「社長」


 突然、フェリシアがマークを見た。

 話を遮られたマークが、その目を見て驚く。


 フェリシアの目には、涙が浮かんでいた。


 マークがフェリシアを見つめる。

 そして小さく、かすかに息を吐き出した。

 マークのまとっていた冷気が、消えていった。


「あなたは」


 メリルに向き直って、マークが問い掛けた。


「自分の罪を償うつもりはありますか?」


 突然の問い掛けに、メリルは反応できない。


「あなたの罪は、法的に問うことが難しい。それでもあなたは、罰を受けるつもりはありますか?」


 どうにかその言葉を理解したメリルが、ゆっくりと頷く。


「はい。妹たちが助かるのでしたら、どんな罰でもお受けいたします」


 一度希望を打ち砕かれているメリルが、慎重に答える。


「その気持ちに、うそはありませんか?」

「はい。うそはありません」


 重ねて問われたメリルが、今度は力を込めて答えた。

 マークの鋭い視線を必死に受け止める。まさに必死で、つるされた細い糸にしがみついていた。

 

 息苦しい時間が流れる。

 兵士たちの呻き声が、それを一層重くする。


 その空気が、ふと軽くなった。


「分かりました」


 マークの言葉で、メリルは忘れていた呼吸を始める。


「では、カーラさんたちに自由を与えてください」

「自由を?」

「そうです。伯爵は亡くなった。だから、誓約も、これまでの義理もすべて精算する。あなたたちは自由だと、そう伝えてください」

「……分かりました」


 メリルが、マークの話を聞く。


「その上で、ここに残ると言った人がいたならば、引き続きこの屋敷で働かせてあげてください」

「承知、いたしました」

 

 自身の罰とは関係のない話を、メリルは緊張しながら聞いていた。


「ここにいる兵士たちにも、よく言い聞かせておいてください。彼女たちには何も知らせないこと。裏の事情は無かったことにしてください」

「はい、かしこまりました」

「以上です」

「……えっ?」


 マークがスッと立ち上がる。

 フェリシアも、魔力の放出を止めて立ち上がった。


「あ、あの、私の罰は……」


 腰を浮かせるメリルを見ることなく、マークは扉に向かう。そしてノブに手を掛け、それを回しながら言った。


「何ができるのか、自分で考えてください」


 そのまま二人は、部屋を出ていった。

 呆然とするメリルの周りで、兵士たちがゼェゼェと荒い呼吸を繰り返していた。



「すみませんでした」


 大きな屋敷が建ち並ぶ静かな通りを、二人は歩いている。

 フェリシアは、マークの少し後ろを視線を落として歩いていた。


「あの……私……」


 男たちの視線を釘付けにしてきたその美しい姿が、今はとても小さく見えた。


「私、怖かったんです。演技だって分かってたんですけど、社長が、その……」


 消え入りそうな声で、フェリシアが話す。

 と、突然マークが振り返った。


「フェリシア」

「はい!」


 びっくりしたフェリシアが、大きく開いた目でマークを見た。いっぱいの不安をたたえて、アメジストの瞳が揺れている。

 その瞳を見つめて、マークが言った。


「あの人には、もう少しきついお灸を据えるつもりだったんだけどね」


 いつものマークの声だ。


「まさか、あのタイミングでフェリシアが俺を止めるとは思ってもみなかったよ」

「すみません」


 フェリシアが、再び視線を落とした。


「以前の私なら、あの程度で動揺するなんてことなかったんです。たとえ目の前であの人が殺されたとしても、平然としていられました。それなのに」


 声が震えている。


「私、ダメになっちゃいました」


 今にも泣きそうな声だ。


「仕事なのに。社長に言われてたのに。私……」

「フェリシア」


 フェリシアの言葉をマークが遮る。

 そして、明るい声で言った。


「フェリシアのその変化を、俺は歓迎するぞ」

「えっ?」


 思わずフェリシアが顔を上げた。


「少し前までのフェリシアだったら、俺の言うことにそのまま従っていたんだろう?」

「そう、です」

「でもね」


 穏やかにマークが続ける。


「仕事だから何でもできるっていうのは間違いだと、俺は思う。それじゃあ、あのメイド長と同じになっちゃうと思うんだ」


 フェリシアの目が、大きく開いた。


「主人の命令だから、社長の指示だから何でもやるっていうのは間違ってる。それじゃあ何も考えていないのと同じだ」


 マークの表情が、和らいだ。


「だからフェリシア。お前が俺を止めた時、俺は、ちょっと嬉しかったんだ」


 言葉通りの嬉しそうな顔だ。


「フェリシアが、自分の判断で俺を止めた。それは、フェリシアが自立し始めたってことだ。歓迎すべき変化なんだよ」

「そんな……。判断なんていう、ちゃんと理由があるものではなかったんです。ただ私は……」

「理由なんてどうでもいいのさ。フェリシアが俺を止めた、それが大切なんだから」


 フェリシアが、じっとマークを見つめる。 


「フェリシア。お前は自由だ。自分の思う通りに生きていいんだ」


 思い掛けない言葉に、まばたきもせずマークを見つめる。


「これからも、思うことがあったら遠慮なく言ってくれ。そしてフェリシア。一緒にいろいろなことを考えていこう」

「社長……」


 フェリシアが、わずかに目を伏せる。


 一緒に考えていこう

 

