信じる強さ

「素晴らしい、素晴らしいぞ!」


 宙に浮かぶ仮面が歓喜の声を上げる。


「たった一度の発動で、小国一つを滅ぼすほどの威力。こんな魔法は見たことがない!」


 興奮で体が震える。


「人の限界を超える魔法、幻の第六階梯。わしはこの目でそれを見たのだ!」


 両手を広げ、天を仰いでザナンが叫んだ。


「ダナンよ、我ら兄弟は正しかった。我らと彼女は正しかったのだ。こんなに嬉しいことはない!」


 窪んだその目から涙が流れることはない。

 それでもザナンは、まるでむせび泣くように肩を震わせた。


「紫の髪の女から詳しい話を聞かねばならぬ。そして今度は、わしと彼女で第六階梯を発動させるのだ」


 高揚する感情が、意識と記憶を混濁させる。


「わしは、また彼女と研究を続けるのだ!」


 異常な興奮状態のまま、ザナンは己の研究施設に向かって飛び去って行った。



 周りを見ても、残っている物は何もない。強烈な魔力の波動が、建物も大地も粉々に砕いていた。

 それなのに、七人の足元の床板だけはきれいに残っている。フェリシアの魔力制御は見事というほかなかった。

 床に並んで眠る三人に、リリアが毛布を掛けている。

 それを見ながら、ヒューリがつぶやいた。


「当分起きないよな」


 以前、フェリシアやミアが魔力を使い切って倒れた時も、たっぷり半日は眠っていた。二人も、そしてシンシアも、おそらくそれくらいは眠り続けるだろう。


「社長、どうします?」


 ヒューリに聞かれて、だがマークは遠くを見たまま動かない。

 何も言わないその背中を、ヒューリと一緒にミナセが見つめた。


 盆地内の地形は完全に変わってしまっている。ミナセには分からないが、霊力の流れも変わっているに違いない。

 エルドア最大の魔物の生成場所は、再建不可能なほどに破壊されたと言っていいだろう。

 だが、エルドア北西にはまだ生成場所が残っている。そして何より、ザナンがいる限り、脅威は決して無くなることはない。

 しかし。


 ザナンを倒す方法が、見付けられない


 ミナセが唇を噛んだ。

 ザナンに索敵魔法は通用しない。逆に、向こうはこちらの魔力を察知できる。フェリシアの隠密魔法をもってしても、奴を欺くことはおそらくできない。

 不意打ちは不可能。食事も睡眠も必要としないザナンに対して、持久戦も意味がない。

 真正面からぶつかれば、強力なシールドで物理攻撃は防がれ、精霊使いの力で魔法もすべて無効化される。

 シンシアの”お願い”も、ザナンの”命令”を上回ることはできない。


 まさに打つ手がなかった。


 ミナセがマークを見る。じっと動かないマークの背中を、縋るようにミナセは見つめた。

 その時。


「リリア、ヒューリ。悪いが、ここで三人を見ていてくれ」


 ふいにマークが言った。


「は、はい」


 驚きながら、リリアが答える。


「あの、社長は……」


 ヒューリの声に、マークが振り向いた。


「俺は、研究施設とやらに行ってくる。ミナセ、一緒に来てくれ」


 ヒューリも、突然指名されたミナセもとっさに返事ができなかった。


「ザナンは強敵だ。真正面から攻めたのでは勝てる見込みはない」


 ミナセが頷く。それは、ミナセの分析と同じだ。


「だから」


 マークが、力強く言った。


「魔力ゼロの俺が奇襲を仕掛ける。ミナセはそれを支援してくれ」

「社長!」

「無茶です!」


 リリアとヒューリが同時に声を上げた。

 ミナセは、目を見開くのみで声もない。

 マークが続ける。


「奴を野放しにしておけば、いずれまた多くの人が不幸になる。奴の居場所が分かっている今が好機だ。奴を倒すのなら、今をおいてほかにない」


 マークの説明に、だが頷く者はいない。


「奴は、俺を小僧以下の存在と言っていた。奴にとって、俺など眼中にないはずだ。だからこそ、俺が不意を突ける可能性は高い」


