未知なる力

 炎がミナセに襲い掛かる。

 しかしミナセはそこにいない。


 氷柱が突如立ち上がる。

 しかしミナセはそれをかわす。


「おのれっ!」


 苛立つザナンを嘲るように、ミナセが攻撃を避け続ける。

 それだけではない。


「なにっ!?」


 気が付くと、ミナセが間近まで迫っていた。


「守れ!」


 ザナンが叫ぶ。周囲に強力なシールドが展開する。

 突然発生したその壁に、だがミナセは激突することもなく緩やかに止まって、また距離を取った。

 ザナンは焦っていた。


 奴の動きが捉えられない


 百年もの間、ザナンは精霊使いとしての技術を磨き続けてきた。だが、ザナンはこれまで戦いというものをほとんど経験していない。まともな戦闘は、これが初めてと言ってよかった。


 そこに現れた一人の人間。

 大陸最強の剣士、ミナセ。


 ミナセの動きについていけない。動揺で、言葉にしないとシールドを張ることができない。

 さらにザナンには、想定外の不利な条件があった。

 それは。


 貴重な研究資料を失う訳にはいかない


 本棚には、ザナンが集め、あるいは記録してきた膨大な資料があった。部屋のあちこちにも、大切な資料が散乱している。

 ザナンの力をもってすれば、ミナセが避けることのできないほど広範囲に現象を起こすことはできる。この部屋を一気に焼き払うことだってできるのだ。

 しかし、それが今はできなかった。


 ザナンが拳を握る。

 表情一つ変えないミナセを睨む。


 盆地で七人に会った時、ザナンはみんなを子供扱いしていた。小僧と小娘でしかないと馬鹿にした。

 だが、そう言い放ったのは、社員たちの心を折るための演技だ。ザナンは、エム商会を決して過小評価していない。

 マークを除く六人の社員。この六人が一斉に襲い掛かってきた場合、ザナンでも手こずるであろうことは想定していた。

 だから、この場にミナセだけがやって来た時、ザナンは密かにほくそ笑んだのだ。

 それなのに。


「守れ!」


 シールドを張る頻度が増えてきた。

 ザナンは、完全にミナセに押されていた。


 一方ミナセは。


 やはり手強い


 無表情の下で、ミナセは思っていた。

 攻撃をかわすことはできる。攻撃を仕掛けることもできる。

 しかし、ザナンの防御は堅かった。ザナンがシールドを張り遅れることは一度もなかった。

 そのシールドは、常に全方位に張られている。回り込んで攻撃することもできない。

 さらに。


 奥義は、使えないか


 ザナンの意識を読むことは、ある程度できた。だが、より深く入り込むことができない。

 ザナンの意識は、普通の人間と違った。ザナンの心は混沌としていた。

 深い闇。そこに内在する、偏った思考と感情。

 それに触れることが、ミナセには躊躇われた。

 それと一体化することは危険だと、ミナセは判断した。


 できれば、私だけで奴を倒したかったが


 風の刃を避けながら、ミナセは考える。


 やはり、作戦通りにするしかないのか


 部屋の入り口に潜む気配。それを確認して、ミナセは決断した。


 ミナセが位置を変えていく。入り口と反対側、ザナンの後ろ側へと移動していく。

 同時にミナセは、ザナンから少しずつ距離を取り始めた。


 ザナンは、シールドを常時張ったままにはしていない。それはミナセが予想していたことだった。

 ミナセは、以前フェリシアから聞いたことがあった。


 シールドを全方位に張ると、索敵魔法が使えない


 ザナンは、魔力反応で相手を捉えることが多いはずだ。ミナセの位置を、視覚と魔力反応の両方で探ろうとする。

 だから、ミナセが離れた位置にいる時はシールドを張っていない。

 ザナンがミナセに攻撃を仕掛けようとしている時、それが絶好の機会だ。


「のろまだな」

「黙れ小娘!」


 ミナセの挑発に、ザナンが怒鳴り返す。


「愚かなアンデッドよ、いい加減あの世へ旅立ったらどうだ?」

「愚かな人間め、貴様こそわしの実験材料となれ!」


 ザナンがミナセを睨み付ける。

 ザナンがミナセに集中する。

 ザナンの背中が、完全に部屋の入り口を向いた。


 それを待っていたかのように、気配が動いた。

 それが、音もなくザナンの背後から近付いてくる。


 ザナンでは捉えることのできない存在。

 索敵魔法に反応しない存在。

 それが、ザナンの後ろで腕を振り上げた。


 その時。


「守れ」


 ザナンが、突然シールドを張った。

 ミナセが目を見開く。

 ザナンの後ろで、大きな石を握ったマークが動きを止めた。


「愚かな奴だ」


 後ろを振り返って、勝ち誇ったようにザナンが言う。


「魔力がない貴様なら、わしを欺けるとでも思ったのか?」


 笑いながらマークを見る。


