何でも屋の日常

「ここにある資料は全部燃やす。ミナセ、手伝ってくれ」


 呆然としているミナセにそう言って、マークは本棚へと向かった。


「あ、はい!」


 返事をして、ミナセが駆け寄る。そして、二人で資料を一カ所に集め始めた。

 黙々と作業をするマークの横顔を、ミナセがチラリと見る。


 さっきのはいったい?


 資料を運びながら、灰になったザナンを見る。


 社長はどうやってザナンを……


 あれは魔法ではなかった。

 何か分からない力。未知なる力。それをミナセははっきりと感じていた。

 それが瞬時に高まり、マークの右手に集約し、そして放たれた。

 それは、ザナンの強力なシールドをあっさり突き破り、ザナンの腹に風穴を開けた。


 俺の専門はね、戦闘なんですよ


 ミナセがマークを見る。手を止めて、じっとマークを見つめる。

 すると。


「さっき見たことは、みんなに黙っていてくれないか」

「はい! その……分かりました」


 自分がマークを直視していたことに気付いて、慌ててミナセが答える。

 そんなミナセに、マークが微笑んだ。


「いつか、ちゃんと話すから」


 マークが視線を逸らす。

 マークが作業を再開する。

 その横顔に、ミナセは不安を覚えた。


 ミナセも作業を再開する。

 黙々と作業を続ける。

 棚から資料を取り出ながら、ふとミナセが言った。


「言いたくないことは、言わなくてもいいと思います」


 驚いたように、マークが顔を上げる。


「ありがとう」


 マークが言った。

 その声と、その曖昧な微笑みに、ミナセの不安が増していく。

 しかし、それ以上ミナセは何も言わなかった。マークに小さく微笑みを返して、ミナセは資料を抱え直した。


 散乱していた物も含め、すべての資料を一カ所に集めると、ミナセが魔法でその山に火を点ける。

 乾燥していた紙の資料は、あっという間に炎に包まれた。


 それを横目に、マークはザナンの元に行く。そして、灰の一部を拾うと、持っていた小さな袋に入れた。


「ダナンさんに渡してあげようと思ってね」


 いつもの顔で、マークが笑った。

 ホッとしたように、ミナセも笑った。



 資料がすべて燃え尽きたことを確認して、二人はそこを後にした。

 洞窟を抜け、家の扉から表に出ると、二人は大きく深呼吸をする。


「みんなが待っている。急ごう」

「はい!」


 行きと反対のルートで盆地に戻り、五人が待つ場所へと足早に歩く。

 やがて二人は、大きく手を振るヒューリの姿を見付けた。その隣では、リリアが顔を覆って泣いている。


「おかえりなさい!」

「ただいま」


 リリアがマークに飛び込んだ。

 ヒューリがミナセの肩を抱いた。

 四人は、無事の再会を心から喜んだ。


 その日はそこで野営をして、三人が目覚めるのを待った。

 翌朝、目覚めた三人に状況を話すと、三人は驚き、泣き、そして最後は笑う。


「さて、行くか」

「はい!」


 マークの声で、みんなは歩き出した。

 崩れた山肌をよじ登って崖の縁に立ち、七人は盆地を振り返る。砂漠と化した大地には、草木一本生えていない。

 変わり果てたその光景を、みんなが黙って見つめた。

 その時。


「鳥がいます!」


 ミアが大きな声を上げた。

 昨日までは見ることのなかった”命”が、盆地の空を飛んでいた。霊力の流れが正常に戻ったからなのかもしれない。

 やがてはここにも草木が生え、動物が住み着き、そしていずれは人もやってくるだろう。

 盆地に向かって黙祷を捧げ、七人は山を下った。

 麓の村が見えてきたところで、マークが言う。


「フェリシア。悪いが、これをダナンさんに届けて来てくれ」


 ザナンの遺灰の入った小さな袋。マークが、それをフェリシアに手渡した。


「俺たちは、北西にある、最後に残った魔物の生成場所に向かう。そこで落ち合おう」

「分かりました」


 両手で丁寧に袋を受け取り、それをフェリシアがマジックポーチにしまう。


「気を付けるんだぞ」

「はい!」