 たしかにザナンは、マークのことなど気にも留めていないに違いない。


「気配を消すことは、ザナンにもできないだろう。索敵魔法は通用しなくても、ミナセなら奴を捉えることができる。さらに言えば、ミナセの奥義が使える可能性もある」

「だったら私だけで」

「だめだ」


 マークが即座に言った。


「ミナセでは、奴の不意を突けない。奥義が使える保証もない。最後の一手が不明確なまま勝負に出るのは、無謀でしかない」


 きっぱり言われて、ミナセがうつむく。


「じゃあ、せめて全員揃ってから……」

「それもだめだ」


 リリアの弱々しい提案も、マークは却下した。


「研究施設の中は、そう広くはないだろう。そこに七人も行っては、自由が利かなくなる可能性が高い。奴の攻撃魔法をかわすことも難しくなるし、施設内が複雑な構造だった場合、誰かがはぐれてしまうことだってある」


 リリアと、そしてヒューリをマークが見る。


「それに、俺とミナセだけの方が、ザナンは油断するだろう。奴の探求心を利用して、質問に答えるフリをしながら奴に接近することもできるに違いない」


 マークの言葉には、ある程度の説得力があった。しかし、リリアもヒューリも、そしてミナセも明らかに納得していない。

 不満というよりも、心配で仕方がないという顔だ。


 三人が黙った。

 三人が、迷った。


 ふと。


「とまあ、いくら言ったところで、みんなが心配するのはどうしようもないだろうな」


 マークが笑った。


「大丈夫だ。いざとなったらさっさと逃げてくるさ。俺の足の速さは、ヒューリも知ってるだろう?」

「まあ、はい」


 ヒューリが小さく答える。


「俺だって、死にに行くつもりはない。ちゃんと帰ってくるよ」


 明るくマークが言う。

 すると。


「社長のおっしゃる通りだ。勝てないとなったら、迷わず逃げるようにする。だから、ここは社長と私に任せてくれ」


 ミナセが言った。

 その顔には、微笑みが浮かんでいる。


 リリアがミナセを見る。

 ヒューリがミナセを見る。

 マークが、ちょっと驚いたようにミナセを見た。


 やがて。


「アルミナに帰ったら、打ち上げをしましょう」


 笑いながら、リリアが言った。


「そうだな。その時は、私も何か作ってやるとしよう」


 胸を反らしながら、ヒューリが言った。


「塩辛いハンバーグだけは遠慮しとくぞ」

「心配すんなって!」


 ミナセの声に、ヒューリが答えた。


「じゃあ行ってくる」


 マークが歩き出す。


「三人を頼む」


 ミナセも歩き出す。


「行ってらっしゃい」

「早く戻って来いよ」


 リリアとヒューリが手を振った。

 砂の大地を二人は歩く。南の川の、その上流にあるという研究施設に向かって歩いていく。

 小さくなっていくその姿を見ながら、ヒューリがポツリとつぶやいた。


「リリアもミナセも、強いな」


 前を向いたままで、リリアが答えた。


「以前、ミナセさんがお父様の敵と戦うって決めた時、社長が言ってたじゃないですか。”俺は、ミナセさんの全てを信じます”って」


 ヒューリが目を見開く。


「社長は、いつだって私たちのことを考えてくれていました。その社長が決めたんです。だから、私は社長を信じます。ミナセさんも、きっと同じ気持ちなんだと思います」


 風が吹く。

 砂が舞い上がる。

 リリアが、二人の背中を見つめて凛と立つ。


「私は、二人の境地にはなれないよ」


 そう言って、ヒューリは大きくため息をついた。


「だけど、まあしょうがない。社長が行くって決めたんだからな。諦めて、私も待つことにするさ」


 眠る三人の隣にどかっと腰を落とし、天を仰いで、ヒューリは目を閉じた。

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