 自由だと言われたことより、思う通りに生きていいと言われたことより嬉しかった。


 一緒に考えることができる

 社長と一緒に


「お、おい。何で泣くんだよ」

「うっ、うっ……」

「ちょ、ちょっと」

「すみません、すみません」


 驚くマークの目の前で、フェリシアは慌てて涙を拭った。

 だけど、その涙はなかなか止まってくれない。


「すみません、すみません」


 謝り続けるフェリシアの表情は、笑顔。

 うろたえるマークの前で、笑いながら泣き続けるフェリシアは、とても可愛らしかった。




「ただいま~」


 ミアが、そーっとドアを押し開けて、顔だけを覗かせる。

 部屋の中には、マーク以下全員が揃っていた。


「失礼しました~」


 ミアはそのまま、そーっと顔を引っ込めてドアを閉めた。


「こらっ!」


 声と共に、ドアが強引に開けられる。

 ノブを握り締めていたミアは、その勢いで部屋の中に引っ張り込まれていった。


「ごめんなさい!」


 床に倒れ込むと同時に、ミアは素早く土下座をする。


「本当にすみませんでした! えっと、何となくあの時紅茶が飲みたいなぁって思ってて、それでたぶん間違えちゃったんだと思います!」


 ミアが、一生懸命床におでこをこすりつける。


「次からは絶対間違えません! 絶対に気を付けます!」


 必死にミアが詫びる。

 そんなミアに、マークが話し掛けてきた。


「ミア」

「はい!」

「お前の性格では、今回反省しても、きっとまた似たような間違いを犯すだろう」

「……否定は、しません」


 孤児院時代、フローラに何度も同じことで怒られてきたミアには、残念ながら自覚があった。


「だからミア。これからは、重要なことは必ずメモを取るようにするんだ」

「はい! これからは必ずメモを取るようにします!」

「どんな時でもメモ帳を持ち歩くこと。いいね?」

「はい! どんな時でもメモ帳を持ち歩くようにします!」


 マークの言葉をきっちり復唱する。


「それからミア」

「はい!」


 おでこがちょっと痛くなってきたが、それでもミアは土下座を続けた。

 次のお叱りの言葉をじっと待つ。


 重たい沈黙。

 ミアの緊張が高まっていく。


 黙っていたマークが、ようやくミアに声を掛けた。


「俺は……いや、俺たちは、お前の帰りを待っていたんだ」

「ふぇ?」


 驚いて、ミアが顔を上げた。


「無事に帰ってきてくれて何よりだ。お疲れ様」


 マークは笑っていた。

 ミナセもリリアも、ヒューリもシンシアも笑っていた。

 すぐ横に立つフェリシアは、なぜか泣きそうだった。


「お帰り、ミア」

「お帰りなさい!」


 フェリシアに引き起こされて、ミアは呆然と立ち尽くす。


「よくやったな」

「ミアさん凄いです!」


 みんなが集まってくる。


「うぅ……うぅ……」


 ミアの目から、涙がこぼれた。


「ヒック……ヒック……」


 ミアの緊張が解けていく。

 フェリシアが、優しくその頭を撫でた。


「うぇ……うぇ……」


 ミアの感情が溢れ出す。


「うぇーん、怖かったぁ、怖かったよぉー」


 とうとうミアは泣き出してしまった。

 フェリシアに抱かれ、みんなに見守られながら、ミアは泣く。ぼろぼろと涙をこぼしながら、大きな声で、いつまでもミアは泣き続けていた。




「まったく」


 イスの背もたれが、わずかに軋む。


「貴様がその場にいたというのに、ずいぶん情けない結果になったものだな」

「申し訳ございません。まさかあれだけのトラップがすべて破られるとは、思いもよりませんでしたので」

「取引の記録も放置してきたのであろう?」

「はい……。しかし、重要なものだけはすべて持ち出してございます」


 ジリジリ……


 ろうそくが音を立てる。

 二つの影が揺れた。


「ふん、まあいい。ほとぼりが冷めるまではおとなしくしていろと、奴らには伝えておけ」

「かしこまりました」

「それで、ギルドに討伐依頼を出したのは誰か分かったのか?」

「……申し訳ございません」


 冷たい汗が背中を流れる。

 イスの背もたれが、また軋んだ。


「で、ですが、あのパーティーと一緒にいた二人の女の正体は分かりました」

「ほう?」

「この町にある、エム商会とかいう何でも屋の社員だということです」

「また、エム商会か」


 ギシッ


 イスの背もたれが、大きな音を立てた。


「鬱陶しいな」


 次の瞬間、机にとまっていたハエに、ペンが突き刺さる。


「じつに鬱陶しい」


 ギシ……ギシ……


 暗い室内に、イスの軋む音だけが響き渡っていた。




 第八章 了

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