 しっかりマークに頷いて、フェリシアは北東の空へと消えていった。


 六人になった社員たちは、そこから徒歩で北へと向かう。

 途中、正面から馬が一騎駆けて来た。乗っていたのは、ロダン公爵配下の工作員。キルグが攻め込んできたことを知らせに来た男だ。


「皆様ご無事で! あ、お一人のお姿が……」


 破顔した直後に、男が頬を強張らせる。

 マークが、にこりと笑って言った。


「フェリシアは無事ですよ」


 ダナンのことは伏せながら、マークがこれまでの出来事を説明した。

 話を聞いた男が、感激したように大きな声を上げる。


「皆さんは、エルドアとイルカナの救世主です!」


 六人と握手を交わし、何度も何度も頭を下げると、アルミナの町でお待ちしていますと言い残して、男は北へと去っていった。


 男と別れてから数日後、六人は北西の山の中に辿り着く。役目を終えたフェリシアも、無事に合流した。

 山間に大きな魔法陣を見付けると、フェリシアではなく、シンシアが前に出る。


「私がやる」


 何か思うところがあるのだろう。シンシアの顔は真剣だ。

 驚くフェリシアがマークを見た。

 マークが頷くのを見て、フェリシアが言った。


「じゃあ任せたわ」

「ありがとう」


 ホッとしたように微笑んで、シンシアが魔法陣の縁に立つ。そして、大地に向かってお願いをした。

 地面が隆起と陥没を繰り返す。魔法陣が崩れ、消えていく。

 フェリシアのように一撃でとはいかなかったが、それほど時間が掛かることもなく魔法陣は破壊された。


「お疲れ様」


 マークがシンシアの肩に手を置く。


「精霊使いの、責任」


 小さい声でシンシアが言う。

 マークが、シンシアの頭をポンと叩いた。


「さあ、帰ろう」


 マークが笑った。


「はいっ!」


 シンシアが、大きな声で返事をした。


「作戦完了です!」


 バンザイをするミアを、みんなが笑った。


 魔物たちが進軍した跡を辿って、七人はイルカナへと向かった。やがてイルカナに入った七人は、魔物によって蹂躙された村や町を見付ける。


「ひどいですね」


 リリアのつぶやきに、みんなが小さく頷いた。

 それでも、いくつかの村や町では、生き延びた住人たちが動き始めていた。国から派遣されてきた救援部隊の力を借りながら、復興を目指して頑張っている。

 その救援部隊が、七人を見付けた途端、なぜか慌て出した。


「伝令を送れ!」

「はっ!」


 七人に挨拶するより先に、どこかへと早馬が駆けていく。

 それは、途中で通ったどの復興現場でも同じだった。


「私たち、何かしたのか?」

「さあ」


 ヒューリとミナセが首を傾げるが、誰にも思い当たることはない。

 何となく気になりながらも、七人は北上を続けた。

 やがて。


「見えました!」


 ミアが大きな声を上げる。

 前方に、見慣れた風景が見えてきた。イルカナの王都アルミナ。エム商会の事務所がある町。みんなが住む町。


「帰ったら、まずはあれだな」

「そうですね、あれですね」

「間違いないな」

「順番は、どうする?」

「くじ引きとか?」

「早いもの勝ちです!」


 社員たちが盛り上がる。


「えっと、社長特権とかは……」

「ありません!」


 みんなに睨まれて、マークが肩を落とす。


 ワイワイ話しながら、みんなは歩く。そして七人は、ついにアルミナの町の門に着いた。

 ところが、そこに思ってもみない人物が待っていた。


「救国の英雄たちよ、待っていたぞ!」


 喜びを全身から溢れさせて、ロダン公爵が叫んだ。


「国王陛下がお待ちかねだ。さあ、王宮へ!」


 社員たちは、たしかに依頼を達成した。しかし、ロダン公爵の依頼は極秘事項だったはずだ。


「あの、公爵……」


 マークが何かを言い掛けるが、ロダン公爵の声がそれを遮る。


「君たちは依頼を成した。いや、それ以上のことをしてくれた。その功績は、広く知らしめられるべきものなのだ。もはや、君たちを一般市民と同じに扱うことなどできないのだ!」


