異変

 シンシアが無事デビューを終えたその日の夕方、エム商会の事務所では打ち合わせが行われていた。


「シンシア、今日はお疲れ様」


 マークがねぎらう。

 シンシアが、小さく微笑みながら頷いた。


 シンシアは、リリアと一緒に事務所のアパートで暮らしていた。

 それがいい影響を与えているのだろう。シンシアの表情はずいぶん豊かになってきている。リラックスできる状態であれば、少しずつ声も出せるようになっていた。

 だが、面接の時のようにしっかり声を出すことは、いまだにできていない。あれはかなり特殊な状況だったようだ。


「リリア。大変だと思うけど、しばらくはシンシアのフォローを頼む」

「お任せください! シンシアと一緒なら、どんな仕事でもへっちゃらです!」


 元気いっぱいに答えるリリアの横で、嬉しそうにシンシアが微笑む。


「二人を見てると和むよなぁ」


 ヒューリの言葉に、ミナセも頷いた。

 同じく微笑んでいたマークが、表情を引き締めて、ミナセを見る。


「ところで、最近南の国境付近に魔物がよく出るっていう話、聞いたことありますか?」

「はい。傭兵たちの間では、だいぶ話題になっているようです」


 ミナセが答えた。


「あの辺りにはいないはずの魔物がいたり、普段より数が多かったりするようですね。仲間が倒されても逃げずに襲ってくる、面倒なやつがいるとも聞きました」


 通常、魔物の生息域や種類、そしてその数はおおよそ決まっている。

 そうなるには、理由があった。


 魔物が生息している場所には、強い”霊力”が存在するという特徴がある。

 霊力とは、精霊の力の源とも、自然界を支える力とも言われているが、その研究はあまり進んでいない。なぜなら、霊力を感じることができる人間が非常に限られているからだ。


 長年修行を積んだ高僧や、ごく稀に生まれてくる、精霊の声を聞くことができる精霊使いなど、特殊な人間だけが霊力を感じることができた。

 そんな人間であっても、霊力を扱うことはできない。

 霊力を使えるのは精霊だけ。精霊使いであっても、本人が直接霊力を扱うことはできないのだ。

 霊力とは、その存在は認められていても、まだまだ未知の部分が多い力だった。


 その霊力が、集まりやすい場所がある。


 その場所では、対流によって霊力の濃淡が生まれると言われている。霊力の濃い部分に魔石が生まれ、魔石の周囲に魔力が発生し、その魔力が魔石を中心に形を成すことによって魔物となる。

 

 ある場所で発生する魔物の種類は、ほとんどの場合一種類、多くてもせいぜい二、三種類だ。そこにいる精霊の性質が影響しているという説が現在の主流である。


 さらに魔物は、性格によって、その場に留まりやすいものと移動を好むものとがある。

 魔物がその場に留まる場合は、そこにそれ以上魔物は発生しない。一定以上の魔物を精霊が作りたがらないからだ。逆に、その場から魔物が去ったり倒されたりすれば、魔物はまたそこに発生する。


 移動を好む魔物がいても、地上タイプ、飛翔タイプに関わらず、人の目に触れれば討伐される。

 結果、発生した場所から長距離を移動することは稀となる。


 以上が、魔物の生息域と種類、そしてその数がおおよそ決まっている理由だ。


「町や村にも被害が出てるのか?」


 ヒューリが心配そうに聞いた。


「いや、南の国境と言っても、どうやら街道や大きな町のある辺りではなくて、山岳地帯に近い地域らしい」


 ひとくちにエルドアとの国境と言っても、その国境線はかなり長い。主な街道や町は、どちらかと言うと南東付近に集まっている。真南から南西付近は険しい山岳地帯、もしくは森林地帯となっていて、あまり人は住んでいない。

 魔物が異常発生しているのは、その山岳地帯付近だということだ。


「そっか。それなら、まあいいけど」


 ヒューリの表情が和らいだ。

 もともと国を守る戦士だったヒューリにとって、国民が苦しむ姿は、たとえ祖国でなくても見たくはないのだろう。


「でも、数や種類はともかく、仲間を倒されても逃げない魔物っていうのは、ちょっと厄介ですね」


 マークが眉間にしわを寄せて言った。


 移動を好む、好まないという以外にも、魔物には様々な性格の違いが存在する。


 集団で行動するもの、単独を好むもの。

 凶暴なもの、臆病なもの。

 思考が単純なもの、高い知能を持つもの。


 マークの言った”仲間が倒されても逃げない魔物”というのは、集団で行動する魔物のことだろう。

 好戦的な魔物を除いて、多くの魔物は、勝てないと思う相手に対して無理に戦いを挑むことをしない。特に集団で行動する魔物は、仲間がある程度倒されると逃げていくものが多かった。


 それが、逃げずに襲ってくる。


 魔物の数が少ない場合はともかく、大きな集団に襲われた場合は、マークの言う通り非常にやっかいだと言える。


「ギルドの依頼で調査に向かった冒険者や、荒稼ぎを狙った冒険者たちが、すでに何組かやられたそうです。近いうちに大規模な調査隊か討伐隊が組まれるのではないかと、もっぱらの噂です」


 まとまった魔物の討伐は、国またはその地域を管轄する貴族が、直接またはギルドを通して傭兵や冒険者に依頼することが多い。

 正規軍が動くことは、まずない。


 日頃から魔物を狩っている傭兵や冒険者たちの方が対魔物戦においては有利だということもあるが、動員にコストがあまり掛からないということが一番の大きな理由だった。

 倒した魔物の魔石は自由にしてよい、という条件を付ければ、報酬を安く抑えられるからだ。

 傭兵や冒険者たちからすると、魔物の討伐依頼は大きく稼ぐチャンスなのだ。


「うちのみんなが討伐に関わることはまずないと思いますが、どうも今回の件は気になります。噂でも何でもいいので、何か話を聞いたら俺に教えてください」


 マークの真剣な表情に、みんなの顔も引き締まった。


「はい」

「分かりました」

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