いている、マークという」


 穏やかに話し掛けるが、ミナセに強い口調で指示をしていたマークを、少女は少し警戒していた。


「きみのことは、ミナセから聞いている。きみがクレアちゃんだね?」

「……うん」


 クレアが頷いた。


「腕は痛くないか?」

「痛くない」


 無惨に折れた腕は、見ているだけで痛々しいが、クレアは痛がる素振りを見せていない。以前ミナセが話していた通り、クレアは痛みを感じないようだ。


「おじちゃんは、何でも屋さんなの?」

「そ、そうだよ」


 おじちゃんと言われて、一瞬マークがたじろぐ。


「コロッケとかお惣菜を売ってるの?」

「えっと、俺は売ってないな」

「じゃあ、悪い人をやっつけるの?」

「それも、俺はしてないな」


 突然の質問責めに、マークは苦笑い。どうやらクレアは好奇心の強い子供のようだ。

 しかし、同時にマークは驚いていた。


「クレアちゃんは、ミナセのことを覚えているのかい?」

「うん、覚えてるよ。お姉ちゃんはね、お洋服とコロッケを買ってくれたの。それとね、私のことを、怖い人たちから守ってくれたの」

「そうか」

 

 マークが微笑む。とても嬉しそうに微笑む。

 その笑顔を見て、クレアも微笑んだ。

 クレアの頭を撫でて、マークが聞いた。


「クレアちゃんは、先生と暮らしているんだよね?」

「うん」

「俺もミナセも、先生に会いに来たんだ。後でおうちに案内してくれるかな」

「うん、いいよ」


 クレアが答えた。


「じゃあ、ちょっと待っててくれ。村の人たちのお手伝いが終わったら、その後案内してもらから」

「分かった!」


 すっかり警戒を解いたクレアが、また笑う。

 クレアの頭をもう一度撫でてから、マークも村人の手助けへと向かっていった。



 ケガ人の手当を終え、村を囲っていた壁を取り払うと、社員たちのやる事はなくなった。


「本当にありがとうございました」


 何度も頭を下げる村人たちに手を振って、社員たちは歩き出す。

 先頭を行くのは、ミナセとクレアだ。


「お姉ちゃん」

「何だ?」

「えっとね、何でもない!」


 ミナセの手を握ってクレアが笑う。


「お姉ちゃん」

「何だ?」

「あのね、私ね、お姉ちゃんにまた会えて、嬉しい!」

「私もだよ、クレア」


 小さな手を握ってミナセも笑う。


 ずっと後悔していた。

 ずっと謝り続けていた。


 だけど。


 お姉ちゃんにまた会えて、嬉しい!


