アルマゲドン
「ミア、もう少し魔力を引き上げて」
「はい!」
ミアが返事をした。途端に魔力が跳ね上がる。
「まだ行けるわよね? 私が合図したら、もう一段階引き上げて」
「分かりました」
現時点でも、それはとんでもない魔力量だった。それでもまだ足りないと言うフェリシアに、ミアは平然と頷いている。
二人の実力を知っているはずのリリアでさえ目を丸くしていた。
その途方もない魔力に驚いているのは、リリアだけではなかった。
「余計なことは気にするな、集中しろ」
「……分かった」
シンシアが頷く。
すぐ目の前で発生している強大な魔力。それをシンシアが感じないはずがない。圧力さえ感じるその魔力を、しかしミナセは気にするなと言う。
フェリシアとミアは発動に向けて着実に進んでいるが、シンシアは、集中することそのものに苦戦していた。
だが、集中できていないのは、じつはミナセも同じだった。
自分の後ろにいるマークの気配が、少し前から徐々に強くなっていた。
それは魔力ではない。おそらく霊力でもない。
何か分からない未知の力がマークの体に満ちていくのを感じる。加えて、室内の温度が上がっているような気がした。
ここは隙間だらけの廃屋。遠慮なく風が通り抜けるそんな場所で、温度が上がるはずがない。
いったい何が……
余計なことは考えるなとシンシアに言っておきながら、ミナセは、背後の気配が気になって仕方がなかった。
すると。
「やっぱり、ミナセには分かっちゃうよな」
マークの声がした。
ミナセが驚いて振り向く。
「すまなかった。もう大丈夫だから、発動に集中してくれ」
穏やかにマークが笑う。
いつものマークがそこにいた。不思議な力は、もう感じない。
「分かりました」
何かが分かった訳ではなかった。
それでも、ミナセはすぐに気持ちを切り替える。
「シンシア、一度深呼吸をしよう。仕切り直しだ」
落ち着いた声でミナセが語り掛ける。
シンシアが、大きく深呼吸をした。
「フェリシアの顔をじっと見て」
シンシアがフェリシアを見上げる。
「私に体を預けていい。体の力を抜いて、視覚だけに集中するんだ」
ミナセに導かれながら、シンシアの意識は、少しずつフェリシアへと集中していった。
「次は大物かよ!」
周囲を探っていたヒューリが、大きな魔力の接近を捉える。
すでにヒューリは、小さな群をいくつも全滅させていた。廃屋に近付く魔物を瞬殺し、素早く物陰に身を隠すことを繰り返している。
だが、それもそろそろ限界のようだ。
魔物の気配が増えていた。
大型種の接近も捉えていた。
「ちょっとやばくなってきたな」
つぶやきながら、岩影からチラリと気配のする方向を見る。
その目が、大きく広がった。
「地竜……」
さすがのヒューリも、ドラゴン系に対しては分が悪い。
廃屋を見れば、窓の奥で、リリアが四人を見て、ヒューリを見てを繰り返している。発動の準備はまだ整っていないようだ。
今の状況での最善手。それは……。
ヒューリが目を閉じる。そして、小さく言った。
「まあ、いい人生だったよな」
ヒューリが笑った。
ヒューリが双剣を握り締めた。
ヒューリが、地面を蹴って飛び出した。
「お目当ての人間はここだ!」
ヒューリは走る。地竜に真正面から突っ込み、突然直角に曲がって、逃げるように走る。
「のろまな魔物ども、ついて来い!」
何十、いや、何百という魔物が反応した。ヒューリ目がけて魔物の大群が一斉に動き出す。
それを見て、リリアが悲鳴を上げた。
「ヒューリさん!」
叫んだリリアが、泣きそうな目で振り返る。
切羽詰まったリリアの声に、二つの声が反応した。
「もう少しよ!」
「もう少しだ!」
フェリシアとミナセが鋭く言った。
ミアが一瞬目を開けた。しかし、すぐにまた集中を始める。
シンシアが、一瞬揺らいだ。その体を、ミナセがふわりと抱き締める。
「大丈夫、ヒューリを信じろ」
シンシアが唇を噛んだ。
そして。
「信じる!」
目を大きく開いて、再び集中を始めた。
ミナセに抱かれながら、シンシアはヒューリを思う。
思いを振り払ってフェリシアを見つめ続ける。
フェリシアの隣ではミアが集中している。自分の役割を果たそうと必死になっている。
フェリシアやミアと同じように、シンシアも、過去のどんな場面より集中していた。
