神速の剣

 猛烈な速度で二人の人間が向かってくる。

 その片方を見て、驚いたように仮面がつぶやいた。


「紫の髪……」


 風になびく美しい髪をじっと見つめる。


「なぜここに……おっと」


 驚きながらも、連続して飛んでくる空気の刃を仮面は軽々とかわしていった。


「あの二人がいるということは、ほかの社員もいるということか。それは面倒だな」


 顔をしかめ、残念そうに仮面が言う。


「奴め、とうとう出て来なかったわ。まあいい。落ち着いたら、また会いに来るとしよう」


 そして。


「燃やせ」


 ボォッ!


 たったの一言で、火の手が上がった。いくつもの家が突然燃え始める。

 

「ではな」


 ギュイン!


 猛烈な速さで仮面が上昇した。あっという間に、とんでもない高さにまで到達した仮面は、二人をあざ笑うように西の空へと消えていった。



「逃がさない!」

「かまうな!」


 上昇を始めたフェリシアにミナセが言った。

 二人の目の前で起きた数々の奇異な出来事と、それに関係しているであろう謎の人物。

 その人物にあっさり逃げられて、フェリシアが苛立ちの声を上げる。


「もう、何なのよ!」

「落ち着け。村人を助けるのが先だ」


 冷静なミナセの言葉で、フェリシアも気持ちを切り替えた。

 見れば、村の中を奇妙な人形たちが歩き回っている。人形に追われて、村人たちがパニックになりながら逃げ惑っていた。

 村の広場では、小さな男の子が一人、転んだまま泣きじゃくっている。その子に、一体の人形が近寄っていくのが見えた。


「あれは金属系のゴーレムね。遠距離魔法は効きにくい。突っ込むわよ!」


 一気に高度を下げて、フェリシアがゴーレムに突っ込んでいく。そしてそのまま、シールドを全開にしてゴーレムに体当たりを食らわせた。


 ドーン!


 真横から二人が激突する。

 ゴーレムがゴロゴロと転がっていく。


「ミナセ!」

「任せろ!」


 着地と同時にミナセが太刀を抜いた。白銀色に輝く太刀が、起き上ろうとしていた金属の体に斬り掛かる。


 スパッ!


 まるで竹でも斬るように、太刀が金属の体を両断した。真っ二つになって地面に転がったゴーレムは、やがて魔石を残してその姿を消していく。

 突然現れた二人に、泣いていた男の子が目を丸くした。泣くことも忘れて二人を見る男の子に、フェリシアが優しく笑って見せる。


「もう大丈夫よ」


 途端に、男の子が泣きながらフェリシアにしがみついてきた。


「うわーん、うわーん」


 よほど恐かったのだろう。力いっぱいフェリシアを抱き締めて男の子が泣く。


「よしよし、いい子ね」


 フェリシアが頭を撫でる。とっても嬉しそうに撫でる。

 そのフェリシアに、別のゴーレムが近付いてきた。


「近距離なら、私だってやれるのよ」


 表情を引き締めて、フェリシアが魔法を放った。


「オキシデイション!」


 水の魔法の第四階梯、オキシデイション。金属を瞬時に酸化させる魔法だ。


「金属にはやっぱりこれ……って、何で効かないの!?」


 フェリシアが目を見開いた。


「まさかあなた、ミスリルゴーレム? そんなの本でしか見たことないわよ!」


 魔法への強力な耐性を持つミスリルゴーレム。非常に珍しい、そして非常にやっかいな魔物だ。

 フェリシアも、それを目にするのは初めてだった。


「もう、仕方ないわね!」


 男の子を片手で抱きかかえ、接近するゴーレムから距離を取りながら、フェリシアが高速で詠唱を始めた。

 フェリシアが詠唱を必要とする魔法。それは間違いなく高位の魔法だ。


 ゴーレムが二人に迫る。

 フェリシアが詠唱を続ける。

 やがて、呪文を完成させたフェリシアが叫んだ。

 