 クレアが言ってくれた。

 クレアが笑ってくれた。


 ミナセの心に刺さった棘が消えていく。

 クレアと同じくらい嬉しそうに、ミナセも笑っていた。


 二人は、仲のいい姉妹のように並んで歩く。

 その後ろを歩きながら、社員たちが小声で話していた。


「あれが……」


 人の心を持つ少女。

 人ではない体を持つ少女。


 少女は、ターンアンデッドの魔法で消滅したとミナセは言っていた。それはつまり、少女がアンデッドと同じ体を持つということだ。


「でも、あの子をアンデッドだと思う人は、普通いないですよね」


 ミアがつぶやく。


「左腕、痛くないんでしょうか?」


 リリアが心配そうに言う。

 少女の左腕は、あり得ない方向に折れ曲がっている。

 それなのに、少女は嬉しそうに笑っている。


 何とも違和感のある光景に、社員たちは戸惑っていた。

 そんな中、マークだけは、二人と同じくらい嬉しそうに笑っていた。ミナセの笑顔を見て、マークは心から笑っていた。



 道は、幾度か曲がりながら北へと向かっていた。多少デコボコしてはいるが、それなりに整備はされていて、歩くのに支障はない。轍があるので、馬車もこの道を通るのだろう。

 クレアの話では、家まで歩いて三十分くらいだと言う。子供の足で三十分なら大した距離ではないはずだ。すでに日が傾き始めていたが、暗くなる前には着けるに違いない。


「もう少しだよ」


 先頭のクレアが言う。

 その言葉で、それまで穏やかだったマークの顔が引き締まった。それに気付く者は、誰もいない。

 道が大きく曲がっていく。木々に遮られてその先は見えない。


「先生って、どんな人なんですかねぇ」


 暢気にミアが言った、その時。


「反応!」


 フェリシアが鋭く叫んだ。その目は大きく広がっていた。

 フェリシアの索敵範囲は半径三百メートル。それなのに、捉えた反応は五十メートルと離れていない。

 曲がった道の、おそらくその先。そこに、恐ろしく強力な魔力が突然現れた。


「社長、警戒を!」

「待て!」


 慌てるフェリシアにミナセが言う。


「敵意は感じない。たぶん……」


 言い掛けたミナセの手を、クレアが突然放した。そして、道の先へと走り出す。みんなも慌ててそれを追う。

 道を曲がり、視界が開けたその場所に、クレアと、そして一人の男がいた。


「その腕はどうしたんだい?」

「あのね、村に魔物が来たの」

「魔物が?」

「うん。それでね、お姉ちゃんに助けてもらったの」


 嬉しそうなクレアの頭を男が撫でる。


「そうか。それはよかったね」

「うん!」


 笑顔のクレアと一緒に男が近付いてきた。

 年齢は、二十代後半か、あるいは三十代前半。穏やかな瞳と穏やかな表情。ミナセの言う通り、敵意はまるで感じられない。


「クレアがお世話になったようで、ありがとうございました」


 柔らな物腰で、丁寧に頭を下げる。


「ところで、村に魔物が出たというのは本当ですか?」

「はい。ですが、うちの社員が倒しましたので、今はもういません」


 皆を代表してマークが答えた。

 答えながら、マークが探るように男を見る。


「それは……重ね重ねありがとうございました」


 眉間にしわを寄せ、少し何かを考えてから、男が礼を言った。マークの視線には気付いていないようだ。

 マークの隣には、ミナセがいる。

 その目の前に、男が迷わず立った。


「あなたがミナセさんですか?」

「そう、です」


 驚きながら、ミナセが答える。


「僕は、ダナンと言います。あなたには、二度もクレアを助けていただきました。本当にありがとうございました」

「いえ」


 もう一度頭を下げるダナンに、慌ててミナセも頭を下げた。

 顔を上げて、ダナンが改めて社員たちを見る。


 その目が、シンシアを見て微笑んだ。しばらくその顔を見つめてから、ゆっくりと視線を外す。

 続いてその目が、ヒューリの後ろのフェリシアを見付けた。

 そしてダナンは動かなくなった。


 目を見開いたまま、ダナンがフェリシアを見つめ続ける。

 フェリシアが、不思議そうに首を傾げる。

 かなり長い時間フェリシアを見つめていたダナンが、ふと我に返ったように瞬きを繰り返すと、表情を和らげてみんなに言った。


「何のおもてなしもできませんが、よろしければ我が家にお越しください。皆さんには、何もお話しないという訳にはいかないと思いますので」


 そう言ってダナンは歩き出した。

 不思議な気配を持つその背中に、黙って七人はついていった。

 


 ダナンとクレア、そして自己紹介を終えた社員たちが、焚き火を囲んで座っている。


「すみません。こんなに大勢の人に来ていただくことがないもので」

「外での食事にも、野営にも慣れています。どうぞお気になさらないでください」


 恐縮するダナンにマークが答えた。

 ダナンとクレアの住む家は、大きくなかった。居室以外にも部屋はあったが、全員が座って話せるような場所はない。加えて、驚くべきことに、その家には台所がなかった。食料と呼べるものもなかった。さきほど終えた夕食も、みんなが持っていた携行食で済ませている。


 クレアの左腕は、すでに治っていた。ダナンと一緒に家に入ったクレアは、社員たちが食事の準備を始めてからいくらもたたないうちに、元気な笑顔で出て来ていた。

 今は、その治った左手で、ミナセの右手をしっかりと握り締めている。

 クレアの膝の上には、あの布が載っていた。ミナセが大切に持っていたクレアの服だ。

 

「どこから話せばいいか迷うところですが」


 隣のクレアと、もう一つ向こうのミナセを見ながらダナンが言う。


「最初に言うべきことは、やはりこのことなのでしょうね」


 クレアの頭をそっと撫でて、ダナンが言った。


「クレアも、そして僕も、普通の人間ではありません。魔石に心を移植して、魔力で体を維持している、どちらかと言えば魔物に近い存在です」


 衝撃の内容に、全員が驚きの表情を浮かべる。

 

「あの、クレアちゃんもそのことは……」


 心配そうなリリアに、ダナンが笑って答えた。


「アルミナの町から戻ってきて、クレアの体を元に戻した後、クレアにはすべてを話しました。難しい話もたくさんあったから、全部を分かってもらえたとは思えませんが、クレアも僕も、この体で生きていくことを決めています」


 クレアがダナンを見上げる。

 ダナンが、クレアの頭をまた撫でた。


「では、次に僕の話をしましょう。その前に、シンシアさん。やっぱり気になりますか?」


 突然話し掛けられて、シンシアが目を見開いた。

 じつはシンシアは、この家に近付くほどに落ち着きをなくしていた。不安とか恐れではない。シンシアが感じていたもの。シンシアだけが感じていたもの。

 それは。


「この場所には、比較的強い霊力が満ちているのです。慣れないと、シンシアさんには少しきついかもしれませんね」

「どうして」


 それが分かったの?


 シンシアの疑問に答えるように、ダナンが言った。


「じつはね、僕も精霊使いなんですよ」

「!」


 シンシアも、ほかのみんなも目を丸くする。

 大陸中を探しても百年に一人現れるかどうかという存在。そんな存在が、シンシアのほかにもいた。


「あなたを見てすぐに分かりました。精霊使いと会うのは久し振りで、とても嬉しかったです」


 笑顔のダナンに、しかしシンシアは笑顔を返せない。

 驚きと戸惑いが渦巻く中で、ダナンが自分の生い立ちを話し始めた。

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