精霊使いと最強剣士

 黙祷を終えたマークが、太刀をミナセに返す。


「この刀にも、ミナセにも、嫌な思いをさせてしまったな」

「いいえ!」


 強くかぶりを振って、ミナセは太刀を受け取った。


「社長、すみません。本当にすみません」


 溢れる涙をミナセが乱暴に拭う。

 そのミナセの肩に手を置いて、険しい顔でマークが言った。


「泣くのは後だ。ザナンではないと思うが、奥から何か来るぞ」

「!」


 その言葉で、ミナセは急速に戦闘モードに入った。

 洞窟の奥に向かって視線と感覚を凝らす。その両方が、不気味な敵を捉えた。


「貴様ら、何ということを!」


 金切り声がこだました。


「我が師の研究成果を、貴様等ごときが潰してしまってよいと思っているのか!」


 薄暗い洞窟の奥からそれは現れた。

 ミイラのような顔に、骨と皮だけしかない腕。しかし、小部屋にいたアンデッドたちとは明らかに別物。

 人としての意志を持ち、自由に動くことのできるアンデッド。

 それは、リッチだった。


 真新しいローブを纏い、妖しげな魔力を放つ杖を握り締めて、リッチが言った。


「黒髪に黒い瞳……貴様等、エム商会の者か!」

「俺たちを知っているんですか?」


 ヒステリックな声を上げるリッチに、落ち着いた声でマークが聞いた。


「師の計画を邪魔する痴れ者であろう? 貴様等など、師がその気になれば一握りなのだ。調子に乗るでないぞ!」


 威嚇するようにリッチが叫ぶ。


「あなたは、ザナンの弟子なのですか?」

「師を呼び捨てにするな! ザナン様と呼べ!」


 何を聞いても、甲高い声で怒鳴るように返してくる。リッチは興奮状態にあるようだった。

 そのリッチが、聞いてもいないことを話し出す。


「俺は、師であるザナン様にずっとお仕えしてきた。だから、俺は資格を得ることができたのだ」

「資格?」


 首を傾げるマークに、リッチが答えた。


「永遠の命。それを俺は、我が師によって与えられたのだ!」


 両手を天井に向け、高ぶる感情のまま、リッチは歓喜の声を上げた。


「俺は、そこで灰になっている半端者とは違う。俺は試練を乗り越えた。俺は、完全なるリッチとなったのだ!」


 マークが眉をひそめる。

 ついにザナンは、人をリッチに変える方法を確立したというのだろうか。


「人間たちよ、俺の前に跪け。俺は、お前たちのような下等な存在とは違うのだ!」


 ザナンも人としては常軌を逸していたが、それでも、その言動には知性を感じた。

 だが、このリッチにはそれを感じない。

 黙ったまま自分を見つめる二人に、リッチが杖を向ける。


「跪かぬと言うのだな、愚か者め」


 醜い顔が、にやりと笑った。


「ならば、死ね」

「社長!」


 ミナセがマークの腕を強く引いた。

 マークが元いた場所を、魔力の塊が駆け抜ける。二人の後ろの壁が、音を立てて砕け散った。


「素晴らしい!」


 リッチが叫ぶ。


「イメージするだけで、ロックブラストが発動できたぞ! 師よ、あなたが作った杖は本当に素晴らしい!」


 ロックブラストは、地の魔法の第三階梯だ。それを無詠唱で発動できたのがあの杖の力だとするなら、それは秘宝級のアイテムということになる。

 ザナンは、秘宝さえも作り出すことができるというのだろうか。


「さあ、次はどんな魔法がいい? ファイヤーボールか? それともアイスボルトか?」


 楽しそうにリッチが笑った。

 その声を聞きながら、ミナセが小さく言う。


「社長。あのリッチから、何か聞き出したいことはありますか?」


 マークが、きっぱりと答えた。


「ないな」

「分かりました」


 直後。


 スパッ!


