研究施設

 崩れた谷間から流れ出た水が、行き場を失って池のように溜まっている。本来その水は、川となって盆地を流れていくはずだったのだろう。

 人の限界を超えた極大魔法は、盆地の地形を大きく変えてしまっていた。


「この先だろうな」

「そうですね」


 頷き合って、二人は谷間へと足を踏み入れる。南の川の上流、すなわち、この谷間の奥にザナンの研究施設があるはずだった。


 水に足を濡らしながら、二人は上流を目指す。大小様々な岩が二人の行く手を阻んでいく。

 それでもしばらく進むと、破壊を免れた本来の川の姿が見られるようになってきた。

 川べりを歩きながら、ミナセが、前を行くマークに聞く。


「ところで社長、武器は持たなくていいんですか?」


 マークが答える。


「何も持っていない方が、奴を油断させられるだろう?」

「そう、ですね」


 ミナセが、曖昧に頷いた。

 隙を突いてマークが接近し、ザナンを仕留める。その作戦には納得している。しかし、マークが武器を持たないことに、ミナセは疑問を持たざるを得なかった。

 それでも反論しないのは、ミナセがマークを信用しているからだ。

 それに加えて、もう一つ。


 五万のキルグ軍を退けたトロス砦の戦い。

 そこで見た驚きの光景。


 マークは、片手一本で敵将を持ち上げていた。

 敵将を掲げながら、とてつもない殺気を放っていた。


 マークが戦う場面を、ミナセは見たことがない。

 マークが戦う姿を、ミナセは想像することができない。


 だけど……


 マークの背中を見ながらミナセが考えていた、その時。


「二人で仕事をするのは久し振りだな」


 ふいにマークが言った。


「まあ、これが仕事なのかと聞かれたら、ちょっと微妙だけど」


 苦笑いのマークに、表情を緩めてミナセが答える。


「リリアに言われていませんでしたっけ? ”ちゃんと代金は貰って下さいね”って。私たちは、ちゃんと仕事の最中だと思います」

「そう言えば、そうだった」


 マークが、また苦笑した。


「リリアがいなかったら、うちの会社は破綻しているな」


 最初は事務仕事を苦手としていたリリアだが、いつの間にか、エム商会の経理を仕切るまでになっている。


「リリアは変わりました。でも、変わったのはリリアだけじゃありません」


 ミナセが微笑む。


「ヒューリもシンシアも、フェリシアもミアも、みんな変わりました。社長と出会い、社長に導かれて、みんな大きく成長しました」

「俺は何もしていないよ。みんなが頑張っただけさ」


 それは違います


 ミナセは思う。


 社長だから、みんな変われたんです


 ミナセは強く、そう思う。


 前を行く背中。

 ずっと見てきた広い背中。


 私も、この人に導かれてきた


 ミナセが目を閉じる。


 私は、ずっとこの背中を追い掛けてきた


 ミナセが、目を開く。


 私は社長を……


 言おうとして、ずっと言えなかった言葉。

 いつかは伝えたいと思い、だけどずっと伝えられなかった言葉。

 それが胸を熱くしていく。

 顔が火照っていく。


 今なら誰にも邪魔されることはない。

 今しか言えないかもしれない。


「社長」


 ミナセが呼んだ。


「なんだ?」


 マークが、軽く振り向いた。


「あの……」

「ん?」


 マークが振り返る。

 足を止めて、ミナセを正面から見つめる。


 ミナセがうつむいた。

 心臓がうるさい。顔が熱い。


「私は……」


 ミナセが顔を上げた。

 自分と同じ黒い瞳を真っ直ぐ見つめる。


「私は、社長を……」


 秘めた思いが膨らんでいく。


「社長のことを……」


 ミナセの心が動いた。

 ミナセの想いが溢れていった。

 それが言葉となって、マークに……。


「社長と出会えて、よかったと思っています」


 はぁ


 ミナセがため息をついた。


 何をやってるんだ、私は


 自分で自分に呆れる。


 今はそんなことをしてる場合じゃないだろう


 自分で自分の頬をパンパンと叩く。

 すると。


「ミナセ」


 マークが言った。


「ほんとにお前は変わらないな」


 ミナセの頭をポンと叩く。

 目を丸くするミナセの前で、マークが笑った。


「まあ、そういうところが、俺は好きなんだけどな」

「!」


 ミナセの呼吸が止まった。

 途端。


「ミナセ!」

「はいっ!」


 突然の大声に、ミナセがびっくりして答える。


「この戦いは絶対に勝つ。俺たちは、勝ってみんなの所に戻る。みんなと一緒にアルミナの町に帰るんだ」

「はいっ!」


 強い宣言に、ミナセが答える。


「そして」


 マークの声が、和らいだ。


「アルミナに戻ったら、また手料理を食べさせてくれ」


 黒い瞳が見つめ合う。

 視線が交錯する。


 ミナセが言った。


「分かりました。帰ったら、社長の好きな、手作りハンバーグを作って差し上げます」


 マークが驚く。


「よく俺の好きなものを知ってるな」


 ミナセが、にこりと笑った。


「当然です。私も、社長のことが大好きですから」


 マークが目を見開いた。

 マークが、微笑んだ。


「ミナセのハンバーグ、楽しみにしているよ」


 二人が笑う。

 互いを見ながら、二人は笑った。


「さあ行こう。敵の本拠地は目の前だ」

「はいっ!」


 覚悟は決まった。


 この戦いが終わって、アルミナの町に帰ったら、私は……


 背を向けて歩き出すマークの背中に、ミナセは誓いを立てていた。



「あれだな」


 マークが立ち止まって言った。