「精霊に命じておいたのだよ。”わしに近付く者がいたら知らせろ”とな」


 ミナセの顔から、一気に血の気が引いていった。


 以前、シンシアがマークを守った方法と同じだ。シンシアは、精霊に”お願い”することでマークを守ったのだ。

 それと同じことが、ザナンにできないはずがない。

 ザナンの用心深さ、ザナンの読みの深さを、マークもミナセも見誤っていた。


「戦闘において、貴様は無力だ。この状況で、貴様にできることなど何もない」


 見下したようにザナンが言う。


「貴様にできることと言えば、会社の経営くらいなものだろう? ああ、それと、”治療もどき”もできたのだったな」


 振り上げていた腕を下ろして、驚いたようにマークが言った。


「治療のことを、よくご存じですね」

「知っておるよ。貴様のことは、カミュ公爵に調べさせたからな。アルミナの本署の善良な衛兵を、詐欺まがいの方法で籠絡したらしいではないか」

「ふざけるな!」


 後ろからミナセが叫ぶ。

 それをちらりと見るのみで、ザナンはマークに向かって話し続けた。


「魔力もなく、医者でもない貴様が、治療と呼べることなどできるはずがない」


 ザナンがせせら笑う。


「戦闘力がないかわりに、口だけは達者なようだからな。その達者な口で、社員たちのこともたらし込んだのであろう? 美しい女を侍らせて、己の肉欲を満たしていたのであろう?」

「貴様!」


 ミナセの殺気が膨れ上がる。あまりの怒りに、ミナセの頬は痙攣していた。

 そのミナセを、目だけでマークが黙らせた。


「いろいろ訂正したいところはありますが、とりあえず、二つだけにしておきましょう」


 握っていた石を投げ捨てて、マークが言う。


「俺は、社員に一切手を出していません。それは、みんなの名誉のために断言しておきます」


 ザナンを見据えてはっきりと言った。


「それと、俺はたしかに治療は専門外です。もう一つ言っておくと、会社の経営も専門外です」


 そう言いながら、ザナンに向かって右手を伸ばす。


「貴様、何をする気だ?」


 マークの謎の行動に、わずかに首を傾げてザナンが聞いた。


「魔力もないくせに、魔法でも使おうと言うのか? それとも、得意のハッタリでもかまそうとしているのか?」


 馬鹿にしたようにザナンが言った。

 それに、マークが答えた。


「魔法でもないし、ハッタリでもないですよ」


 直後、マークの瞳が不思議な輝きを帯びていく。

 同時に、マークの体を不思議な力が満たしていった。


 マークの気が変わった。マークの周囲が、歪み始めた。

 ザナンが驚きの声を上げる。


「何だ!?」


 得体の知れない現象にザナンが目を見張った。

 ザナンの後ろで、ミナセも同じように目を見張っている。

 魔力でもない。霊力でもない。

 マークから溢れ出る未知なる力。それをミナセははっきりと感じ取っていた。


 気が付くと、室内の温度が上がっていた。その熱源は、間違いなくマークだった。

 ザナンが、怯えたように一歩下がる。下がりながら、ザナンが叫んだ。


「守れ!」


 シールドの強度が最大にまで跳ね上がった。

 本能的に感じる恐怖が、ザナンの体を震わせる。

 ミナセの存在など、ザナンの意識から消えていた。ザナンは、目の前のマークに全神経を集中させていた。

 

 最大級の警戒態勢を取るザナンを、マークの視線が鋭く射貫く。


「最後に一つ、あなたにお伝えしておきたいことがあります」

「さ、最後だと?」


 ザナンの肩がビクンと跳ねた。


「信じてもらえないかもしれませんが」


 右の手のひらをザナンに向けて、静かな声で、マークが言った。


「俺の専門はね、戦闘なんですよ」


 瞬間。


 ズドーン!


 マークの右手から強烈な衝撃波が放たれた。

 それが、ザナンのシールドを何の苦もなく突き抜けて、ミナセの真横を駆け抜ける。

 ミナセの後ろの壁が砕け散った。


「ぐはっ!」


 ザナンがよろめいた。

 どうにか踏ん張り、そして、衝撃を受けた己の腹を見る。


「今のは……何だ?」


 ザナンが目を見開いた。


「魔法じゃあない。今のはいったい……」


 言いながら、ザナンがマークを見た。


「まったく」


 その醜い顔が、笑う。


「この世界には、知りたいことが、多過ぎる……」


 風穴の開いた、ザナンの腹。そこから体が崩れていく。

 崩れ落ちるザナンをミナセが呆然と見つめる。

 ゆっくり息を整えながら、マークが言った。


「永遠の命なんて、求めてはいけないんです。人は、自然に死ぬべきなんですよ」


 目を見開くミナセの前で、ザナンが灰になった。

 灰になったザナンに向かって、マークが静かに手を合わせていた。

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