 いつもは冷静なロダン公爵が、おそろしく興奮している。


「国として、ぜひ君たちにお礼がしたい。さあ、王宮へ!」


 七人は、どうやら英雄として扱われることになったらしい。


 マークが社員たちを振り返る。

 社員たちが、マークを睨み付ける。


 苦笑いをしながら、前のめりなロダン公爵に、マークが言った。


「申し訳ございません。身支度を整えてから参上したいと思います。謁見は明日でもよろしいでしょうか?」


 ロダン公爵が目を見開いた。


「いや、身支度などよい。すでに歓迎の準備は……」

「明日、参ります」


 きっぱりとマークが言う。

 公爵が肩を落とす。

 マークの後ろで、社員たちが満足そうに頷いていた。


 町の人たちに手を振り、笑顔に笑顔を返しながら、みんなは事務所へと戻った。

 そこで、社員たちは久し振りに体を洗う。


「生き返ったぁ!」

「サッパリです!」


 満足げな社員たち。

 嬉しそうなその顔を見て、マークがつぶやく。


「ま、いいか」


 一番最後に小屋へと向かいながら、マークも嬉しそうに笑っていた。



 社員たちは、その夜は事務所で寝た。

 そして翌朝、迎えに来た馬車に乗って王宮へと向かう。


「反乱があったっていうのは本当だったんですね」


 修復中の外門をくぐりながら、リリアが言う。


「カミュ公爵のご家族は、どうなったんでしょうか」


 心配そうにつぶやくミアの手を、フェリシアがそっと握った。

 

 七人を乗せた馬車は、やがて内門を抜けて王宮に到着する。

 馬車から降りた途端、近衛兵の大きな声が響いた。


「敬礼!」


 ザザッ!


 びっくりするくらいたくさんの兵士たちが、ビシッと背筋を伸ばしている。

 社員たちも、驚いて背筋を伸ばす。

 考え事をしていたミアは、兵士に向かって咄嗟に敬礼をしてしまった。


「何やってんだ?」

「えへへ」


 ヒューリに突っ込まれて、ミアは照れ笑い。

 頭を掻くミアを見て、兵士たちの顔も緩む。


「どうぞこちらへ」


 微笑む近衛の隊長に導かれて、七人は謁見の間へと進んだ。


「エム商会の皆様、ご到着!」


 雄々しい声を合図に、大きな扉が開いていく。


「待っておったぞ!」


 部屋に入るなり、王が声を上げた。

 マークを先頭に、居並ぶ諸侯の間を七人が歩く。そして、王の手前で恭しく膝を折って頭を下げた。

 すると、またもや大きな声がした。


「みな、顔を上げよ。いや、膝を折ることも必要ない。救国の英雄にそんな態度は不要だ」


 七人は顔を上げ、王に手振りで立てと言われて、躊躇いながらも立ち上がった。

 しかし、救国の英雄という言葉にはやはり違和感を感じる。


「恐縮です。ですが陛下、我々は決して救国の英雄などでは……」

「何を言う!」


 マークの言葉を、王が遮った。


「ロダン公爵から聞いたぞ。エルドアに攻め入ったキルグの大軍を、みなが追い払ったそうではないか。ほかにも、エルドア混乱の元凶だったリッチを滅ぼし、魔物の生成場所を破壊した。エルドアからも、御礼の使者が参っておるのだぞ」


 諸侯と共に並んでいた一人の男が、深く頭を下げた。その隣では、次期エルドア国王のアルバートが微笑んでいる。


「それだけではない」


 王のボルテージが上がる。


「南から攻めてきた魔物の大軍。それを退けることができたのは、隣国からの援軍のおかげだ。その援軍を依頼したのはこのわしだが、援軍が素早く編成できたのは、マーク殿のおかげなのだ」


 王の言葉に、ロダン公爵が大きく頷く。


「東のカサールも西のコメリアの森も、マーク殿から依頼されて、いつでも出兵できるよう準備を整えていたと聞いた」


 王が肘掛けを握る。


「さらには、要請を出していない北西のウロルからも強力な援軍がやってきた。それも、マーク殿が声を掛けてくれていたそうではないか」


 王が身を乗り出す。


「カサールのリスティ殿、コメリアの森のターラ殿、そして、ウロルのサイラス殿。その全員が申しておった。”マーク殿によろしくお伝えください”とな」


 王の興奮が高まっていく。


「加えて、反乱収拾の決定打となった、カミュ公爵配下の衛兵たちの裏切り。その時ばらまかれた資料は、マーク殿が本署の署長に渡したものだという」


 王が、ついに立ち上がった。


「マーク殿! おぬしとおぬしの社員たちは、間違いなく救国の英雄なのだ。どれほどの賛辞を送っても足りぬ。一体わしは、何をもっておぬしらに報いればよいのだろうか!」


 叫ぶようにそう言って、王は熱い視線を社員たちに向けた。


 ミナセとヒューリが誇らしげに胸を張る。

 リリアとシンシアが恥ずかしそうにうつむく。

 フェリシアとミアが嬉しそうに微笑む。


「金でも土地でも爵位でも、何でも構わぬ。さあマーク殿、遠慮なく申してみよ」


 王の言葉に、出費にはうるさいはずのアウル公爵までもが頷いていた。


「過分なるお褒めのお言葉、心より感謝を申し上げます」


 王に向かって、マークが丁寧に頭を下げる。


「お言葉に甘えまして、申し上げます」


 王の目を見てマークが言った。

 社員全員が、期待のまなざしをマークに向けた。


「ロダン公爵からのご依頼は、社員全員で担当させていただきました。よって、その料金は……」


 ……え?