「アシッドブレス!」


 不気味な錆色の霧がゴーレムに向かって放たれた。霧を浴びたゴーレムが、シューシューと音を立てて溶けていく。

 闇の魔法の第四階梯、アシッドブレス。魔法への耐性など何の役にも立たない、ドラゴンの鱗でさえも溶かしてしまう強力な酸のブレスだ。

 ぐにゃりと崩れたゴーレムは、十秒とたたずに魔石を残して消えてしまった。

 ミナセが、それを見て体を震わせる。


「恐ろしい魔法だな。これならどんな魔物でも……」

「悪いけど、ゴーレムたちは任せたわ」

「えっ?」


 驚いて、ミナセがフェリシアを見た。


「私、こういう魔物は得意じゃないのよ」


 アシッドブレスは、発動に時間が掛かる上に魔力消費が激しい。しかも、それは闇の魔法。フェリシアでも連発するのは危険だ。

 ミナセならゴーレムを倒せる。自分の魔力は村人の救助に取っておくべき。

 フェリシアは瞬時にそう判断していた。


「よろしくね」

「了解だ」


 ミナセが、何も聞かずに頷いた。

 フェリシアが、頷くミナセに微笑んだ。

 そして二人は動き出した。


 男の子を抱いたままフェリシアが飛ぶ。追い詰められた女を空から見付けて急行し、ゴーレムを突き飛ばす。女に男の子を預けて、また体当たり。

 アシッドブレスを極力使わずに、フェリシアは村人たちが逃げる時間を稼いでいった。


 それを横目で見ながら、ミナセがゴーレムを斬りまくる。硬質の体が、いとも簡単に斬られていく。

 悲鳴のもとへと駆け寄り、上空のフェリシアの合図に素早く反応しながら、ミナセは次々とゴーレムを屠っていった。


 体当たりを繰り返すフェリシアを、男が驚きながら見つめている。

 剣を振るうミナセを、老夫婦が呆然と見つめている。


 二十体以上いたゴーレムは、かなり数を減らしていた。パニック状態だった村人が、徐々に落ち着きを取り戻していく。

 ゴーレムの動きはもともと遅い。冷静になれば、逃げることは難しくなかった。

 村人たちは、力を合わせてケガ人をゴーレムから遠ざけて、手当を始めた。互いに声を掛け合って、燃える建物の消火も始めている。

 村に満ちていた恐怖の感情が薄らいでいた。それをミナセははっきりと感じ取っていた。

 目の前のゴーレムを斬り捨てて、ミナセが周囲を見渡す。


「今ので最後か?」


 視界の中にゴーレムはいない。

 強い魔力も近くには感じなかった。


「ふぅ、これでどうにか……」


 ミナセが力を緩め掛けた、その時。


「子供たちが!」


 大きな叫び声が聞こえた。即座にミナセが走り出す。

 建物の間を駆け抜けて、ミナセは小さな物置小屋の裏手に出た。そこにいた農夫が、真っ青な顔で正面を見ている。


 そこは草地。

 そこに、一体のゴーレムと、二人の女の子がいた。


「うわーん、うわーん」


 女の子の一人は、ぺたんと地面に座り込んだまま、大きな声で泣いている。

 その子をかばうように抱きながら、もう一人の女の子がゴーレムを睨み付けていた。

 その手には、白い王冠。


「あっちに行って!」


 少女が果敢に叫ぶ。


「来ないで!」


 少女が必死に叫ぶ。しかし、そんなことでゴーレムが止まるはずがない。

 近付いてくるゴーレムを見て、王冠を握る少女が立ち上がった。そして、泣き続ける女の子の膝に王冠をそっと載せる。

 驚いて自分を見上げる友達に、少女が言った。


「持ってて」


 そう言うと、少女はゴーレムに向かって走り出した。


 武器は当然持っていない。

 防具も当然着けていない。

 無防備な姿のまま、少女はゴーレムを突き飛ばそうと体当たりをした。


 だが、それはやはり無謀だった。

 ゴーレムは、一ミリたりとも動かなかった。


 それでも少女は諦めない。小さな両手を押し当てて、ゴーレムを押し返そうと両足を踏ん張る。

 その少女を、ゴーレムが冷たく見下ろした。


 ブォン!


 ゴーレムの右手が少女を振り払う。


 少女の体が吹き飛んだ。

 少女が草地に転がった。

 少女の左腕が、奇妙な方向に折れ曲がっていた。


「いやぁー!」


 泣いていた女の子が悲鳴を上げる。

 その声に、ゴーレムは反応しなかった。


 ゴーレムが、草地に転がる少女へと向きを変える。

 右腕だけで体を起こし、ひしゃげた左腕をだらりと垂らしながら、少女がゴーレムを睨み付ける。


 その姿を、ミナセが見つめていた。


「そんな……」


 声が震える。


「だってあの時……」


 ミナセの瞳が震える。

 ゴーレムは、明らかに少女に狙いを定めていた。その足は少女に向かって動き出している。

 それなのに、ミナセは動けなかった。


 目に映る少女の姿が、ミナセの頭を混乱させていた。

 甦る少女の記憶が、ミナセの心を混乱させていた。


 ゴーレムが少女に迫る。

 少女がゴーレムを睨む。


 ゴーレムが腕を振り上げる。

 少女が歯を食いしばる。


 その時、ふいに少女が何かを見付けた。


 ゴーレムの向こうにいる一人の女性。

 黒い瞳と黒い髪の美しい女性。


 少女の目が広がっていく。

 少女の顔が泣きそうになる。


 そして少女は叫んだ。

 右腕と、まともに動かない左腕をミナセに向かって必死に伸ばしながら、大きな声で、少女は叫んだ。


「お姉ちゃん!」


 瞬間。


 ミナセの右足が地面をえぐった。

 ミナセの左足が大地を蹴った。


「うおぉぉぉぉっ!」


 信じられない速さでミナセが翔ける。

 とてつもない速さで剣が疾る。


 それは、ヒューリの動きをも超える速さ。

 それは、人の目では捉えることのできない剣。


 至高の領域、神速の剣が、ゴーレムの体を斬り刻んだ。

 一瞬のうちに、魔石すら残らないほどに、無数の破片へとゴーレムは姿を変えていた。


 プリズムのように、破片が光をまき散らす。

 虹色の輝きがキラキラと草地に降り注ぐ。

  

 その、煌めきの中。


「お姉ちゃん!」


 少女がミナセの胸に飛び込んだ。

 震える両手で、ミナセが少女を抱き締める。


「クレア……」


 震える声で、ミナセが名を呼んだ。


「クレア!」


 涙を流しながら、何度も何度も、ミナセはその名を呼んでいた。

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