フェリシアの顔を睨み付け、すべての意識をそこに集めていく。
それでも、何かが足りなかった。
フェリシアの顔は、どれほど見つめてもフェリシアのままだ。自分とフェリシアの境界は消えてくれない。
シンシアの集中力にも限界があった。シンシアの心が、少しずつ萎えていった。
……と。
左手が、そっと包まれた。その温もりを、シンシアはよく知っていた。
見なくたって分かる。それは、リリアのもの。大好きなリリアの温もり。
「ごめんね。私には、これくらいしかできない」
シンシアが横を向く。
リリアの顔を間近で見つめる。
「それで、十分」
微笑みながら、シンシアが言った。
ふと、反対側に暖かな気配を感じた。その気配を、シンシアはよく知っていた。
見なくたって分かる。それは、マークのもの。心から安心できる、マークの気配。
ポン
大きな手のひらがシンシアの頭を撫でる。
「俺が隣にいる。だからシンシア、頑張れ」
シンシアが首をすくめた。
少しうつむき、そして、マークに見えないように、そっと微笑んだ。
シンシアの体から力が抜けていく。
シンシアが、ゆっくりと顔を上げる。
それを待っていたかのように、フェリシアが小さく呪文を唱え始めた。
不思議な呪文。不思議なリズム。
シンシアの目が、美しい顔を見つめる。
シンシアの目が、動き続ける唇を見つめる。
シンシアの意識が広がっていった。
その境界が、徐々に曖昧になっていく。
真っ白な世界。
暖かな世界。
シンシアは思う。
私は、この世界が好き
シンシアは思う。
私は、みんなのことが好き
シンシアは願う。
私は、みんなと一緒にいたい
シンシアは願う。
私は、みんなと一緒に笑っていたい
シンシアが願った。
力を貸して
シンシアが、強く願った。
みんなに力を貸して
シンシアが言った。
「お願い」
シンシアが、大きな声で言った。
「お願い、みんなに力を貸して!」
直後。
「ミア!」
「はい!」
途方もない魔力が爆発するように発生した。
「リリア!」
「はい!」
マークの声で、リリアが窓辺に走る。
そして叫んだ。
「ヒューリさん!」
同時に、フェリシアが最後のステップを駆け上がる。
「我は願う、我のすべてを奉じて願う」
空気が震え始めた。
「忌まわしき罪人溢れるこの大地に、偉大なる鉄槌を下し給え」
大地が震え始めた。
「全知全能の神よ、穢れたこの世を完全なる無へと還し給え!」
キーン!
鋭く甲高い音がした。
魔力が圧縮され、それが超高速で震え出す。
その時。
バリバリッ!
腐った壁を突き破って、何かが転がり込んできた。
リリアがそれを抱きとめる。
フェリシアが微笑み、そして、全身全霊、天に向かって叫んだ。
「アルマゲドン!」
次の瞬間、解放された魔力が、衝撃波となって周囲を飲み込んでいった。
廃屋が砕け散る。
魔物たちが塵のように消し飛んでいく。
ザナンの作った奇妙な山が、跡形もなく吹き飛んだ。
強烈な魔力の振動が、大地を砕きながら広がっていく。
周囲にある物すべてを砂へと変えながら、波が広がり続ける。
その波が、盆地の端に到達した。破壊の波が、盆地を囲む山肌に激突する。
山が砕けた。岩が震えながら崩れていった。
やがて波は、太古の昔に隆起した強固な岩盤にぶち当たる。
そこでようやく波が止まった。そこでようやく、破壊の波が消滅した。
「……」
何もなくなった大地を、七人が黙って見つめる。
盆地の内側は、すべてが砂と化していた。振動によって何もかもが細かく砕かれ、それが風に吹かれて舞っている。
人の限界を超えた超絶魔法。
幻の第六階梯、アルマゲドン。
ヒューリの故郷、クランと同等の広さを持つ盆地。その内側には、何も残っていない。
遠くに見える岩肌以外に、何も見付けることができなかった。
ふいに。
ドサッ!
シンシアが倒れた。
フェリシアが倒れた。
ミアが倒れた。
ミナセたちが慌てて三人を抱き起こす。
その三人に、マークが順に手をかざしていく。
「大丈夫。三人とも眠っただけだ」
微笑みながら、マークが言った。
「本当によくやってくれた。お疲れ様」
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