 木立の向こうに建物が見える。崖下に立つそれは、思ったよりも小さかった。小綺麗な作りではあるが、大きさだけなら庶民が暮らす家と大差ない。


「気配や視線は感じるか?」

「いいえ、感じません」


 ミナセが首を横に振るのを見て、マークが出た。ミナセも黙ってついていく。

 足音を立てずに玄関扉へとやってくると、マークが再び聞いた。


「気配は?」


 ミナセが、扉の内側に集中する。


「ありません」

「じゃあ行こう」


 躊躇うことなく、扉を開けてマークは中へと入っていった。


 玄関の内側は、ちょっとした広間になっていた。いすが二つと小さなテーブルがあるだけで、花も絵画もない殺風景な部屋だ。左右と、そして正面にそれぞれ扉がある。

 ミナセに確認しながら、マークが扉を開けていく。

 左の部屋は書斎だった。ただ、机の上にも本棚にも、書籍の類は一つもない。

 右の部屋は、応接間だった。しかし、ソファーもテーブルも汚れていて、使われている形跡はない。

 残る正面の扉を、マークが開けた。

 すると。


「これは驚きだな」


 扉の向こうは洞窟だった。どうやら、家は洞窟の入り口に建っていたらしい。

 奥へと真っ直ぐに続く穴には、一定の間隔で魔石のランプが掛けてある。だが、目を凝らしても先に何があるかは分からなかった。


「何か感じたら教えてくれ」

「はい」


 マークが歩き出す。ここでもマークは、ミナセの前を歩く。

 大きく深呼吸をして、ミナセもそれに続いた。


 壁や天井は自然のままだったが、足元は平らで歩きやすい。精霊使いの力でザナンが平らにしたのだろうか。

 しばらく進むと、洞窟の幅が広くなってきた。

 突然。


「何かいます!」


 ミナセが鋭く言った。

 マークがペースを落とす。ミナセが前に出る。

 さらに進んだところで、ミナセが壁際に身を寄せた。そして、先にあるやや広い空間を岩影から覗く。


 その目が大きく広がった。


 壁面に作られた、鉄格子で仕切られているいくつかの小部屋。その中で蠢く、人のようなもの。

 動かなくなったミナセの後ろから、マークも様子を窺う。ミナセと同じく目を見開き、そしてマークは、険しい表情で歩き出した。

 慌ててついてきたミナセとマークが、小部屋の前に立つ。


「実験の犠牲者だな」


 マークがつぶやくが、ミナセは頷くこともできなかった。

 各部屋に数人ずつ、あの夫婦と同じような、しかしあの夫婦よりも人の形を保っているアンデッドがいた。

 あの夫婦は、すぐそばまでマークが近付いても反応らしいものがなかったが、ここにいるアンデッドは、マークたちを見るといくつかの反応を示した。


 あるアンデッドは、二人をじっと見ていた。

 あるアンデッドは、唸るように声を上げていた。

 あるアンデッドは、二人に向かって手を差し出していた。

 

 その中の一体。それは、おそらく女性。

 そのアンデッドが、ゆらゆらと二人に近付いてきて、鉄格子を握り締める。

 そして、二人に向かって何かを言い始めた。


 ミイラのようなおぞましい姿で、女は何かを訴える。

 鉄格子を掴み、潰れた喉から言葉を押し出そうと必死になる。

 近寄り難いその姿に、だがマークは、躊躇うことなく近付いていった。そして、骨と皮しかないその手を握る。


「社長!」


 驚くミナセを振り向くことなく、マークが言った。


「何か、言いたいことがあるんですね」


 とても優しい声で問い掛ける。

 女が、マークをじっと見た。まぶたを失い、剥き出しになってしまった眼球が、震えながらマークを見ていた。


「俺にできることなら何でもします。どうぞ、遠慮なくおっしゃってください」


 その言葉に、女が応えた。

 女が声を絞り出す。

 しかし、掠れた声は、言葉にならない。


「もう一度、ゆっくりおっしゃってください」


 女の口元に、マークが耳を寄せた。


 女は訴えた。一言一言を、顔を歪めながら、必死になって訴えた。

 マークが聞いた。一言一言を女に確かめながら、間違えないようにそれを聞いた。


 やがて、マークが頷いた。


「分かりました」


 マークが、鉄格子の中に手を差し入れて、女の頭を柔らかく抱いた。

 女が笑った。ミイラのような顔が、穏やかに、嬉しそうに笑っていた。


 そして女は、冷たい岩の床に正座をする。

 マークを見上げ、両手を組み、ゆっくりと頭を垂れる。


 その姿を見て、ミナセも理解した。


「ミナセ。すまないが、刀を貸してくれ」

「はい……」


 うつむき、躊躇い、それでもミナセは、結局太刀をマークに渡した。

 鞘ごと受け取り、それをすらりと抜き、鞘だけをミナセに返しながら、マークが言った。


「これは、俺がやるべきことだ」


 そんなことはない


 ミナセは思った。


 社長だけに重荷を背負わせるなんて……


 ミナセはそう思った。

 だが、ミナセにそれをさせることを、マークは望まない。マークはそれを、決して望まない。

 だがら、ミナセは黙って太刀を渡した。


 ミナセの前で、マークが刀を横に構える。

 そして。


 シュッ!


 太刀が、鉄格子を斬った。

 太刀が、鉄格子もろとも女を斬った。


 女の体が崩れていく。

 女の唇が言葉を紡ぐ。


 ありがとう……


 やがて女は灰になった。

 解放された魂が、淡い光となって、天に昇っていった。


 すると、ほかのアンデッドたちがゴソゴソと動き出した。

 そしてアンデッドたちは、みな同じ姿で動かなくなった。


 ミナセは泣いた。

 悲しくて、切なくて、ミナセは泣き続けた。

 その目の前で、マークが、太刀を振るった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る