 リッチの上半身が、傾いた。


「あれ?」


 不思議そうにリッチが声を上げる。

 支えようとしても、足が動いてくれない。頭が勝手に下を向いていく。


「何で?」


 どさっと音を立てて、リッチが地面に落ちた。時間をおいて、半身が反対側に倒れていく。


「俺は、永遠の命を……」


 つぶやくリッチの体が崩れ始めた。

 痛みにもがくこともない。血が流れることもない。


 人ではない者は、遺体すら残すことなく、地面に積もるただの灰となってしまった。


「行こう」


 マークが歩き出す。


「やはり、奴は倒さなければならない」


 大きく頷き、表情を引き締めてミナセも歩き出した。



 二人は、奥へと続く暗い洞窟を進む。

 すると、いくらも進まないうちにミナセが言った。


「この先に、います」


 マークが確認する。


「奴か?」

「奴です」


 ミナセが即答した。


「どうしますか?」


 聞かれてマークは考えた。

 ミナセが捉えているということは、すでに向こうもこちらの存在を捉えている可能性が高い。

 だが、捉えているのはおそらくミナセだけだ。魔力のないマークを、ザナンが五感以外で捉えることはできない。


「ミナセはこのまま進んでくれ。奴の注意を引き付けて、奴が背中を向けるように動いてほしい」

「分かりました」


 ミナセの覚悟はすでに決まっている。

 マークの指示通り、ミナセは一人、前に進んでいった。


 感覚を研ぎ澄ませて、ミナセは進む。やがてミナセは、広い空間に辿り着いた。

 光度を最大にした魔石のランプがあちこちに設置されていて、中はとても明るい。

 壁際には、隙間なく本で埋め尽くされた本棚がいくつも並んでいた。

 不規則に置かれた複数のベッドと、乱雑に置かれたいくつかのイス。

 中央には、手術台を思わせる大きなベッドがあり、よく分からない器具が載った移動式のワゴンがその周りを囲んでいた。


 その向こう。

 書斎にあるような重厚な机に向かって、一心不乱に何かを書き綴っている者がいた。


 フードは被っていない。

 仮面も着けていない。


「ザナン……」


 ミナセが小さくつぶやいた。

 その声が届いたのだろうか。ザナンが、顔も上げずに言った。


「貴様に用はない。紫の髪の女を連れてこい」


 ミナセのことなどまるで相手にしていない。


「フェリシアは、魔力を使い切って眠っている。しばらくここに来ることはできない」


 ミナセの答えに、だがザナンは不満を言うことはなかった。


「そうか。ならば、回復したら来るように伝えろ。わしは今、最終実験の結果をまとめるのに忙しいからな。急がなくてもよいぞ」

「最終実験?」


 ミナセが首を傾げるが、ザナンは反応しない。


「最終実験とは何だ?」


 大きな声でミナセが聞いた。

 すると、ようやくザナンが顔を上げる。


「ここに来る時に会っただろう? 記念すべき最初の成功事例だ」


 胸をそらして得意げに言った。


「強い魔力を持つでもなく、ましてや精霊使いでもない。どこにでもいる普通の人間に永遠の命を与える。わしは、それにとうとう成功したのだ」


 おぞましい顔が笑う。


「これまでの実験体と違って、意識も記憶も保っておった。ちゃんと会話もできた。あれこそが、まさにわしが求めていた結果なのだよ」


 あの男は、たしかに意識を保っていた。記憶もある程度は保っていたのだろう。

 しかしその心は、ザナン同様まともな状態ではなかった。


「今回の手順を踏めば、ほとんどの人間に永遠の命を与えることができるはずだ。何と素晴らしいことではないか!」


 ミナセの顔が歪む。


「奴の魔力反応が、先ほど消えた。貴様が奴を殺したのだろう? だが、それは気にしなくてよいぞ。これからは、いくらでも奴のような人間を作れるのだからな」


 ミナセが剣を握った。


「おっと、少し喋り過ぎたわ。さすがのわしも、実験の成功に興奮していたとみえる」


 ミナセが、一歩前に出た。


「わしは記録をせねばならぬ。貴様はとっとと戻れ。そして、紫の髪の女を連れてこい」

「気狂いめ!」


 ミナセが動いた。


「愚か者め」


 ザナンがつぶやいた。

 瞬間。


 ゴーッ!


 猛烈な炎がミナセを包み込む。


「わしは精霊使いなのだよ。離れたところに炎を発現させることなど造作もない。貴様ごとき、わしに指一本たりとも……」


 勝ち誇った声が、止まる。


「……なぜだ?」


 ザナンが、不機嫌に尋ねた。


 詠唱も予兆もなく、突然発生した炎に対応できる者などいるはずがなかった。

 ゆえに、全身を炎に焼かれ、もがき苦しんでいるはずだった。

 それなのに。


「私は、社長に指名されてここに来たんだ」


 涼やかな声が言った。


「お前を倒すまで、戻る訳にはいかないのさ」


 不敵に笑いながら、ミナセが言った。


 詠唱も予兆もなく、離れたところに突然現象を発生させる。

 そんなとんでもないことができる人間を、ミナセは二人知っている。


 一人はシンシア。

 ザナンと同じ精霊使い。


 もう一人は、サイラス。

 風を操る男。


 武術大会の決勝で、ミナセはサイラスの風を見切っていた。

 風を起こす時、そこに魔力が集中する。空気が動く前に、魔力が動く。

 それをミナセは捉えることができた。

 ゆえに。


「お前の攻撃は、私に通用しないよ」

「何だと!」


 ザナンが立ち上がった。

 ミナセがにやりと笑った。


 百年を生きる精霊使いと、大陸最強の剣士との戦いが始まった。

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