 社員たちが目を見開く。

 全員の胸に、もの凄くいやな予感が渦巻き始めた。


「七人の一日分の料金に、出発から帰社までの日数を掛けまして……」


 リリアががっくりと肩を落とした。

 ヒューリの口があんぐりと開いた。


「合計で……」


 マークが言った。

 算出した金額を、マークがズバリ言った。


 ロダン公爵が、慌てて前に出る。


「あ、いや、マーク殿、それは……」

「そ、そうですな。さすがにそれは……」


 アウル公爵でさえ納得していない。


「そんな金額では話にならん。マーク殿、少し考え直してはどうかな?」


 玉座にストンと腰を落として王も言う。

 その三人を順に見て、もう一度マークがきっぱりと言った。


「大変申し訳ございませんが、これは当社の正規料金です。それ以上にもそれ以下にもなりません。少し大きな金額となりますので、現金ではなく、指定の銀行口座に……」


 謁見の間にどよめきが起きる。

 真顔のマークの後ろでは、社員たちが脱力し、あるいは天を仰ぎ、あるいは呆けたように笑っていた。



 王宮を出た七人は、ここでいいからと言って馬車を降り、警護の兵士たちを無理矢理追い返して、会社に向かって歩き出した。


 先頭を歩くマークを見ながら、ヒューリがこぼす。


「私たち、救国の英雄なんだよな?」

「国王陛下は、そうおっしゃっていたな」


 ミナセが苦笑いしながら答える。


「私たち、結構頑張ったよな? それなのに、どうしていつもの仕事と同じ金額なんだ?」


 嘆くヒューリに、リリアが言った。


「でも、ちゃんと護衛業務の料金でした。店番とか草むしりよりも、値段は上です。社長にしては上出来だと思います」

「リリア……」


 前向きなリリアを、呆れたようにヒューリが見る。

 目が虚ろになってしまったヒューリに、シンシアがダメ押しをした。


「うちの会社にいる限り、食いっぱぐれることはないけど、お金持ちにもなれない」


 大きくヒューリがため息をつく。

 その肩に手を置いて、フェリシアが笑った。


「まあいいじゃないの。みんなで無事に帰ってきた、それで十分よ」


 反対側からミアも言う。


「そうです! 昨日と同じように今日が来て、今日と同じように明日が来る。それは、とっても幸せなことなのです!」


 笑顔の二人に挟まれて、ヒューリが顔を上げた。


「そうだよな。無事に日常が送れる。それは幸せなことなんだよな」

「ヒューリさん、やっと分かったんですか?」

「偉そうに言うな!」


 ヒューリがミアの頭をぐりぐりする。

 ミアが悲鳴を上げる。


 にぎやかな社員たちの声を聞いて、マークが振り返った。


「今夜は、俺のおごりで打ち上げだ。みんな、心置きなく食べて飲んでくれ」

「ほんとですか!」


 ヒューリとミアが同時に叫んだ。


「よーし、今夜は死ぬほど飲むぞ!」

「よーし、今夜は死ぬほど食べるぞ!」


 気勢を上げる二人に、フェリシアとシンシアも続く。


「ちょっと高いお酒を飲んじゃおうかしら」

「おみやげに、お菓子もほしい」


 急激に盛り上がるみんなを見て、マークがしまったという顔をする。


「リリア、やっぱり経費で落とすっていうのは……」

「だめです」


 きっぱり断られて、マークが肩を落とした。

 それを見て、みんなが笑った。


「仕方ない。みんな行くぞ!」

「おー!」


 やけくそで歩き出すマークにみんながついていく。


 いつもの光景。

 いつもの日常。


 みんなの背中を見ながら、ミナセが願う。


 こんな幸せが、ずっと続きますように


「ミナセ、置いてくぞ!」

「悪い、今行く」


 不安な気持ちを振り払い、無理矢理その顔に笑みを浮かべて、ミナセはみんなを追い掛けていった。




 第十九章 了

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